2011 4月 生活報告 富田[2011年05月19日(Thu)]
はじめに
このプログが最後の投稿になるということで、今月は二つに分けて投稿したいとおもいます。一回目は前の生活報告記録に続いて、今月の授業や、クラスの様子などを報告し、それから二回目の投稿には卒業の報告と挨拶を投稿したいとおもいます。
ELIのクラス担任のサプライズ誕生日パーティ
インターンシップの最後の週にはちょうど生徒たちのプレゼンテーションがあり、その内容も、Level 1, 2, 3のクラスの生徒たちが合同でお互いのプレゼンテーションを発表しあうという企画である。偶然なことに、その当日は担任の先生の誕生日であった。前日に生徒たちから「明日は担任の先生のサプライズで誕生日をお祝いするから、朝のミーティングで出来るだけ気を引いて時間稼ぎほしい」と言われていた私は、担任のオフィスで、携帯をちらちら見ながら、時間稼ぎに一生懸命であった。担任の先生が不自然におもわないかと、今こそ、ばれたんじゃないかとおもいつつも、時間だけがすぎ、ついに携帯がなった。生徒たちの準備は整ったようだ。「そろそろ時間だからいきましょう」と声をかけ、オフィスを離れ、教室へ向かった。私たちが教室に入ったとき、生徒たちのクラッカーの歓迎、テーブルに飾られた手作りのケーキ、お菓子の山々、カード、生徒たちのサプライズはよほど効果的だったらしく、担任の先生は落ち着くまで、四十六時、目をまるくして、「OH MY GOD」を連発していた。作戦成功!

しばらくの間、わいわい談笑を楽しんだあと、厳しいことで有名な担任の先生は生徒たちのサプライズにも関わらず、「これとこれは別です」といって、プレゼンテーション企画を予定通りすすめたのでありました。えーー、と叫んだ生徒たちの顔もどことなくうれしそうで、生徒たちと担任の先生の絆を感じた瞬間でした。最後のインターンシップは忘れられない日となりました。
教育学部と言語学部から、ろう児/難聴児の言語習得過程について、感じたこと
タイトルのとおり、ここでは今学期、ろう児、難聴児の言語習得過程について、教育学部、言語学部からクラスをとった後の感想についてまとめている。今学期、教育学部からはEDU 713 Language Acquisition and Cognitive Development(言語習得と認知力の発達過程)、言語学部からは、LIN 510 First Language and Second Language (第一言語と第二言語)を履修した。 なぜ教育学部と言語学部を比較するのかという質問がまずここで出てきそうだから、ここでまず、このタイトルでまとめようと思った理由を述べておきたい。
ギャロデット大学に入学してからというものの、教育学部と言語学部の間を行き来しながら、言語、言語習得過程、発達過程、手話のしくみ、ジェスチャー、教育メソッド、などと様々なトピックに関する教科を取ってきた。これまでの経験からいうと、教育学と言語学とでは、一つの用語の定義のなされ方や、使い方にしても異なっており、それがネックになるとまでは言わないが、自身の学習過程においても特定のやりにくさがあったのも事実である。例えばバイリンガルという用語の使い方にしても、教育学部、言語学部とでは意味合いが違っていたりする。
見方の違いでまとめるよりも、その用語の用途目的が学部によって異なっているといった方がしっくりくるかもしれない。例えば、教育学部ではバイリンガルという用語は子どもを取り巻く環境、具体的には家族、学校が使用する言語などの要素が主体になるという考え方から、教育アプローチ法の一つとして使用されることが多い。例としては、日本のろう教育界ではちょくちょく紹介されているカミンズのバイリンガルセオリーがある。彼のセオリーは、認知力の発達が児童の言語習得に影響を与えるという見方に基づいており、CALP(認知学力言語能力) /BAIS(基本的対人伝達スキル)の重要性を説いている。この2言語相互依存関連性を補強することが重要だと説いた彼のセオリーが、教育アプローチ方法の一つとして取り入れられ、そして普及されたのが米国、また日本のろう教育界で行われているbilingual /bicultural教育である。
