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聴覚障害者留学
 
 このブログは、2004年度より特定非営利活動法人(NPO)日本ASL協会が日本財団の助成の下実施しております「日本財団聴覚障害者海外奨学金事業」の奨学生がアメリカ留学の様子および帰国後の活動などについてお届けするものです。
 コメントでいただくご質問はブログに書かれている内容の範囲のみでお願いします。それ以外の留学に関するご質問は日本ASL協会の留学担当にお問い合わせ下さい。
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第13回留学奨学生帰国報告会、12月22日(日)開催![2019年11月14日(Thu)]
第13回留学奨学生帰国報告会、12月22日(日)開催!

今回の帰国報告会、12月22日(日)に開催します!
報告者は、第10期留学奨学生の辻功一さん。
経営学など起業について、米国で学んできました。
加えて、その留学って本当に必要?と皆と考えます。
情報盛りだくさんの報告会になりそう。
ぜひご参加ください。

KOICHI-1.jpg>
辻功一10期生  


1、日時
2019年12月22日(日)10:00−11:45

2、場所
東京ボランティア・市民活動センター 会議室A・B(東京・飯田橋)

3、内容    
・留学報告 第10期生 辻 功一
 「起業を志す人々に対する日米の温度差について」

    *当日行う留学報告の発表資料の配布はありません。

・情報交換/留学相談/奨学金相談

4、参加費
無料

5、定員
80名 *定員に余裕がある場合は、締切以降も受付できます

6、その他
日本手話/日本語音声の手話通訳、パソコン通訳が付きます。
ヒヤリングループやその他支援が必要な方、ご相談ください。

かわいい参加申込み、ただいま受付中ですかわいい
下記まで、お名前とご連絡先を添えて、12月18日(水)までにお申し込みください。
ryugaku@npojass.org(日本財団助成事業・専用受付)
03-3264-8977(Fax)
*ここをクリックすると申込画面が開きます


191222-NF-Flyer-214x300.jpg
(写真をクリックすると、チラシPDFが開きます)

協力:
日本財団聴覚障害者海外奨学金事業留学奨学生同窓会

事業担当:根本
Posted by 事業担当者 根本和江 at 14:04 | 事業担当者よりお知らせ | この記事のURL
10月生活記録 【第13期生 山田茉侑】[2019年11月08日(Fri)]
みなさまこんにちは。

Time flies so fast!!!

時間がジャンプするようにどんどん過ぎ去っていきます。課題の山で先の見えなかったトンネルが今や前方から光が差し込んできており、もうすぐ今学期が終わるのだなとじみじみと感じております。

10月はプロジェクト、研究、宿泊学習などで息つく間もなく忙しかったのですが、どれも最後のまとめを作っており、まだ報告できる段階ではありません。なので、今月は以前に作った教材を紹介したいと思います。この教材には、ボストン大学のバイリンガル教育の方向性がくっきり表れています。そちらも合わせて報告したいと思います。

その教材とは…?
スバリ、子どもの「予測」能力を強化するものです。
授業で、ろうの子どもたちがときどき次に何が起こるのかを予測するのに苦戦していることがあります。


例えば国語の授業では…
Screen Shot 2019-11-07 at 8.07.16 PM.png

こちら、ごんぎつねの最後のシーンです。
「兵十はどんな気持ちになったのか?」
「ごんはどんな気持ちでうなづいたのか?」
日本語ネイティブでもかなり難しい問題だと思います。
長い日本語文を読み解き、登場人物の心情の動きを追いかけ、そしてこの考察を熟考するには相当な日本語の力が必要でしょう。また、物語の中から因果関係を読み解けるようにならなければなりません。

今回の教材は、因果関係を読み解く、つまりろうの子どもたちの「予測」能力を強化するためのものです。また、予測した理由(つまり、手がかりは何だったのか)を子どもたちが説明できるようにする、というねらいがあります。


8月の生活記録で少し触れましたが、ボストン大学では指導の際に
「概念形成→日本手話→日本語」を意識します。教材作成の時もしかりです。
例えば「りんご」という単語を教えたいときに、日本手話や日本語でいくら説明しても、概念「りんご」りんごそのもののイメージができてないと、子どもたちは理解できません。概念「りんご」があってはじめて日本手話、日本語での指導が可能になるのです。
これは、日常生活から国語算数社会理科などの教科まで全般的に言えることだと思います。




