2010年1月生活記録 (4期生 川上恵)[2010年02月23日(Tue)]
(Deaf Dialogue in 香港)
12月の生活記録で報告したように、12月27日から31日に香港で「Deaf Dialogue : Building A Better Asia Deaf Leadership Training (デフ・ダイアログ:よりよいアジア社会の構築を目指して)」が開催された。このトレーニングは日本財団、香港中文大学と世界ろう連盟、アジア太平洋地域事務局が共催してのトレーニングであり、アジアのろう社会の発展を目指して、アジア各国から11カ国19名(香港、マレーシア、カンボジア、フィリピン、スリランカ、モンゴル、インドネシア、中国、ベトナム、タイと日本)が集まった。主な目的としては、アジアのリーダー育成、又アジア隣国のネットワークの強化である。この集いの発展といえば、2006年に開催された日本財団主催のBABAリトリート会議(Building A Better Asia)があり、続いて盲人ダイアログが、2008年に開催され、昨年の12月に初めてろう者に注目が集まったということである。講師は世界各地で活躍されている世界ろうあ連盟理事のコリン・アレン氏、ヒルデ・ハウアランド氏、ケニアろう連盟理事のニクソン・カキリ氏、そして日本からはアジア太平洋事務局の宮本一郎氏であった。
1日目はオリエンテーション、2日目は世界ろう連盟の組織と障害者の人権問題、3日目はアジア太平洋地域事務局の役割とリサーチ方法、4日目は、ろう者リーダーとしての責任と役割といった内容であった。その他、この生活報告を読んでいる読者に気になっている人がいるだろうが、会場には香港、フィリピン、カンボシア、アメリカと日本手話の手話通訳が設置されており、読み取り通訳に英語という状況であった。講師がレクチャーを進めるのと同時に各国のそれぞれの手話通訳があり、様々な通訳を見ることができる。ワークショップの中でも、ろう者の人権問題と手話の言語への認識の向上が共通の課題であった。
アジアのろう者の社会的立場を見てみると、まず先進国と途上国の格差が大きい。日本とベトナムやカンボシアが例である。日本で初めてろう学校が設立されたのは明治時代だが、カンボシアは最近数年前である。さらに戦争や貧困の理由でいまだに教育を受けることができないろう児、無学で仕事を就けず、孤立しているろう者も数多いだろう。次はろう教育。今の日本には手話を使って授業を受けられる学校が少しずつであるがあちこちと出ている。他の国では、社会、また聴者からの圧力が強く、口話教育がいまだにまだ続いている状況も少なくない。加えて手話通訳サービスの質と情報保障の問題への認識の薄さも出てくる。日本は手話通訳派遣、字幕、手話ニュースなど以前と比べて発展している。その一方、他の国では手話通訳サービスや、制度など情報保障に対する認識が低いため、同じアジアでも、日本と他隣国との格差は大きいと改めて実感した時であった。個人的な話になるが、以前にアフリカにあるカメルーンに1ヶ月滞在した経験があり、言語(フランス語)を通じず、手話通訳のサービスを受け入れる環境や情報保障制度がまだ整えていない場所での生活が大変だったのを覚えている。このように環境を整えていない場所にいる現地のろう者も、毎日そのような気持ちを持って過ごしているのだろう。カンボシアやベトナムにろう者の生活の現況を聞いて、ふとその時の自分と重ねて思い出した。このようにアジアろう者のよりよい社会参加への環境づくりには「人権権利と手話言語への認識」の重要性がはっきりと形をもってある。また、今回講師をして頂いたアレン氏、ハウアランド氏、カキリ氏と宮本氏のそれぞれ持っているリーダーシップの素質、身近におきているアジアろう社会の課題についても、考えさせられることの多かったワークショップである。
香港中文大学に手話言語学・ろう者研究センターというのがあり、今、日本財団から支援を受けている香港、インドネシアとスリランカのろう者達が各国の手話辞書の作成を目指し、手話言語学と英語を学んでいる。これまでの手話辞書というのは、聴者によって作成される事が多く、実際の言語ユーザーの視点や、声がおなざりになるということがあるが、これからは手話を専門的に学んだろう者が、研究分野に参加することによって、よりよい辞書を仕上げることができるのではないかと期待している。又、このトレーニングを通して、アジアの良い面を再発見した。個人主義である米国と比べて、アジアは「和」主義である。留学中である今でも、カルチャーショックなのか「あれっ?何か違うなー」と思う時がある。このトレーニングを通して、また日本から離れることによって、アジア内の日本、日本からみた沖縄の位置を改めて、再確認できた。今回の集まりを通して、アジアのろう者社会の現況だけでなく、客観的に西洋と東洋の文化を比べてみることができたと思う。