これに対し、言語学における言語習得の分野では、「一つ以上の言語がある環境」という概念そのものが形容詞化され、特定的な意味から広範な意味にも使われている感じが強い。基本的に特定のグループ(0−5歳の間に一つ以上の言語を学んだ子ども)などを指すとき、また、一般的な意味での、一つ以上の言語を使用する人という意味でバイリンガルという用語が使われる。このように、一つの用語ひとつにしても、分野によっては、その用語が持つ意味具合そのものがまったく異なっているから面白い。
本題に入って、米国のろう児/難聴児の言語習得過程に関するリサーチだが、文に目を通していて、つくづくおもうのは用語の定義の曖昧さである。とくに教育学の分野におけるリサーチでは、言語学からのリサーチを参考文献として引用することがおおく、引用後に、言語学でも教育学分野でも使う用語などを使用したりするから、ややこしくなってしまう(自分の言語力の問題もあるだろうが、、、)。これはアメリカろう教育全体の構造を見たときに、さらに強く感じることでもある。しかし、そう感じるとともに、言語力による言語発達過程の流れのみに限らず、認知力における発達過程の流れを念頭に入れ、そのアセスメント、配置の判断を下すトレーニングに力を入れているところは、アメリカろう教育の強みでもあるとおもう。なぜなら、どれほど教師たちが言語習得過程、認知発達過程における様々な要因を把握しているか、また児童をとりまく環境的要因、社会的要因に重点をおいているかが、アセスメントや配置付けの判断につながるからである。
このように二つの分野から言語習得過程に集中したクラスをとることで、改めて実感したことがたくさんある。例えば、聾学校に勤務する教員はろう児/難聴児の言語習得過程について色々、勉強していかなければならないこと、様々なコミュニケーションモードにおける言語習得プロセス、また親との信頼関係の作り方など、教師には、教師としての責任感と使命感をもっていかなければならない。ほんとうに大変な仕事である。
アクシデント
Final week のあたりにいつも愛用しているノートパソコンがクラッシュするというアクシデントに見舞われた。幸いバックアップしていたので、データを至急で転送し、なんとか、ファイルそのものを確保することができたが、パソコンがない!ということで、最後の週間は言語学のラボで寝泊まりをするという日々がつづいた。一瞬卒業できないかも!と焦った瞬間も今となっては笑い話である。
このプログが最後の投稿になるということで、今月は二つに分けて投稿したいとおもいます。一回目は前の生活報告記録に続いて、今月の授業や、クラスの様子などを報告し、それから二回目の投稿には卒業の報告と挨拶を投稿したいとおもいます。
ELIのクラス担任のサプライズ誕生日パーティ
インターンシップの最後の週にはちょうど生徒たちのプレゼンテーションがあり、その内容も、Level 1, 2, 3のクラスの生徒たちが合同でお互いのプレゼンテーションを発表しあうという企画である。偶然なことに、その当日は担任の先生の誕生日であった。前日に生徒たちから「明日は担任の先生のサプライズで誕生日をお祝いするから、朝のミーティングで出来るだけ気を引いて時間稼ぎほしい」と言われていた私は、担任のオフィスで、携帯をちらちら見ながら、時間稼ぎに一生懸命であった。担任の先生が不自然におもわないかと、今こそ、ばれたんじゃないかとおもいつつも、時間だけがすぎ、ついに携帯がなった。生徒たちの準備は整ったようだ。「そろそろ時間だからいきましょう」と声をかけ、オフィスを離れ、教室へ向かった。私たちが教室に入ったとき、生徒たちのクラッカーの歓迎、テーブルに飾られた手作りのケーキ、お菓子の山々、カード、生徒たちのサプライズはよほど効果的だったらしく、担任の先生は落ち着くまで、四十六時、目をまるくして、「OH MY GOD」を連発していた。作戦成功!

