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聴覚障害者留学
 
 このブログは、2004年度より特定非営利活動法人(NPO)日本ASL協会が日本財団の助成の下実施しております「日本財団聴覚障害者海外奨学金事業」の奨学生がアメリカ留学の様子および帰国後の活動などについてお届けするものです。
 コメントでいただくご質問はブログに書かれている内容の範囲のみでお願いします。それ以外の留学に関するご質問は日本ASL協会の留学担当にお問い合わせ下さい。
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2013年6月生活記録 第7期生 川口聖[2013年07月31日(Wed)]
こちらワシントンDCでは、夕方にまとまった雨がどばーっと降る日が多くなるなど、梅雨みたいな季節になっている。5月下旬から長い夏休みが始まっている。私事ながら、2年近く日本を離れていたことなので、5月下旬から2週間、一時帰国した。帰省中は日米文化の違いを再確認するとともに、自分はやっぱり根っこから日本人なんだなと、改めて再認識したものだ。

浅草.jpg
(日本人ならではの文化の名所、スカイツリーは当分お預けに)

☆日本言語政策学会に参加して
6月1日(土)から2日(日)まで桜美林大学で開催された日本言語政策学会第15回記念大会へ、手話通訳がつくと聞いて、また日本における言語政策とは何か学びたくて参加してきた。日本言語政策学会とは、日本社会において様々な言語問題に対する理解を促すために、1999年設立された学会である。言語政策とは、ギャロ大での社会言語学クラスでちょっとかじっただけですが、政府で作られるだけでなく、学校、会社、家庭などにおいても作られる、私たちにとってはすごく身近なものなのだ。手語についても、政府、学校、会社、家庭などにおける言語政策にすごく関わっている。家庭における言語政策とは何か、あまりピンと来ないものだが、親が家庭においてどの言語を使うか決定することと同じである。そこで、その大会で印象に残ったのは、言語権とコミュニケーション権についてであった。その会合ではあいまいに感じたので、素人感覚ながら改めて考えてみた。そもそも人権とは個人の尊重から考えられたものであり、様々な社会における個人がどのような権利を持つかの話である。コミュニケーション権は知る権利と同じであり、個人に対するきちんとした説明や情報提供などが当然となるので、音声日本語だけでなく、手語、指文字、空書、筆談、符号化日本語(これまで言われている、手指日本語や日本語対応手話などの類をいう)などのあらゆるコミュニケーションを活用して、個人の知る権利を保障することである。言語権は個人がどの言語を使うかを保障するための権利である。言語とは「自然発生したもの」と学術的に定義付けられているので、日本における言語とは、方言を含めた、日本語(他にアイヌ語、琉球語などもある)そして日本手語となる。符号化日本語は、日本語を多少知らないと使えない、日本語を基盤にしたものなので、日本手語の類には入らないとなるのだ。このように言語権とコミュニケーション権の違いを理解することは、私たち一人一人が実際に関わっている言語政策において最も大切ではないかと学ばされたものである。

一時帰国報告.jpg
(日本人ならではのパワースポット、千代田区にて)

☆縁の下の力持ち
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安倍総理のメッセージ
6月27日(木)投稿
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救助してくれた自衛隊員に、「名前を教えて欲しい」と聞いたところ、
「チームで救助しているので個人の名前は言えない」

ヨットで太平洋横断中に遭難したニュースキャスターの辛坊治郎さんと、
救助に当たった海上自衛隊員のやり取りです。

「では、せめてチームの名前を教えて欲しい」。
そういう辛坊さんに、隊員は自分の飛行服の腕についていたワッペンをはがして渡したのだそうです。

命がけで任務を果たしたにもかかわらず、自らの手柄を誇らない。
公務に当たるものはこうありたい。自衛隊の最高指揮官として、大変誇らしく思いました。

海上自衛隊岩国基地の第71航空隊のワッペンです。

(引用:安倍首相公式ページより)

このメッセージを読んだ時、個人主義の強いアメリカでは考えられない、さすが日本の文化だなと、思わず納得したものである。世界からみて、無宗教派の人が多いと言われている日本に、こういうことができるだろうか。アメリカで2年近く暮らしてきて、よくわかるのですが、スーパーマンとかアイアンマンなどをご覧いただければわかる通り、ヒーローをたたえるような物語や報道が目立っている。アメリカはどちらかというと、キリスト教の影響が強いほうなので、人の形をした「神」の存在を肯定的に捉えている。しかし、日本では、天才、天命、天下、天気、天狗、天職などのように、一般生活の中で人より自然の形をした「天」がつく言葉がよく使われている。また、「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」、「能ある鷹は爪を隠す」など、昔からの言い伝えが数多く残されているとおり、国の成り立ちとしては世界的にもすごく古い歴史がある。その長い歴史が経典代わりになっているかのようなので、世界から無宗教派の人が多い国と見られてしまったのではないかと感じたものである。
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