それでは、キーノートから一部スライドを引用したいと思います。

1)「概念形成」編
「予測」能力を高めるために次のイラストをみて、次に何が起こるか予想してみてください。
注意:それぞれのイラストにはコメントをつけておりますが、クラスでは先生からの言葉かけは一切しません。画像を見て、そこにある手がかりをもとに、子どもが自分で次に何が起こるのかを予想するのです。


テクテク歩いていると…?
Screen Shot 2019-11-07 at 12.29.19 PM.png

綺麗な海だ!ジャンプしちゃおう!
Screen Shot 2019-11-07 at 12.29.24 PM.png

ゴミがたまってきたな、そろそろ捨てよう。どちらのゴミ箱にいれる?
Screen Shot 2019-11-07 at 12.29.32 PM.png

何かが落ちてる!
Screen Shot 2019-11-07 at 6.40.58 PM.png
子どもたちに、それぞれの顔に表情を描いてもらうのもいいかもしれません。

こちらは短編動画です。

家に着いた!…あれっ?


おいしい!おいしい!


宿題(assignment #5)の締め切りが6月29日だけれど…?


ろう文化に関する動画を作るのもいいかもしれません。
例えば、3人暮らしのデフファミリーの家。
Aさんがトイレに行くと、ドアが閉まっている。でも、両親はリビングルームでくつろいでいる…最後にAさんの怪訝な顔のアップを入れる、など。
(ろう文化では、使ってないトイレは開けっ放しにします。)


上のようなイラストや短編動画を通して、子どもたちと「何が起こるのか、どうすればいいのか/どうすればよかったのか」などといった話し合い活動ができると思います。


2)日本手話編
次の動画をみて、次に何が起こるか予想してみてください。



こちらの動画のように、始終日本手話だけというのもありですが、イラストや日本語と組み合わせてみるのもいいかもしれません。
例えばこういう風に。


正しいのはどれか予想してみてください。
イラストのような状態に雪だるまがなるときは、どんなとき?

3)日本語編
次の文をみて、次に何が起こるか/もっとも当てはまるのはどれか 予想してみてください。

同じ気持ちになったことはありますか。
Screen Shot 2019-11-07 at 7.09.11 PM.png

単語にとらわれずに、文脈をよくみないといけませんね。
Screen Shot 2019-11-07 at 7.16.30 PM.png

赤い風船!ほしい!でも、ちょっとまって。
Screen Shot 2019-11-07 at 7.09.23 PM.png

遊びたいけど、それなら仕方がないね。
Screen Shot 2019-11-07 at 7.09.28 PM.png

とある映画を思い出してしまいます…。でもここは因果関係に注目。
Screen Shot 2019-11-07 at 7.12.47 PM.png

自由に「?」内のセリフを書いてもらうのもいいかもしれません。でも、縛り(=手がかり)があることには気をつけて。
Screen Shot 2019-11-07 at 12.30.06 PM.png

以上、「概念形成→日本手話→日本語」の順に例を載せました。


今回紹介した教材は、わたしが今まで作った中でも大好きな教材です。
アメリカに来てから、ASLと英語という第三、四言語の生活のなかにいます。なるほどクラスから日常生活全般において「意図」を掴むのが、日本にいるよりも難しくなってきました。たまに、的を外れた発言、とんちな行動をすることも…。
そこで周りがわたしをどう思うか。
「ASL、英語ができない」と見るか。
「その人には十分思考力があって、日本手話、日本語ができる。いまは第三、四言語でチャレンジしている」と見るか。
考える時間があれば、情報に完全にアクセスできれば、と悔しいと思ったことは数え切れません。わたしは ろう なので、情報弱者という面で日本にいる間も悔しいと思ったことはたくさんあります。
ろうの子どもたちもそうではないでしょうか。圧倒的な日本語で埋め尽くされている教科書と、話し言葉の日本語には、十分アクセスできているのでしょうか。そこに子どものレベルに合わせた「推測」するための手がかりはあるのでしょうか。


「概念形成→言語」は幼児教育で大事にされていますよね。十分に情報にアクセスできる状態で、今までの経験から手がかりを探し出していくことで、子どもの思考力と認知能力が育っていく。とても大切なことです。日本手話と日本語どちらか、ではなくどちらも、とはこういうことです。これがバイリンガル教育の本質かな、と思っております。


