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聴覚障害者留学
 
 このブログは、2004年度より特定非営利活動法人(NPO)日本ASL協会が日本財団の助成の下実施しております「日本財団聴覚障害者海外奨学金事業」の奨学生がアメリカ留学の様子および帰国後の活動などについてお届けするものです。
 コメントでいただくご質問はブログに書かれている内容の範囲のみでお願いします。それ以外の留学に関するご質問は日本ASL協会の留学担当にお問い合わせ下さい。
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2008年7月 生活記録(1期生 池上 真)[2008年08月12日(Tue)]
□ はじめに

 今月は、一週間ほどの休暇を利用して、アメリカ西海岸を回ってきた。サンフランシスコに4日間、シアトルに3日間滞在した。両方とも初めて訪れたが、今まで訪れた都市の中で、人種の多様化が最も進んでいるように感じられた。また、両方とも小高い山と海・湖に囲まれた変化に富んだ地形や暑すぎず寒すぎない気候であり、双方が「姉妹」都市と言われているのもうなづけた。

□ サンフランシスコ

 クラスメイトの一人がサンフランシスコに住んでおり、到着の翌日は、彼がボランティア活動を行っている「プロジェクト・インサイト(Project Insight)」というところに連れて行ってもらった。そこには、ろう者・難聴者の中高生が20名ほどいて、その日はたまたまサンフランシスコ市の南に位置しているパシフィカビーチ(Pacifica Beach)で海水浴を楽しむという企画があり、飛び入りで参加させていただいた。友人の紹介により、この「プロジェクト・インサイト」のディレクターにも会ったが、他人に緊張感を与えないオープンマインドな人で、このプログラムに関してだけでなく、個人的にもいろいろとサンフランシスコを案内していただき、大変お世話になった。「プロジェクト・インサイト」は、サンフランシスコのベイエリアに住んでいるろう者・難聴者の小中高生が、アメリカ手話習得を基礎として、様々なレクリエーションや野外活動、社会・文化的活動を通じて、心身ともに健やかに成長し、自立した生活を送ることが出来るようにサポートするために設けられたものだそうである。当日の参加者の中には、サンフランシスコ市の郊外にあるフリーモンドろう学校からも数名おり、個人的には、こうしたメインストリームの学校に通う生徒とろう学校に通う生徒が様々な課外活動を通じて、互いの環境の違いを理解し、友情を深めていく場が設けられるのはとてもいいことだと思った。ともかく、彼らとパシフィカビーチで半日を過ごしたが、自分も彼らの年代と同じ中学生のときにタイムスリップしたような気分になった。(実は、その後、日焼けしすぎて肩と背中が赤くなり、ヒリヒリ痛く、かっかとほてってるような感じに悩まされたが…。)

 その日の夜、たまたまサンフランシスコベイエリアにおけるDPHH(Deaf Professional Happy Hour)があったので、友人とそれに参加してきた。人の数はと言えばワシントンDCより少なめで、ほとんど知らない人たちばかりで誰に話しかけたら良いのか少し緊張したが、しばらく時間が経った後に、偶然にも日本財団の日本人奨学生と会い、お互いに「こんなところで会うなんて!」とびっくりした。ちなみに僕たちは初対面で、広いアメリカでこんな偶然もあるのかと思うが、そうではなくて「やはり、ろうの世界は狭いね!」ということをお互いに実感したのであった。さらに、偶然はそれだけではなかった。渡米前の国内研修でお世話になったJASS(日本アメリカ手話協会)の元講師にもばったり会い、再会の喜びのあまり、お互いに力強く抱き合った。そんなわけで、会話もどんどん進み、はじめの緊張感はどこに行ったのか、すっかり気分がほぐれ、リラックスした夜を過すことが出来た。

 また、サンフランシスコでは、早い時期から、ゲイ・レズビアンの解放運動が盛んな都市として知られており、彼らのコミュニティの拠点をなしているカストロストリートを歩き回った。そこにはたくさんのおしゃれなレストランやバーが立ち並び、また彼らのシンボルであるレインボーの旗が掲げられていたが、最も驚いたのは、そこの中心にあったアメリカの銀行もその室内にレインボーの旗を3つ垂れ下げていたことである。個々のレベルを超えて、街全体が1つのコミュニティーをなしているということを実感した。

 サンフランシスコ市の郊外にあるバークレーやフリーモンドにも足を運び、そこでベトナムフォーを食べたり、大学のキャンパスを歩き回ったりした。

□ シアトル

 以前から、シアトルは盲ろう者にとって優しく、住み易い町であると聞いていたが、それがどのように具現されているのか大変興味があった。シアトルの中心街から少し離れたところに盲ろう者のためのセンター(Deaf-Blind Service Center)があり、そこで働いている、やはり自身もろう者でアッシャー症候群を持つ友人にシアトルを案内していただいた。彼自身の体験によれば、シアトルでは他の都市と違い、道を歩いていて人とすれ違うとき、相手の肩と自分の肩がぶつかっても、人々は嫌な顔1つも見せず、フレンドリーで過しやすいとのことであった。そのほかに印象に残った話としては、ある日、シアトルの中心街で、救急車が近づいてくることに気づかずそのまま横断歩道を渡ったことがあり、危うく引かれるところだったが、救急車はしっかり止まってくれたそうである。また、シアトルに滞在中、盲人用のステッキを持ち歩いている人を何人か見かけた。上に述べた盲ろう者のためのセンターのホームページがあり、様々なサービスやプログラムが提供されているが、今後の日本の盲ろう社会にとっても得られるヒントが多いのではないかと思っている。

□ 今後の予定

 もうすぐ長い夏休みも終わり、秋学期がスタートする。その前に寮のアシスタントの研修があるが、心機一転!また気持ちを新たにして勉強に、アルバイトに、来年の卒業に向かって前進していきたい。
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