
2016年6月生活記録 第9期生 福田桂[2016年07月27日(Wed)]
サマークラスを終えて、旅立ち。

【写真】春学期に続けて私の通訳として活躍してくださったジェニファーさん(右)
(彼女はJASS設立時、最初のASL講師です(たまに日本のことを話しています))

【写真】ワシントンDCを去る前夜
第9期生瀧澤さん(左)と第7期生中川さん(中)と私。(夜遅くまで語り合った)
旅立ちの日。
東海岸から西海岸へ移動し、カリフォルニア(ナパ)で盲ろう者キャンプに4日間参加した。
ライトハウスの施設に来たのは2回目ですが、キャンプに参加したのは初めてです。
当初はボランティアの機会を頂く予定でしたが、主催者の意向で、参加者の皆さんと交流を楽しんだ。また、そのなかで旧友との再会や新しい出会いもあった。

【写真】看板(看板の前にベンチがある)

【写真】Choiさんと私
(オーロニ大学で大変世話になったライトハウスの盲ろう者プログラムスペシャリスト)

【写真】パーティーにて
(左から私、南部カリフォルニア盲ろう者協会会長、北部カリフォルニア盲ろう者協会会長)
オーロニ大学時代、盲ろう者通訳クラスを指導してくださったバピン先生がいるバークレーのオフィスへ。
先生は昨年の秋に来日し、次回もカリフォルニアで会いましょうとの約束が実現した。
2時間わたり会話し、彼は盲ろう者向けテクノロジー機器の専門家なので、オフィスにある様々の種類のブレイルセンスを紹介してもらった。

【写真】バピン先生と私
(写真の上に先生の大好きな航空機が飾っている。)
◆ 番外編 ◆ ボストンへ行ってきた
ボストン市内にあるDEAF Incに盲ろう者へのサービスがあり、
「盲ろう者コミュニティアクセスネットワーク(http://www.deafinconline.org/services/dbcan/)」。ここは、盲ろう成人を中心としたコミュニケーション訓練を提供し、45時間の研修を行っている。

【写真】DEAF Incのオフィスの前(看板の右側に「サポート」のASLが表現)
職員と訪問者と一緒に撮影(全員盲ろう)

【写真】マサチューセッツ交通局の地下鉄の点字路線図
(日本にも欲しいですね...)
パーキンス盲学校と学習センター訪問
6月は盲ろう者啓発月間です。
パーキンス盲学校は、ヘレン・ケラー女史の母校で、最初の盲ろう学生として入学されたローラ・ブリッジマン女史も同様である。学校には、盲ろうのプログラムがあり、ヘレン・ケラーとローラの歴史に関連する写真や当時使っていた品物等が保管されている場所へ案内してもらった。
ヘレン・ケラーはサリバン女史の指導によって、彼女の手を水に注ぎながら感触を覚えさせ、指文字を習得したことは有名ですが。
ローラ・ブリッジマン女史については、初代校長のハウ博士が触手話を用いてローラを指導したことが、記録されていた。ローラは裁縫が得意で、卒業後は裁縫を指導されたそうです。また、サリバン女史は弱視で、本校在学中、ローラに手話を教わったとされている。ローラが50代のとき、ヘレン・ケラーと対面したが、お互いのコミュニケーションはうまくいかなかったという。当時、ヘレン・ケラーは自身が思春期だったともあり、後になって当時の様子を振り返って、彼女も同じ盲ろうの状態であると知った。
パーキンス盲学校の後は、車で30分程度、森林の中を通り抜いて、学習センター(ボストンのろう学校)で盲ろう児との交流に参加した。
彼らは全員、弱視で盲ろうの状態を自覚し始め、全員が精神不安定を抱える人達で、一緒に外出したが、うまく会話がはかどらないまま解散してしまった。
(白杖使用のアドバイスをし、興味を持ってくれたことは嬉しかった!)

【写真】ローラ・ブリッジマン(左)とヘレン・ケラーの紹介。
左側は、ローラの写真と当時使用していた裁縫道具、銅像。
右側は、ヘレン・ケラーの写真やサリバン先生と過ごした時代の写真。

【写真】タッチ式の巨大触地球儀
(ヘレン・ケラーとローラ・ブリッジマンは地球儀を触りながら世界地図を覚えた)

【写真】学習センターの立看板
7月1日、またワシントン州のシアトルへ移動し、2回の訪問を重ね、リアルの盲ろう者コミュニティを視察してきた。その結果、希望していた研修先が決まり、7月から2ヶ月間の研修(実習)をする予定です。