長くなりました。今回紹介した教材、なにかの役に立てればこの上なく嬉しいです。
今月末には、テネシーろう学校に一週間ほど実習に行きます。今回は小学部の理科と英語(書き)の授業をもつことになりました。どんな子どもたちに会えるか今から楽しみです。
それではまた翌月にお会いしましょう。
Posted by 山田 at 13:10 | 奨学生生活記録 | この記事のURL
2019年10月生活記録【第13期生 橋本重人】[2019年11月08日(Fri)]
こんにちは、11月に入った途端、急に下がり始めました。前日の10月31日はまだ20度前後あった気温が、翌日には8度と一桁になっていました。急な気温変化により、体調を崩す学生や先生があちこちいます。寒がりな私は日本から持ってきたヒートテックなどで防寒対策は万全です。使い捨てカイロもたくさん保管しています。

さて、今月はカウンセリングクラスで学んだことを書きたいと思っています。教員はただ児童生徒に教科を教えるだけではなく、彼らの気持ちを汲み取って理解したり、どのように心のケアをすればいいかを学んだりすることも大切ではないでしょうか。また、カウンセリング的役割を理解した上で保護者と関わったほうがスムーズにいくかもしれないと思い、このクラスを取っています。

このクラスの担当教員と受講している学生のほとんどがろうなので、ろうのカウンセラーとしてどのように相手と関わればいいか、どのように手話で話しかけたらいいかを議論しながら学習しています。使用しているテキストは聴者のカウンセリング向けなので、ろうに対してどう適正化していくかを常に話し合っています。

例えば、聴者は音声言語で話を進めます。聴者が話をして、その話を聞いたカウンセラーは「なるほど、お察しします。」というふうに「I can sense…」「I can see…」「I can understand…」と伝えます。では、ろう者に対してどう対応すればいいでしょうか。ろう者である私たちが話し合った結果、表情を示すことが大切ではないかと結論付けました。カウンセラーが自分の手を自分の胸に当てる、真剣な顔をして相手に同情しますという表情を示すといった、ボディランゲージ(言葉ではなく身体の動きで相手に意思を伝えること)で示すことが大切だという結果になりました。私たちで話し合って、こんなときはこうしたらいいじゃないかといろいろ決めていくので、毎回がとても有意義です。

また、ただカウンセラーとしてどう行動するべきかを話し合うだけではなく、実際にロールプレイを行ったり、学部生とのカウンセリング演習もありました。受講生同士のロールプレイは緊張しませんでしたが、何も告知もなく外部の人が突然教室にやってきてロールプレイを行うことが今まで4回ありました。全く知らないカウンセリングの相手がやってきて、どのように関わったらいいのか私たちは戸惑いましたが、なるべく今まで学んだことを思い出しながら質問したり、相手の話を聞いて、要約したりしました。ある人物は、私たち学生を信用できず冷たい態度を取ってきたこともありました。相手と信頼関係を築くために、カウンセラーとしてどのように対応するべきかをたくさん考えながら、演習を行いました。カウンセリング相手から理不尽に激高されて涙を流した学生もいました。私は何とか相手の気持ちに寄り添うよう、話を聞いたり質問したりしましたが、当人が抱えている問題をすぐに解決しようと先立ってしまう癖があることに気付くことができました。

カウンセラーは教員と違って、毎日同じ人と会うわけでもないので、すぐに相手との信頼関係を築くのは難しいそうです。カウンセラーは相手の感じたこと、考えや行動を瞬発に理解して要約する。そうやって整理してもらうことで当人は自分のことを客観的に見るようになる。次第に気持ちが落ち着いて、これからどうするべきか見通しをもつようになる。そういうプロセスを辿っていくことをお手伝いするのがカウンセラーの役割なのだと、私なりに感じました。カウンセリング技法はたくさんある為、相手の状況に合わせて臨機応変に対応することが必須となります。

このクラスを通して、教員が児童生徒と保護者と関わる上で、カウンセリング役割を知ることはとても有効的だと思います。彼らの気持ちを理解して、どのような目標にもっていくか、前向きに向かっていくよう促すことが教員たちにとって必要なスキルだと思います。


s_IMG-2085.jpg
カウンセリングルームの入り口。とても和やかな雰囲気です。

s_IMG-2083.jpg
子ども向けのカウンセリングルーム。

s_カウンセリング演習の様子.png
カウンセリング演習を行いました。緊張気味の私ですね。(その学生に許可は得ております。)

