2007年4月 生活記録(2期生 春日幸三)[2007年05月01日(Tue)]
5月3日に帰国する為、早めに投稿させて頂きます。
4月8日頃、首都ワシントンDCにおいて最も有名なTidal Basinでは、桜が満開でした。
この桜は、昔日本から贈られた3000本位の桜が元であり、日本産の桜なのです。
私は土曜日か日曜日に桜を見に行こうと思いましたが、仕事が入って行けませんでした。
それでも絶対に行きたいと思っていたところ、たまたま火曜日の午後が空いたので、クラスが終わった後すぐに見に行きました。
行ってみたら、凄い人出で、車も大渋滞でした。
さらにビックリしたのは、お酒を飲みながら騒いでいる人はいませんでした。
アメリカでは、屋外での飲酒は禁止なのかな?と思いました。
でも美しい桜と出会え、日本とは違う雰囲気のお花見を経験できて、本当によかったと思います。
ギャロデット大学が創立されてから150周年を迎え、特別講演会などのイベントがありました。
カーン元学長が講演する時には、ピリピリとした雰囲気でしたが、3日間のイベントの内容はとても良かったと聞きました。と言うのも実は、参加費が150ドルと高くて、参加出来なかったのです。
(職場のインタビューについて)
事前に予約していた3月26日に、事業責任者とIIP担当者と話し合いをするはずだったのですが、事業責任者の都合が悪く延期され、4月8日にようやく話し合いを行ないました。
私は途中から入った為に、インターンシップは諦めざるをえなくて、見学と質疑応答の方法に変更するという事で、解決しました。
その話し合い後、IIP担当者から1週間以内に返事を頂くはずでしたが、1週間以上待っても返事がありませんでした。
IIPの担当者に会い、その件について聞いてみたところ「その件は、事業責任者に連絡したはずです」と言われたのですが、実際には事業責任者より私宛に1度も連絡がありませんでした。
その為、次に事業責任者に督促したところ、「私は関係ない」との回答でした。
何の為に4月8日に話し合いをおこなったのか?もわかりません。
事業責任者とIIP担当者との間でも、最後までトラブルが続き、私はどちらに相談したら良いのか?も分からないままでした。最後までトラブルが続いた事は本当に残念でした。
IIPの担当者に相談しても仕方が無いと分かりましたが、残された僅かな日々の中で諦めきれずに、連絡先だけ教えてもらって、自分で直接交渉したら、私1人だけで「ろう者の労働問題」についてのインタビューを行なう事が出来ました。
その人はろう者の弁護士さんでした。
始めは、ろう労働問題だけのテーマでインタビューする予定でしたが、弁護士さんが熱心で「アメリカのろう者の地域差別」「弁護士さんの苦労」などの話も聞かせて頂きました。
あっと言う間に2時間過ぎてしまいました。
さらに、昼食のご馳走まで頂きながら、結局は3時間も色々な話をして下さったり、私から質問したりする事も出来て、嬉しかったです。
(クラス)
最後の期末(3回目)試験は、前回の試験より難しかった為、得点も前回より悪かったのが残念でした。
もう1つの期末試験であるプロジェクト試験があって、これが一番大事な試験でした。
私も講演を行なった事で、全て無事に終了し安心しました。
私は「日本とアメリカのタイム・服装・行動の違い」という題で講演をしました。
(特別学習)
各教師に特別予約を頂いて、個別学習を行ないました。
その学習では、秋季クラスのまとめや、自分でプロジェクトなどを作成した内容を確認して頂きました。
通訳の関係は一部、ろう学校の関係は全てOKサインを頂き、これで全て完了しました。
通訳の関係は思ったより難しく、頑張って勉強したのですが、時間が足りず残念でした。
しかし、通訳の教授より「このプロジェクトは難しいのに、最後まで努力し頑張った事は誉めたい」と言われ嬉しかったです。
せめて、あと1ヶ月間くらい学びたかったというのが本音です。
日本語はちょっと自信がないので、帰国しても英語の翻訳作業は続け、学んで行きたいと思っています。
(アルバイト)
4月に入ってからサービス担当が加わり、3箇所を担当し働く事になりました。