しばらくの間、わいわい談笑を楽しんだあと、厳しいことで有名な担任の先生は生徒たちのサプライズにも関わらず、「これとこれは別です」といって、プレゼンテーション企画を予定通りすすめたのでありました。えーー、と叫んだ生徒たちの顔もどことなくうれしそうで、生徒たちと担任の先生の絆を感じた瞬間でした。最後のインターンシップは忘れられない日となりました。
教育学部と言語学部から、ろう児/難聴児の言語習得過程について、感じたこと
タイトルのとおり、ここでは今学期、ろう児、難聴児の言語習得過程について、教育学部、言語学部からクラスをとった後の感想についてまとめている。今学期、教育学部からはEDU 713 Language Acquisition and Cognitive Development(言語習得と認知力の発達過程)、言語学部からは、LIN 510 First Language and Second Language (第一言語と第二言語)を履修した。 なぜ教育学部と言語学部を比較するのかという質問がまずここで出てきそうだから、ここでまず、このタイトルでまとめようと思った理由を述べておきたい。
ギャロデット大学に入学してからというものの、教育学部と言語学部の間を行き来しながら、言語、言語習得過程、発達過程、手話のしくみ、ジェスチャー、教育メソッド、などと様々なトピックに関する教科を取ってきた。これまでの経験からいうと、教育学と言語学とでは、一つの用語の定義のなされ方や、使い方にしても異なっており、それがネックになるとまでは言わないが、自身の学習過程においても特定のやりにくさがあったのも事実である。例えばバイリンガルという用語の使い方にしても、教育学部、言語学部とでは意味合いが違っていたりする。
見方の違いでまとめるよりも、その用語の用途目的が学部によって異なっているといった方がしっくりくるかもしれない。例えば、教育学部ではバイリンガルという用語は子どもを取り巻く環境、具体的には家族、学校が使用する言語などの要素が主体になるという考え方から、教育アプローチ法の一つとして使用されることが多い。例としては、日本のろう教育界ではちょくちょく紹介されているカミンズのバイリンガルセオリーがある。彼のセオリーは、認知力の発達が児童の言語習得に影響を与えるという見方に基づいており、CALP(認知学力言語能力) /BAIS(基本的対人伝達スキル)の重要性を説いている。この2言語相互依存関連性を補強することが重要だと説いた彼のセオリーが、教育アプローチ方法の一つとして取り入れられ、そして普及されたのが米国、また日本のろう教育界で行われているbilingual /bicultural教育である。
これに対し、言語学における言語習得の分野では、「一つ以上の言語がある環境」という概念そのものが形容詞化され、特定的な意味から広範な意味にも使われている感じが強い。基本的に特定のグループ(0−5歳の間に一つ以上の言語を学んだ子ども)などを指すとき、また、一般的な意味での、一つ以上の言語を使用する人という意味でバイリンガルという用語が使われる。このように、一つの用語ひとつにしても、分野によっては、その用語が持つ意味具合そのものがまったく異なっているから面白い。
本題に入って、米国のろう児/難聴児の言語習得過程に関するリサーチだが、文に目を通していて、つくづくおもうのは用語の定義の曖昧さである。とくに教育学の分野におけるリサーチでは、言語学からのリサーチを参考文献として引用することがおおく、引用後に、言語学でも教育学分野でも使う用語などを使用したりするから、ややこしくなってしまう(自分の言語力の問題もあるだろうが、、、)。これはアメリカろう教育全体の構造を見たときに、さらに強く感じることでもある。しかし、そう感じるとともに、言語力による言語発達過程の流れのみに限らず、認知力における発達過程の流れを念頭に入れ、そのアセスメント、配置の判断を下すトレーニングに力を入れているところは、アメリカろう教育の強みでもあるとおもう。なぜなら、どれほど教師たちが言語習得過程、認知発達過程における様々な要因を把握しているか、また児童をとりまく環境的要因、社会的要因に重点をおいているかが、アセスメントや配置付けの判断につながるからである。
このように二つの分野から言語習得過程に集中したクラスをとることで、改めて実感したことがたくさんある。例えば、聾学校に勤務する教員はろう児/難聴児の言語習得過程について色々、勉強していかなければならないこと、様々なコミュニケーションモードにおける言語習得プロセス、また親との信頼関係の作り方など、教師には、教師としての責任感と使命感をもっていかなければならない。ほんとうに大変な仕事である。
アクシデント
Final week のあたりにいつも愛用しているノートパソコンがクラッシュするというアクシデントに見舞われた。幸いバックアップしていたので、データを至急で転送し、なんとか、ファイルそのものを確保することができたが、パソコンがない!ということで、最後の週間は言語学のラボで寝泊まりをするという日々がつづいた。一瞬卒業できないかも!と焦った瞬間も今となっては笑い話である。




