2011年6月生活記録 (第5期生 川俣郁美)[2011年07月15日(Fri)]
◆◇オンラインクラス 社会学入門◇◆◇
5月下旬から7月初旬の6週間の間、サマークラスとして社会学入門を受講した。今回は初めてオンラインで受講してみた。通信教育のようなもので、インターネットを通して講義を受ける。アメリカにはオンラインクラスを提供している大学が多くあり、カリキュラムすべての授業を通信教育で履修する事もできれば、一講義だけをオンラインで受講して単位を取得することも可能である。
今までオンラインクラスを受講している友人が周りに多くいたので、ずっと気になっていた。それも、今までの授業はすべて手話―先生が手話を話すか、手話通訳を通しての授業―で受けていたので、英語よりもアメリカ手話の方が理解しやすい私にとって、英語だけで受ける授業には少し不安があった。だが、今は英語にもだいぶ慣れてきたのと、さらに英語力を向上したいという気持ちもあって、オンラインクラスを受講してみた。
当初、社会学と聞いて何を学ぶのかイメージができなかった。高校で習った現代社会みたいなことを学ぶのかなと想像していたが、学んでみると、違った。
社会学は「人間」そのものの勉強だと思った。社会を作り出しているのは「人間」である。人間の考えや行動がどう社会のしくみに影響するか、逆に社会のしくみがどう人間の考えや行動に影響するか。「社会のしくみ」と「人間」の関係性を文化、ジェンダー、集団、地位、権力、階級、制度、秩序、逸脱行為、など多様な面から分析していく、という様なものだ。
授業内容は、主に教科書を読み、小テストを受け、掲示板でディスカッションに参加する。その他、定期的にレポート提出とテストが行われた。
オンラインだったので、個人的に課題やテストをこなして提出するだけかと思ったら、クラスメイトと掲示板でディスカッションをしたり、意見交換する機会があったことに驚いた。印象深いディスカッションが多くあり、そのひとつを下記で紹介したい。
◆◇ラベリング理論(Labeling theory)◇◆◇
ラベリングとは、ある人のごく一部を見ただけで、レッテルを貼り、それがその人の全てであると決め付けることを言う。たまたまテストの成績が悪かっただけで、「頭が悪い」と決め付けるようなことだ。
人間の特性と振る舞いは、周囲から貼られるレッテルによって左右される。レッテルを貼られた人は、そのレッテルを徐々に受容し、そのレッテルに沿ったアイデンティティと行動パターンを形成するようになる、というのがラベリング理論である。
これをもとに、クラスメイト達とどんなラベリングがあるのか話し合ってみた。
「頭が悪い」「怠け者」「黒人」「女性」「大人」「こども」「アラブ人=テロリスト」「貧乏」「同性愛者」…
中でも「障害者」のラベリングについての話し合いが印象的だった。
「障害者」というレッテルには、かわいそう、私たちとは違う、一人では何もできない、という風潮がある。社会的弱者として扱われ、社会参加の機会を与えてもらえない。そういうレッテルを貼られ、そう扱われた人たちは、「自分はかわいそうな存在なんだ。」「私にはできない。」「障害があるからダメなんだ。」と、ますます自信をなくし、出来ていたことが出来なくなったり、やる前からあきらめてしまう、という悪循環を生む。「障害者」を「障がい者」にしても、その人をかわいそう、私たちとは違う、というような意識がある限りは、この悪循環はなくならない。
クラスでこのような話し合いを持つ事で、今日もなお、多くの差別や偏見が身近にあることや、それによって様々な影響が生み出されている事実を改めて実感した。日常の生活場面に置いて無意識に行ってきた言動に潜む偏見や差別を、クラスみんなで自覚する良い授業となった。
◆◇風邪引いた!◇◆◇
サマークラスが終わった次の日に風邪を引いた。学期の終わりは生活が不規則になりがちなので、セメスターが終わるごとに体調を崩すのは毎度の事になりつつある…。
いつもは、少し頭痛がしたり、喉が痛くなる程度なのだが、今回は熱を出したらしく、3日間ダウンしてしまった。こんな風邪を引いたのは、約10年ぶりだろうか。(笑) 風邪を引いた事によって現れる関節痛を初めて体験し、布団の中で「痛いぃぃぃ!!!」とうめきながらも、「これが関節痛かー!!!」とちょっぴり感動していた自分がいたことはここだけの話である。
学校が休みでよかった、と思うと同時に、ルームメイトがいてよかったと思った。私の世話をしてくれたルームメイトに感謝したい。
5月下旬から7月初旬の6週間の間、サマークラスとして社会学入門を受講した。今回は初めてオンラインで受講してみた。通信教育のようなもので、インターネットを通して講義を受ける。アメリカにはオンラインクラスを提供している大学が多くあり、カリキュラムすべての授業を通信教育で履修する事もできれば、一講義だけをオンラインで受講して単位を取得することも可能である。