12月の生活記録で報告したように、12月27日から31日に香港で「Deaf Dialogue : Building A Better Asia Deaf Leadership Training (デフ・ダイアログ:よりよいアジア社会の構築を目指して)」が開催された。このトレーニングは日本財団、香港中文大学と世界ろう連盟、アジア太平洋地域事務局が共催してのトレーニングであり、アジアのろう社会の発展を目指して、アジア各国から11カ国19名(香港、マレーシア、カンボジア、フィリピン、スリランカ、モンゴル、インドネシア、中国、ベトナム、タイと日本)が集まった。主な目的としては、アジアのリーダー育成、又アジア隣国のネットワークの強化である。この集いの発展といえば、2006年に開催された日本財団主催のBABAリトリート会議(Building A Better Asia)があり、続いて盲人ダイアログが、2008年に開催され、昨年の12月に初めてろう者に注目が集まったということである。講師は世界各地で活躍されている世界ろうあ連盟理事のコリン・アレン氏、ヒルデ・ハウアランド氏、ケニアろう連盟理事のニクソン・カキリ氏、そして日本からはアジア太平洋事務局の宮本一郎氏であった。
1日目はオリエンテーション、2日目は世界ろう連盟の組織と障害者の人権問題、3日目はアジア太平洋地域事務局の役割とリサーチ方法、4日目は、ろう者リーダーとしての責任と役割といった内容であった。その他、この生活報告を読んでいる読者に気になっている人がいるだろうが、会場には香港、フィリピン、カンボシア、アメリカと日本手話の手話通訳が設置されており、読み取り通訳に英語という状況であった。講師がレクチャーを進めるのと同時に各国のそれぞれの手話通訳があり、様々な通訳を見ることができる。ワークショップの中でも、ろう者の人権問題と手話の言語への認識の向上が共通の課題であった。
アジアのろう者の社会的立場を見てみると、まず先進国と途上国の格差が大きい。日本とベトナムやカンボシアが例である。日本で初めてろう学校が設立されたのは明治時代だが、カンボシアは最近数年前である。さらに戦争や貧困の理由でいまだに教育を受けることができないろう児、無学で仕事を就けず、孤立しているろう者も数多いだろう。次はろう教育。今の日本には手話を使って授業を受けられる学校が少しずつであるがあちこちと出ている。他の国では、社会、また聴者からの圧力が強く、口話教育がいまだにまだ続いている状況も少なくない。加えて手話通訳サービスの質と情報保障の問題への認識の薄さも出てくる。日本は手話通訳派遣、字幕、手話ニュースなど以前と比べて発展している。その一方、他の国では手話通訳サービスや、制度など情報保障に対する認識が低いため、同じアジアでも、日本と他隣国との格差は大きいと改めて実感した時であった。個人的な話になるが、以前にアフリカにあるカメルーンに1ヶ月滞在した経験があり、言語(フランス語)を通じず、手話通訳のサービスを受け入れる環境や情報保障制度がまだ整えていない場所での生活が大変だったのを覚えている。このように環境を整えていない場所にいる現地のろう者も、毎日そのような気持ちを持って過ごしているのだろう。カンボシアやベトナムにろう者の生活の現況を聞いて、ふとその時の自分と重ねて思い出した。このようにアジアろう者のよりよい社会参加への環境づくりには「人権権利と手話言語への認識」の重要性がはっきりと形をもってある。また、今回講師をして頂いたアレン氏、ハウアランド氏、カキリ氏と宮本氏のそれぞれ持っているリーダーシップの素質、身近におきているアジアろう社会の課題についても、考えさせられることの多かったワークショップである。
香港中文大学に手話言語学・ろう者研究センターというのがあり、今、日本財団から支援を受けている香港、インドネシアとスリランカのろう者達が各国の手話辞書の作成を目指し、手話言語学と英語を学んでいる。これまでの手話辞書というのは、聴者によって作成される事が多く、実際の言語ユーザーの視点や、声がおなざりになるということがあるが、これからは手話を専門的に学んだろう者が、研究分野に参加することによって、よりよい辞書を仕上げることができるのではないかと期待している。又、このトレーニングを通して、アジアの良い面を再発見した。個人主義である米国と比べて、アジアは「和」主義である。留学中である今でも、カルチャーショックなのか「あれっ?何か違うなー」と思う時がある。このトレーニングを通して、また日本から離れることによって、アジア内の日本、日本からみた沖縄の位置を改めて、再確認できた。今回の集まりを通して、アジアのろう者社会の現況だけでなく、客観的に西洋と東洋の文化を比べてみることができたと思う。