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聴覚障害者留学
 
 このブログは、2004年度より特定非営利活動法人(NPO)日本ASL協会が日本財団の助成の下実施しております「日本財団聴覚障害者海外奨学金事業」の奨学生がアメリカ留学の様子および帰国後の活動などについてお届けするものです。
 コメントでいただくご質問はブログに書かれている内容の範囲のみでお願いします。それ以外の留学に関するご質問は日本ASL協会の留学担当にお問い合わせ下さい。
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2015年8月生活記録 第7期生 中川美幸[2015年09月14日(Mon)]
こんにちは。8月は、先月のろう学校見学、ボランティアを全て終えた後、実家の石川県に滞在し、家族と一緒に過ごしてきました。
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我が石川県の田んぼです☆癒されますよね☆

8月下旬にはアメリカのギャロデット大学に戻り、先生方やアドバイザーと話し合ったり、少しアルバイトをしながら、8月31日に新学期を迎えました。

私が取る予定の講義は以下の通りです。
☆ EDU320 保育環境 Early Childhood Environments
☆ EDU711 読み書きの応用 アメリカ手話/英語 バイリンガル教室 カリキュラム Literacy Applications in ASL/English Bilingual Classrooms K-12
☆ EDU793 教育実習 Practicum

★ 石川県での情報交換と見学★
☆ ろうの子供たちのための放課後ディサービスの見学
今年の夏に石川県で「きこえこども支援センターひなげし」が開所されました。放課後や夏休みなどの長期休暇中に、聴覚に障がいのある子供たちが、様々な経験を積み重ねるというとても素敵なサービスですが、ろう職員がまだ雇用されておらず、手話が出来る聞こえる職員たちが、頑張って子供たちに対応していました。ずっと昔から、石川県にはろう学校が一つしかないため、親たちはろう学校に連れて行くことを諦めて、普通の学校に入れなければならないという悩みがあったのですが、今年やっと放課後サービスが始まったので、親たちは働き終わった後、または手話の勉強が終わった後、夜に迎えに行くことが出来るようになったのです。私が見学した日は、自由遊びの後、牛乳パックを使っておもちゃを作っていました。色々な遊びを取り入れたり、レクリエーション、地域交流なども盛り込まれています。石川県にやっとろうの子供たちをサポートするサービスが出来てとても嬉しかったです。
(ディサービスの情報は「ニュースろうあ石川 No.411,414」から一部転載させていただきました。)

☆ ろう重複者たち
今年も石川県でろう重複者を支援しているろう職員とお会いして、これから石川県がどう発展していきたいのかを話し合いました。私が、もと福祉系大学を卒業していたこと、元々石川県の寄宿舎(寮)で生活していたので、多くの重複障害者を知っていることから、ろう職員から、是非とも彼らを探して、もっとサポートしていきたいというお話があり、私も微力ながらサポートしていきたいです。施設がまだ少ないために、知的障害者施設などで、独り寂しく過ごしているろう重複者たちが多いのです。前に生活記録で述べたように、ろう重複児お断りの聾学校が多いのですが、我が石川県はろう重複児を積極的に受け入れているため、石川県のろう重複児たちは笑顔がとてもいいのです。

☆ 石川県で多方面での情報交換
毎年石川県立ろう学校でのボランティアを欠かさなかったので、その中から、県内の大学に進学した方とお会いしたり、石川県聴覚障害情報センターの職員とお会いしたりと、大いなるパワーを貰えるような出会いがいくつかありました。彼らの夢、私の夢を話し合い、お互いに頑張ろうと話し合いました。また、私が高校1年の時、日本手話を始める切っ掛けをくださったK女史にもお会いし、日本酒を飲みながら、色々な情報を交換しました。彼女は、私のみならず、今も石川県の多くのろうの大学生、ろう青年たちを支えているのです。彼女へのご恩を忘れず、これからも彼女に引き続き、私もろうあ運動に関わっていきたいです。

☆一番苦しかった親孝行
8月は何回か入院している大切な家族のお見舞いに行き、幾度も顔を見てきました。大切な家族というのは、私の父親なのですが、手足がすごく痩せていました。高校時代、父は毎日私を高校まで、手話サークルまで、二つ掛け持ちしていた部活動の体育館まで送り迎えしてくれました。10年間も闘病してきたのですから、本当に父には感謝しています。アメリカに行かせてくれた私の両親、そして、弟たち、妹にも感謝しています。私の留学もあと一年となりましたが、病院で闘病がこれからも続くであろう、父のためにも頑張ろうと思います。
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