今までオンラインクラスを受講している友人が周りに多くいたので、ずっと気になっていた。それも、今までの授業はすべて手話―先生が手話を話すか、手話通訳を通しての授業―で受けていたので、英語よりもアメリカ手話の方が理解しやすい私にとって、英語だけで受ける授業には少し不安があった。だが、今は英語にもだいぶ慣れてきたのと、さらに英語力を向上したいという気持ちもあって、オンラインクラスを受講してみた。
当初、社会学と聞いて何を学ぶのかイメージができなかった。高校で習った現代社会みたいなことを学ぶのかなと想像していたが、学んでみると、違った。
社会学は「人間」そのものの勉強だと思った。社会を作り出しているのは「人間」である。人間の考えや行動がどう社会のしくみに影響するか、逆に社会のしくみがどう人間の考えや行動に影響するか。「社会のしくみ」と「人間」の関係性を文化、ジェンダー、集団、地位、権力、階級、制度、秩序、逸脱行為、など多様な面から分析していく、という様なものだ。
授業内容は、主に教科書を読み、小テストを受け、掲示板でディスカッションに参加する。その他、定期的にレポート提出とテストが行われた。
オンラインだったので、個人的に課題やテストをこなして提出するだけかと思ったら、クラスメイトと掲示板でディスカッションをしたり、意見交換する機会があったことに驚いた。印象深いディスカッションが多くあり、そのひとつを下記で紹介したい。
◆◇ラベリング理論(Labeling theory)◇◆◇
ラベリングとは、ある人のごく一部を見ただけで、レッテルを貼り、それがその人の全てであると決め付けることを言う。たまたまテストの成績が悪かっただけで、「頭が悪い」と決め付けるようなことだ。
人間の特性と振る舞いは、周囲から貼られるレッテルによって左右される。レッテルを貼られた人は、そのレッテルを徐々に受容し、そのレッテルに沿ったアイデンティティと行動パターンを形成するようになる、というのがラベリング理論である。
「Sociology in Our Times (8th ed.)」 Diana Kendall著 から引用
実際に「不良」レッテルを貼られたグループは、「優秀」レッテルを貼られた
グループより非行に走りやすい、と言う結果が出ている。
実際に「不良」レッテルを貼られたグループは、「優秀」レッテルを貼られた
グループより非行に走りやすい、と言う結果が出ている。
これをもとに、クラスメイト達とどんなラベリングがあるのか話し合ってみた。
「頭が悪い」「怠け者」「黒人」「女性」「大人」「こども」「アラブ人=テロリスト」「貧乏」「同性愛者」…
中でも「障害者」のラベリングについての話し合いが印象的だった。
「障害者」というレッテルには、かわいそう、私たちとは違う、一人では何もできない、という風潮がある。社会的弱者として扱われ、社会参加の機会を与えてもらえない。そういうレッテルを貼られ、そう扱われた人たちは、「自分はかわいそうな存在なんだ。」「私にはできない。」「障害があるからダメなんだ。」と、ますます自信をなくし、出来ていたことが出来なくなったり、やる前からあきらめてしまう、という悪循環を生む。「障害者」を「障がい者」にしても、その人をかわいそう、私たちとは違う、というような意識がある限りは、この悪循環はなくならない。
クラスでこのような話し合いを持つ事で、今日もなお、多くの差別や偏見が身近にあることや、それによって様々な影響が生み出されている事実を改めて実感した。日常の生活場面に置いて無意識に行ってきた言動に潜む偏見や差別を、クラスみんなで自覚する良い授業となった。
◆◇風邪引いた!◇◆◇
サマークラスが終わった次の日に風邪を引いた。学期の終わりは生活が不規則になりがちなので、セメスターが終わるごとに体調を崩すのは毎度の事になりつつある…。
いつもは、少し頭痛がしたり、喉が痛くなる程度なのだが、今回は熱を出したらしく、3日間ダウンしてしまった。こんな風邪を引いたのは、約10年ぶりだろうか。(笑) 風邪を引いた事によって現れる関節痛を初めて体験し、布団の中で「痛いぃぃぃ!!!」とうめきながらも、「これが関節痛かー!!!」とちょっぴり感動していた自分がいたことはここだけの話である。
学校が休みでよかった、と思うと同時に、ルームメイトがいてよかったと思った。私の世話をしてくれたルームメイトに感謝したい。
オレンジ色の液体状の風邪薬。他に緑と赤が売っていました…。
味はこども用歯磨き粉みたいな味でした…。
味はこども用歯磨き粉みたいな味でした…。