こんなに部署で3箇所も一人で担当する人は他にいません。その為、1週間をほぼ通して働いていることになりました。
勤務(給料締切)の関係で4月20日に契約満了になるはずでしたが、上司から帰国する日の直前である4月30日まで残って欲しいと要望されました。従って、4月29日まで勤務を延長して働く事になりました。
勤務時間内の食事は、作ってもらっていましたが、料理の担当者から「自分で食事を作れ」と冗談半分で言われ、私はラッキーと思いました。何故なら私は料理をするのが大好きだからです。早速自分でチキンピラフを作りました。料理担当者が「なんで?料理が上手いね!野菜を切るなんて出来ないだろうし、料理は焦がしてしまうだろうと思っていたのに、料理が出来るなんて驚いた」と言われました。日本の味で作ったものを食べられて幸せでした。そこは、日替りでタイ・中国・ロシアなどの食事が出るのですが、日本食は出て来ません。私から担当者に日本食も出して欲しいと要望しました。今まで、日本人から要望された事がなかったし、どんな食事を作ったらよいのかもわからなかったと言われました。4月24日の夜、初めて日本食が出されました。味はイチマチですが、日本食が出た事が嬉しかったです。今後もたまには出してくれると思うので、日本食を食べたい人には喜ばれると思います。
(その他)
奨学生の中で、私が帰国の第一号者となります。
5月3日に日本へ帰国となりましたので、今回の投稿にて最後とさせて頂きたいと思います。
4月29日に池上さんと高山さんや私の友人達から送別会をやって頂きました。
振り返ってみると、1年間で池上さんと高山さんに口喧嘩したり、ミニ旅行へ連れて頂いたり、最後の送別会まで色んな思い出を作っていただいた事は本当に感謝しています。
はじめ、日本財団、日本財団助成事業から色々お世話になった事、またはこのブログで読者の皆様には最後まで読んで頂き心からお礼を申し上げます。
個人ブログは当分の間に投稿を継続して行きたいと思いますので、これからも宜しくお願い致します。
4月8日頃、首都ワシントンDCにおいて最も有名なTidal Basinでは、桜が満開でした。
この桜は、昔日本から贈られた3000本位の桜が元であり、日本産の桜なのです。
私は土曜日か日曜日に桜を見に行こうと思いましたが、仕事が入って行けませんでした。
それでも絶対に行きたいと思っていたところ、たまたま火曜日の午後が空いたので、クラスが終わった後すぐに見に行きました。
行ってみたら、凄い人出で、車も大渋滞でした。
さらにビックリしたのは、お酒を飲みながら騒いでいる人はいませんでした。
アメリカでは、屋外での飲酒は禁止なのかな?と思いました。
でも美しい桜と出会え、日本とは違う雰囲気のお花見を経験できて、本当によかったと思います。
ギャロデット大学が創立されてから150周年を迎え、特別講演会などのイベントがありました。
カーン元学長が講演する時には、ピリピリとした雰囲気でしたが、3日間のイベントの内容はとても良かったと聞きました。と言うのも実は、参加費が150ドルと高くて、参加出来なかったのです。
(職場のインタビューについて)
事前に予約していた3月26日に、事業責任者とIIP担当者と話し合いをするはずだったのですが、事業責任者の都合が悪く延期され、4月8日にようやく話し合いを行ないました。
私は途中から入った為に、インターンシップは諦めざるをえなくて、見学と質疑応答の方法に変更するという事で、解決しました。
その話し合い後、IIP担当者から1週間以内に返事を頂くはずでしたが、1週間以上待っても返事がありませんでした。
IIPの担当者に会い、その件について聞いてみたところ「その件は、事業責任者に連絡したはずです」と言われたのですが、実際には事業責任者より私宛に1度も連絡がありませんでした。
その為、次に事業責任者に督促したところ、「私は関係ない」との回答でした。
何の為に4月8日に話し合いをおこなったのか?もわかりません。
事業責任者とIIP担当者との間でも、最後までトラブルが続き、私はどちらに相談したら良いのか?も分からないままでした。最後までトラブルが続いた事は本当に残念でした。
