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聴覚障害者留学
 
 このブログは、2004年度より特定非営利活動法人(NPO)日本ASL協会が日本財団の助成の下実施しております「日本財団聴覚障害者海外奨学金事業」の奨学生がアメリカ留学の様子および帰国後の活動などについてお届けするものです。
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2014年1月生活記録 第7期生 川口聖[2014年01月20日(Mon)]
年越しのワシントンDCは静寂閑雅と言っていいのか、新年の花火がなく、いつも通りの夜だった。初詣ができるところや初日の出が見られるところがない、福袋もない、新年を祝うイベントと言えば、家族友人知人などの同士が家やレストランなどで祝うだけのところが多かった。アメリカではクリスマスを境に、年が変わるかのようである。また、アメリカの「旧正月」といえば、感謝祭ではないかなという感じがしている。日本にでもニュースになっていた通り、ワシントンDCにもポトマック川が凍るほど、大寒波が来た。しかし、アパラチア山脈が寒波の南下を抑えているかのように、1日に粉雪が15センチ程積もっただけで、平年通りの感じである。5週間程の冬休みは、その前半にやはり燃え尽き症候群にかかったような感じがあって、身体が忙裡偸閑を促しているかのようで、どこも行かずにワシントンDCでずっと「冬ごもり」をするハメになった。

JAN1.JPG
(ギャロデット大学近くの雪景色)

ワシントンDCでは、アメリカ合衆国の博物館の「メッカ」と言っていいほど、いろんな博物館が観光名所になっている。日本で言えば、上野公園みたいであるが、規模は断然ワシントンDCのほうが大きい。しかも、入館料なしで誰でも入れるところが多いのである。やはりワシントンDCにいる間は、ワシントンDCにある全ての博物館をまわろうと決めている。今後、それらの博物館へ行った時の感想をちょくちょく載せていきたい。

☆United States Holocaust Memorial Museum(アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館)
独断的な5段階評価は、★★★★☆(4つ星)。入館希望時間を伝えて、待ち時間を減らすための整理券が配られるほど、人気のある博物館である。小生が行った時は、中学生以上かなという感じの若い人達がいっぱい来ていた。小学生までは、死体写真や殺伐映像が展示されているほどなので、さすがにいなかったような気がしている。日本で言う「社会科見学」で来ているようなグループが目立っていた。整理券で指定された時間に、展示会場の入口となるエレベータ前に集合して、最上階まで上がり、順路に従っていろんな展示物を見ながら、1階フロントまでずっと歩いて下りるという観覧の流れである。思ったより広くて、歩くだけで2時間以上かかった感じだった。ホロコースト博物館はヨーロッパにもあちこちあって、小生はドイツのベルリンとポーランドのワルシャワで観覧したことがあるが、ワシントンDCのほうが一番大きいという感じであった。★★★★★(5つ星)としても認めたいほどであるが、やっぱり実際にワシントンDCでホロコーストが起きたわけではないし、むしろドイツやポーランドまで行って観覧したほうがいいという意味で、★★★★☆(4つ星)とした。

実に、ワシントンDCのホロコースト記念博物館に入館する前に、一つ疑問を持っていた。「なんで子供まで収容されるの?ユダヤ教を信じていないと言えば、うまく逃げられたのではないかな?」である。実際に観覧してみて、ものすごく理不尽さを感じるほどのショックを受けた。なんと本人がユダヤ教徒(人)でなくても、祖父母がユダヤ教徒(人)であれば、誰彼かまわず収容されたそうである。自分はユダヤ教徒(人)ではないのに、ガス室に入れられたとなれば、全く想像できないほどの感情が沸き起こったであろう。

同時に、人種差別の恐ろしさを思い知らされ、なぜ差別が起きるか、自分なりに考えてみた。やはり、差別の心は誰でも持っているものだ。人は誰でも他人を認めたがらないところを、自分がどんなにそれを否定しても、必ず持っている。なぜなら、わかりやすい例として、臓器移植をする時に、必ずと言っていいほど拒絶反応が起きるという生体反応がある通り、人は他人をなかなか受け入れられないという本能があるからだ。それほどに人はもともと弱い存在であるのに、それをなかなか認めようとしないで、その自分自身の問題を他人のせいにしたがるという差別の心ができてしまうのだ。しかし、差別の心を増幅しないよう自分自身でうまくコントロールできるはずである。にもかかわらず、他人とある共感ができることで、最悪ケースとして人を殺してしまうほどになってしまう。つまり、文化、人種、宗教、政治などの共通認識を持ったグルーブが差別行為を許す法制化やルール化を起こしてしまうのだ。こうしてユダヤ人迫害が起きてしまったであろうと想像できる。要するに、人は誰でも差別の心を持っている、だからこそ、差別行為を許す法制化、あるいは特定のグループによる差別行為を許すルール化を、絶対にさせないことが、私たち人間としての使命であると、小生は思ったのである。

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(ホロコースト記念博物館)
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