それでは、また翌月にお会いしましょう。
Posted by 橋本 at 08:49 | 奨学生生活記録 | この記事のURL
2019年10月生活記録【第16期生 皆川愛】[2019年11月07日(Thu)]
今月は手話について以下の四つの観点で考えてみます。(かなり長くなります)
カチンコ動画はこちらより

( )は、その内容の開始時間です。興味のある内容に合わせてご覧ください。
@今日、手話はどういう存在にあるのか(0:50
A歴史的に、形而上学的に、なぜ手話は音声言語より劣っているとみなされてきたのか(3:15
B手話と文学の関係(13:52
Cまとめ(17:00

ビデオで着ているTシャツにある元素記号「Hu」。
現在のところ、元素記号としてHuは存在していませんが、Human(人間)を現しており、
Malzukuhan氏を中心に人権としての手話への平等なアクセスを謳っているキャンペーンです。
今日では、その言説は受けいられつつあるように思います。

@今日、手話はどういう存在にあるのか
近年、世界では二週間に一つの言語が消滅しています(United Nation, 2016)。
その言語の話者が完全にいなくなる状態を持ってです。
そこで、ユネスコを中心に2000年代から“Language vitality”という言語のバイタリティ、
すなわち持続可能性についてアセスメントし、
言語を保守、継承するための取り組みが始まっています。
ユネスコは言語の持続可能性を評価するに当たり、
9つの項目を公表しています(UNESCO, 2003)。
世代間の伝達、話者の数と割合、言語の使用領域と機能、メディアの言語に対する反応、教材や文学、コミュニティメンバーのその言語に対する姿勢、行政や法律の言語態度や政策、記述の質と量といったものです。

しかし、そこに手話は含まれていませんでした。
そこで、2011年に世界ろう連盟とヨーロッパろう連合が手を組み、
iSLanDSを主導に消滅危機にある手話の調査と保護について取り組みを始めました(iSLanDS, 2015)。
すると、村落手話(一部の村落コミュニティで聴者とともに栄えてきた手話)をはじめとし、
一部の国の手話が消滅危機にあることがわかりました。
7.jpg


手話がなぜ消滅しつつあるのか、
それは単にろう児の減少や人工内耳技術の向上とその装用児の増加といった因子で説明できるものではありません。
実際、多くのろう児は聴者の保護者の元で育つたため、
手話が継承語として自然に獲得されないという永久の課題もあります。
近い将来の可能性として、遺伝子工学などの技術の影響も考えられます。
そして、国や機関、そしてユーザーがその言語にどういう姿勢を持っているのか、
公用語との力関係はどうかなど、、
言語の消滅には根本的なルーツがあります。

Aなぜ手話は歴史的に、形而上学的に劣っているとみなされてきたのか

そもそもなぜ手話は音声言語に対して劣勢なのか。音声言語が優位にあるのはなぜでしょう。

ユーザーの数?声の方が簡単だから?

それはとてもシンプルなたった一つの思想から来ています。

言語とは話すこと(舌を使う)」
スライド3.jpeg


その思想は今日に始まったものではありません。
哲学や科学の介入が複雑に強く関係しています。まずはそのルーツを探ることにします。

手話についての最初の記述は、有名な哲学家の一人であるプラトンのいた紀元前の時代、
つまり約2400年前に遡ります。
ろう者と手話の存在はプラトンやレオナルドダビンチの時代から目撃され、記述されています。
プラトンは
「もし、物事を他者に伝えるために、声を使って話せない人がいたなら、
 手話を使う手があるけれども、それはろう者による言葉だ」だと記述していました(Plato, 1998, p.89)。
デフアートで活躍されているRouke氏はその状況を絵画にしています。
スクリーンショット 2019-11-06 17.55.31.png


左にいるのがソクラテス、ヘルゲモニス、クラチュラスというギリシャの哲学者です。
右にいるのがろう者たちで手話をしています。
それぞれが同じアテネという地にいるにもかかわらず、別の世界に住んでいるかのようですね。

人間は従来、手を使ってジェスチャーで話していました。
しかし、声帯が発達し、徐々に言語の機能が音声へ移行しました。

人間の生活や仕事の多くには手指動作を伴うため、話す時に手を使うことは不利だということで、
手を使って話すことを放棄し始めたのです(Armstrong, Stokoe & Wilcox, 1995)。

