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聴覚障害者留学
 
 このブログは、2004年度より特定非営利活動法人(NPO)日本ASL協会が日本財団の助成の下実施しております「日本財団聴覚障害者海外奨学金事業」の奨学生がアメリカ留学の様子および帰国後の活動などについてお届けするものです。
 コメントでいただくご質問はブログに書かれている内容の範囲のみでお願いします。それ以外の留学に関するご質問は日本ASL協会の留学担当にお問い合わせ下さい。
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2009年2月 生活記録(第2期生 高山 亨太)[2009年02月27日(Fri)]
オンライン講義
 1月の生活記録でも述べたように、オンラインのクラスを受けている。主に、教授が講義をすると言うよりは、これまでの学習の成果やインターンシップでの経験を元に、学生が自分の担当の週のオンラインディスカッションを担当するという形式である。私の担当テーマは、「アルコール・薬物依存」であり、運が悪かったのか、よかったのか、わからないが、3週目の担当となった。インターシップに慣れることで大変な状況であり、また何かと落ち着かない状況でのディスカッションを担当することは大きな負担だった。自分で、ケースを考え、理論、援助計画、法律、調査、倫理的問題などについてそれぞれ設問を設置するだけではなく、1週間にわたって、クラスメイトからの回答にコメントをつけたり、必要な情報を提供したりするなど、これまでの手話による講義と違って、英語だけでのやりとりには本当に苦労させられた。しかし、日本でオンラインの研修などを企画するに当たって、参考になることも多くあり、オンラインのクラスも捨てがたいものだと感じている。

ダラスとカウボーイ
 職場の上司と研修をかねて、車で4時間ほどのダラス(Dallas)まで出かけてきた。研修は心理療法に関する研修会だったが、自分にとっての最大の目的はカウボーイやケネディ大統領の暗殺現場を観光することだった。テキサス州をはじめアメリカ中南部はカウボーイで有名で、スペインの闘牛とはまた違ったおもしろさがある。カウボーイで有名な街を見学した後は、せっかくということでテンガロンハットを購入した。日本育ちの自分にとって、はじめはかぶることに対して照れくさかったが、徐々にテキサスの文化になじんできたのか、今ではたまにテンガロンハットをかぶって、職場に向かうようになった。今年度の帰国報告会で、テンガロンハットをかぶって報告するのも悪くないかもしれない。
歴史の勉強が足りないせいで、上司にダラスがケネディ元大統領の暗殺現場であると言うことを知らされるまで、ダラスとケネディ元大統領との関係をまったく知らなかった。現場の近くには、博物館が設立されており、周囲の景観が当時とあまり変わってないと聞いている。博物館や現場には、多くの観光客が訪れており、未だに根強いケネディ元大統領の人気を感じることができたが、若者を中心にふさげながら撮影する人もいて、暗殺現場が風化され、より観光地化されているようだった。

インフルエンザ
 この地域は、ダストストームが発生するなどの年中乾燥平地地帯である。そのために、比較的暖かくて過ごしやすい一方で、のどや肌を痛めやすく、さらにウイルスなどが流行しやすいという地域性なのである。テキサス州に来てから、可能な限り手洗いとうがいをするよう努めていたのだが、2月の2週目の週末頃から熱が出るなどひどく体調を崩し、二日ほど寝込んでしまった。都会育ちだった自分にとっては、神奈川県やワシントンDCなどのようにちょっと風邪を引いたら病院に行ったり、薬局で薬を買うというのが当たり前だったが、周りに何もないこの田舎の街でそうはいかず、様子を見ながら寝込むしかなかった。ここでは病院は気軽にかかれるというよりは、最終手段というような雰囲気がある。はっきりとした病名はわからないが、以前にインフルエンザを経験したことがあり、そのときの症状と似ているので、おそらくインフルエンザだったのだろう。本当にインフルエンザなら、タミフルなしでこの苦境を乗り越えた自分にご褒美をあげたい気分である。「医療機関へのかかりやすさ」ということのありがたみを感じた経験だった。また、不思議なことに日本と比較して、アメリカでは、インフルエンザに対しての認識が低いような気がする。多くの人が「俺、FLU」かなとか、「FLUの薬を買わなきゃ」などという会話をたびたび聞くことができ、日本だったらすぐに「病院」と「隔離」されそうな雰囲気がここアメリカには感じられない。インフルエンザに対して、日本人が騒ぎすぎるだけなのか、アメリカ人が危機感なさすぎるだけなのか、この頃わからなくなってきた。
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