2014年8月生活記録 第9期生 福田桂[2014年12月16日(Tue)]
はじめに、生活記録の投稿が大変遅れたことをお詫びします。
11月の生活記録までの4ヶ月間分をまとめています。今後は毎月投稿できるよう努力したいと思っています。
キャンプの後は、ラスベガスに行ってきました。友人と一緒にレンタカーを借りてドライブ、グランドキャニオン国立公園とフーバー・ダムへ観光しに行きました。長年の夢だったグランドキャニオンにて大自然の雄大さに癒されながら、カジノ都市のラスガベスに戻りました。ラスベガスの気候はかなり異常過ぎました。毎日40度も上回っていてとても暑かったです!
会場ホテルの前
ダウンタウンの中心部から離れた老舗ホテルの会場で、国際盲ろう者エキスポが7月30日〜8月3日まで開催されました。国際的な盲ろう者エキスポは世界初とのこと、海外からはオーストラリア、コロンビア、イタリアら他国の参加者を含む約600名集っていました。
アメリカは、盲ろう者向け通訳者と介助者(SSP)養成は大学のコースで学ぶが、日本のような自治体が実施する養成講習会や学校はないと聞いています。そのためのワークショップの機会を与えられました。通訳・介助者と盲ろう者に分かれ、盲ろう者には通訳・介助者の依頼方法と問題解決を対象したワークショップがあり、Pro-Tactile、ADA法の基礎知識、アメリカ合衆国議会に対する要望と意見交換などにも行いました。また、盲ろう者用の生活用品やテクノロジー機器、ライトハウス、某盲ろう者協会など多くの出展がありました。
エキスポの様子 −その1−
(会場の風景、後方に全体通訳が立っている)
エキスポの様子 −その2−
(Pro-Tactileのワークショップ中)
エキスポの後は、日本に一時的帰国しました。実は、出発までハプニングがありました。サンフランシスコ空港まで送ってくれた友人の車に白杖を忘れ、また航空券予約のトラブルで空港内に一夜過ごしたりしましたが、予定通りの日程に帰れました。今回の帰国は、目の診察と遮光眼鏡購入のため、実家帰省も入れて10日間、日本に滞在しました。
アメリカの健康保険事情ですが・・・
アメリカは国民皆保険制度がなく、網膜疾患の既往症を持っている私には保険適用外となります。診察等で高い医療費用を支払ってしまうことになるのでお勧めできません。アメリカの病院で初診と検査を受けるだけで、日本への往復航空券分と同額になるほどかかります。保険は加入しているほうが安心できますね。
日本滞在中は...
筑波大学附属視覚特別支援学校にて全国盲ろう者教育研究会に参加してきました。
テーマが先天性盲ろう児とのコミュニケーションで、全盲ろう児がどのように言葉を獲得するのかを興味に持ちました。ろう児は目で物を見ることから始めるが、盲ろう児の場合は自らサインの表現をし、親や教師がそのサインの意味を理解したところで彼らの間でコミュニケーションし始めて、物を触りながら言語を習得していくそうです。フランスの盲ろう学校元校長のジャック・ソリオ氏、ネットによるライブ講演でしたが、到着後間もなかったため、講演会中は睡魔との激闘末、半分は負けてしまいました。
盲ろう児教育は、
1942年、山梨盲啞学校で盲ろう児が2名いたことによって始まりました。当初は教師と研究者メンバーでしたが、近年では盲ろう児もその親も加わり、様々な場で活動を展開しています。
2011年に日本初の大学進学した先天性視覚と聴覚に障がいを持つ青年の成長過程の例も挙げられています。その青年とは、通訳・介助者研修会で出会った以来、良い友人として至っています。まるでヘレン・ケラーのように、家族と学校の先生と共に試行錯誤をしてきました。鉄道好きのその青年は、今年の夏に一人旅を挑戦したことで、私の故郷、島根県出雲市までバスと電車で来てもらい、その青年のために一畑電車を案内しました。さらに今度は、アルバイトも始めたようです。将来有望の青年と今後一緒に活動することをすごく楽しみにしています。
カリフォルニアに戻ってからもハードスケジュールは続きました。1日間で引っ越しの処理を済ませ、翌日にはワシントンD.C.に発ちました。到着早々、旅の疲れと安堵感があったからか、体調を崩してしまい、新入生オリエンテーションやら新学期が始まってもその状態は続いたのです。環境の変化に弱いので、11月を過ぎた今、ようやくDCでの生活リズムを整えたところです。