1856年に言語学の父であるSaussure(ソシュール)氏は、
西洋の観点からは「言語はarbitrary(恣意的)でなければならない」、
つまり言葉と意味内容に必然的な関連はないと主張しました。
言語学の観点から手話は恣意的ではなく、マイムやジェスチャーと同じ類像的な言語として位置付けられました。
それがプラトンから続いた長年の形而上学的な言説をさらに強化するものとなりました。
Bourdieu(1988)は、言語学は時に中立ではなく、暴力を生みかねないと言っています。
学問は時に武器になりますが、時に何かを抑圧しかねません。
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*ただこの時に注意しなければならないのは、ソシュールの原則は絶対かと言われると、
日本の書き言葉としての漢字(象形文字)は文字通り類像的な面があると個人的に思っています。
これはFenollosa氏(1986)も中国の漢字について同様の見解を持っています。
ひらがなは恣意的なのでしょうが、、、
ソシュールの主張はあくまでも西洋の言語のみに限定していると考えたほうが良いです。

1960年代のStokoe氏らによるアメリカ手話の音韻論の研究によって
ソシュールの説は誤りだと実証されます。
音韻論の構成要素であるHand shape(手形)とLocation(手の位置)そのものは恣意的、
すなわち手形や手の位置とそれを示す概念の間に、象徴的な直接的関連はないという性質を発見し、
長年にわたる言説を覆しました。
6.jpg


こうした音声が言語のモダリティにおいて優位に立つという言説を支えたものとして、
Dearida(デリダ)氏はPhonocentrism(音声優勢主義)という思想を提唱しました。
神と対話するのには、ロゴス→思想→声(音声言語)→文字(書記言語)→サイン(手話)の順で良い方法だと信じられてきたというものです。
この音声優勢主義は紀元前から信じられてきたことなのですが、
その形而上学的な言説とその構造を記述し、彼はそこからの脱構築が必要だと唱えていました。
スライド7.jpeg


この音声優勢主義は私たちの日常に溢れかえっています。
多くの聴者は、自分の声を通じて、自分の存在を認識しているそうです。
そのため、中途失聴者の大半は、突発的に聴力を失った時、
自分の声も聞こえなくなるので、「幽霊になった気分」だと言及することが多いのだそうです。
それだけ多くの人間、聴者にとっては、生活、自分の存在認識が音によって成り立っているということが伺えます。
今日テレビ電話(スカイプなど)やメールなど様々な手段があるにもかかわらず、
医療機関を始めとし、通報などの場面で、緊急連絡方法=電話という方程式から抜け出せずにいません。
個々レベルでもシステムレベルでも既にその方程式が浸透しているからです。

さらに、Linguistic imperialism(言語帝国主義)という概念があります。
現在、世界の論文のは英語で流通されているというデータがあります。
その背景には、言うまでもなく植民地化が影響しています。
植民地化は、単に土地や資源を奪っただけでなく、
その土地の言語、文化的資源までも奪い、支配側に同化させようとしたのです。
例として、ナイジェリアは今日、英語を公用語としていますが、
実際は300ほどの先住民言語(母語でもあるその族や土地特有の言語)があります。
しかし、植民地化によって教育システムや法律が公用語の使用と先住民言語の棄却を強要させたのです。
それは、その土地特有の文化もないものとしたのです
手話にも同様のことが言えます。
本来ろうコミュニティの中で自然に話され発展してきた手話が、
口話主義という教育システムによって、禁止され、音声言語の習得を強要されました。
盲の人に手話を覚えろなんて言わないのに、、です。
それだけ社会が音声言語によって成り立っており、
障害者はその基準に合わせなければならないということでしょうか。


B手話と文学の関係

興味深いTEDトークがありました。
アフリカのナイジェリア出身の作家のAdichie氏は、
幼少期に読み聞きした物語は、すべて西洋文学だったと語ります。
(日本語字幕あり)

それらは、英語で読み語られるばかりでなく、登場人物はすべて白人で、
彼らはみな英語を話し、見知らぬ食べ物や想像できない家が登場してくるわけです。
彼女の育つナイジェリアが植民地化によって、英語の使用の教養、
そして、文学へのアクセスまでが制限され、そこで流通される物語が全て西洋文学だったのです。

ケニア出身のNgũgĩ(グギ)氏は、植民地化からの解放の一つの手段として、
英語と決別し、自分の先住民言語を取り戻すことを決意しました。
そして、文学を自分の言語で書き、語り伝えていくと言います。
先住民言語は、自分のコミュニティとの所属感を与え、そこでの価値観や歴史との架け橋になりうるからです。