IIPの担当者に相談しても仕方が無いと分かりましたが、残された僅かな日々の中で諦めきれずに、連絡先だけ教えてもらって、自分で直接交渉したら、私1人だけで「ろう者の労働問題」についてのインタビューを行なう事が出来ました。
その人はろう者の弁護士さんでした。
始めは、ろう労働問題だけのテーマでインタビューする予定でしたが、弁護士さんが熱心で「アメリカのろう者の地域差別」「弁護士さんの苦労」などの話も聞かせて頂きました。
あっと言う間に2時間過ぎてしまいました。
さらに、昼食のご馳走まで頂きながら、結局は3時間も色々な話をして下さったり、私から質問したりする事も出来て、嬉しかったです。
(クラス)
最後の期末(3回目)試験は、前回の試験より難しかった為、得点も前回より悪かったのが残念でした。
もう1つの期末試験であるプロジェクト試験があって、これが一番大事な試験でした。
私も講演を行なった事で、全て無事に終了し安心しました。
私は「日本とアメリカのタイム・服装・行動の違い」という題で講演をしました。
(特別学習)
各教師に特別予約を頂いて、個別学習を行ないました。
その学習では、秋季クラスのまとめや、自分でプロジェクトなどを作成した内容を確認して頂きました。
通訳の関係は一部、ろう学校の関係は全てOKサインを頂き、これで全て完了しました。
通訳の関係は思ったより難しく、頑張って勉強したのですが、時間が足りず残念でした。
しかし、通訳の教授より「このプロジェクトは難しいのに、最後まで努力し頑張った事は誉めたい」と言われ嬉しかったです。
せめて、あと1ヶ月間くらい学びたかったというのが本音です。
日本語はちょっと自信がないので、帰国しても英語の翻訳作業は続け、学んで行きたいと思っています。
(アルバイト)
4月に入ってからサービス担当が加わり、3箇所を担当し働く事になりました。
こんなに部署で3箇所も一人で担当する人は他にいません。その為、1週間をほぼ通して働いていることになりました。
勤務(給料締切)の関係で4月20日に契約満了になるはずでしたが、上司から帰国する日の直前である4月30日まで残って欲しいと要望されました。従って、4月29日まで勤務を延長して働く事になりました。
勤務時間内の食事は、作ってもらっていましたが、料理の担当者から「自分で食事を作れ」と冗談半分で言われ、私はラッキーと思いました。何故なら私は料理をするのが大好きだからです。早速自分でチキンピラフを作りました。料理担当者が「なんで?料理が上手いね!野菜を切るなんて出来ないだろうし、料理は焦がしてしまうだろうと思っていたのに、料理が出来るなんて驚いた」と言われました。日本の味で作ったものを食べられて幸せでした。そこは、日替りでタイ・中国・ロシアなどの食事が出るのですが、日本食は出て来ません。私から担当者に日本食も出して欲しいと要望しました。今まで、日本人から要望された事がなかったし、どんな食事を作ったらよいのかもわからなかったと言われました。4月24日の夜、初めて日本食が出されました。味はイチマチですが、日本食が出た事が嬉しかったです。今後もたまには出してくれると思うので、日本食を食べたい人には喜ばれると思います。
(その他)
奨学生の中で、私が帰国の第一号者となります。
5月3日に日本へ帰国となりましたので、今回の投稿にて最後とさせて頂きたいと思います。
4月29日に池上さんと高山さんや私の友人達から送別会をやって頂きました。
振り返ってみると、1年間で池上さんと高山さんに口喧嘩したり、ミニ旅行へ連れて頂いたり、最後の送別会まで色んな思い出を作っていただいた事は本当に感謝しています。
はじめ、日本財団、日本財団助成事業から色々お世話になった事、またはこのブログで読者の皆様には最後まで読んで頂き心からお礼を申し上げます。
個人ブログは当分の間に投稿を継続して行きたいと思いますので、これからも宜しくお願い致します。
一年間本当にお疲れ様でした。無事帰国されることが一番です。ご自宅に到着するまで気を抜かず、お気をつけ下さい。
楽しいことも、そうでない事もいろいろあったと思いますが、アメリカでの一年が春日さんの今後の毎日にプラスになる事を願っています。