3.jpg


それに対して、ナイジェリア出身のAchebe(アチェべ)氏は、
世界に発信するためには英語も必要だと主張しました。
植民地化され、言語とそれを取り巻く文化やアイデンティティを奪われたた事実は変えられません。
でも、それによって発信の幅が広がったこととして、植民地化を逆手に取っています。

この状況はろう社会にも同様のことが言えると思います。
冒頭で言及した言語の消滅危機に繋がります。
少数言語である手話の消滅危機を防ぎ、言語を維持していくためには、
記述、言い伝えによって継承を絶やさないことも必要になってきます。
でも、現状で少数言語を突き通しては世界に届きません。
その支配をどう片手に取るのか難しいですね。
支配を片手に取り、不条理な世の中と戦えるろう者を増やすためにも、
ろうの子どもたちには日本語も必要で、まず自然言語としての手話と、
そして日本語を習得するためのバイリンガルの言語、教育環境が必要だと考えています。


Cまとめ

長文になってしまいましたが、手話の消滅危機から、その根元ルートを探ると、
音声優勢主義の形而上学的哲学思想や言語学の威圧文学の影響力に見ることができます。
これらに対してすぐ何かアプローチを起こすわけではありませんが、
こうした学びは私に視野を広げてくれます。

Ladd(2003)は以下のように述べています。
スライド9.jpeg

ろう者学の目指すところは、ろう者に関する諸問題のルーツを探り、問題の根源を撲滅することです。
しかし、それらの多くの根は深く太いものです。
なぜなら、ろう者に関するディスコースは人類が誕生してから何百年、何千年という時を経て
積み重ねてできたものだからです。
でも、問題の根源を理解することで突破口を見つけられるかもしれない。

手話の消滅の原因は、つい最近に始まったことではなく、
約2400年前のプラトンの時代から続く手話に対する形而上学的な思想が社会に浸透していることも一つと言えるでしょう。
今日、手話は言語であるという立証が言語学的になされ、
障害者権利条約は手話は言語であると明記しています。
憲法レベルで手話を言語として認めている国も出てきました。
日本も障害者基本法に言語とは手話を含むと言っています。
手話が音声言語より劣勢にあるという形而上学的な思想を覆す試みは続いていますが、
それでもなおマイノリティ言語です。
人々に浸透している「言語は音声が当たり前」という形而上学的な思想を変えていくことが一歩だと感じています。
医療者へのトレーニングプログラムにはこの伝統的かつ、保守的な思想からの脱却が一つのゴールだと思っています。

<参考文献>
Achebe, C. (2005). The politics of language. In B. Ashcroft, G. Griffiths, & H. Tiffin (Eds.) The postcolonial studies reader, (pp.268-271). London, UK: Routledge.

Adichie, C. N. (2009). [TED] シングルストーリーの危険性. Retrieved November 6th, 2019 from
https://www.ted.com/talks/chimamanda_adichie_the_danger_of_a_single_story/transcript?share=1babed25f7&language=ja

Armstrong, D. F., Stokoe, W. C., & Wilcox, S. E. (1995). Gesture and the Nature of language. UK: Cambridge University Press.

Bourdieu, P. (1988). Homo Academics. London, UK: Polity Press.

Fenollosa, Ernest. (1986). The Chinese Written Character as a Medium for Poetry. San Francisco, CA: City Lights, 1986.

iSLanDS. (2015). Cataloguing endangered sign languages. Retrieved from https://www.uclan.ac.uk/research/explore/projects/sign_languages_in_unesco_atlas_of_world_languages_in_danger.php

Ngugi, T. (2011). Decolonizing the Mind: The Politics of Language in African Literature. London, UK: Heinemann Ltd.

Plato. (1998). Cratylus (C. D. C. Reeve、Trans). Indianapolis, IN. Hackett Publishing Company.

Saussure, F. D. (1998). Course in General Linguistics. Chicago, IL. Open court.

United Nation. (2016). A spoken language “disappears every 2 weeks” Retrieved November 6th, 2019 from https://news.un.org/en/audio/2016/01/608532

UNESCO. (2003). Language vitality and endangerment. Retrieved November 6th, 2019 from http://www.unesco.org/new/fileadmin/MULTIMEDIA/HQ/CLT/pdf/Language_vitality_and_endangerment_EN.pdf
Posted by 皆川 at 20:00 | 奨学生生活記録 | この記事のURL