2008年4月生活記録(岡田)[2008年05月23日(Fri)]
■PEPNet全米大会へ参加
4月15日から18日までオハイオ州のコロンバスでPEPNet(Postsecondary Education Programs and network)の全米大会があり、Special Projectの授業の一環として参加してきた。
アメリカに来てからこれで13回飛行機に乗ったことになる。そして今回も飛行機は予定通りに行かなく、ラスベガスで3時間遅れ、結局現地に着いたのは朝の予定が夕方になった。どうも飛行機運は良くないようである。
大会では、丸4日間様々なテーマでワークショップがあり、非常に有意義な機会であり、また「日本にこれが足りない!でもこれはただの理想かなぁ」と思っていたことを実際に実現しようと取り組んでいるプログラムに出会うことができ、詳しく話をさせていただく機会もあり、アメリカで学びたいことがより明確になった。
4日間の中で特に感動した出来事がある。プレカンファレンスで一日かけたワークショップに参加したのだが、その中でろう者は自分だけであった。ところがワークショップが進行するにつれて、何人かの手が自然に動くのを見て「あ、手話わかる人少しはいるんだ」と感じた。そして、休憩のときのこと。1人を除いて全員が手話を使い始めたのである。感動というか、羨望というか、うれしさというか、複雑な気持ちであった。
日本では、いわゆるコーディネーターという立場にある人でも必ずしも手話が出来るわけではない。例えば、私は日本のPEPNetの会議や大会に参加させていただく機会が多かったが、このような場でさえも、手話が出来る人は限られているので、会議や大会に参加しても、特定の人とだけの会話になってしまう。手話通訳がいても、フォーマルな話が終われば、コミュニケーションのバリアばっかりで、情報のシェアに大きな差がついて悔しい思いしてきた。一緒に参加した人がいつの間にか自分の知らない情報を他の参加者との会話などから得ていたときなどは、どうしようもない差や壁を感じ、泣きたいくらい悔しい思いをしてきた。そして職場では、声でのコミュニケーションありきという状況の中、正当に評価されなかったり、そのバリアゆえに理不尽な思いもしてきた。
しかし、この大会では、自分が「もっと聞きたい話したい」と感じたときには、ほとんどバリアなく自分で話しかけることができ、自分で情報を得たり対等に話し合える環境があり本当に感動した。今回の大会は、聴覚障害学生と働いている人たちが主な参加者という事情はあるのは承知の上であるが、やはり日本でも聴覚障害学生と一緒に仕事をする以上、そしてろう・難聴当事者と一緒に仕事をする以上、最低限手話が出来るようになってほしいと強く思った。
いや、むしろ「この職域の共通言語は手話である」というコンセンサスが生まれ、自然と手話を習得しなければ!と思うような環境をもっと意識して積極的に作っていくことが必要だと感じた。例えば大会では全体会が何回かあったのだが、健聴者でも普通に手話で発表したり発言している人も多かった。本当に誰がろう者で誰が健聴者なのかわからなかった。国際会議での英語の使用が当たり前であるのと同じ感覚で、ここには手話があるのである。
障害学生とあるいは当事者とまず最初に接する人々が、コミュニケーションのバリアをなくし、ろう者の文化や観点を本当に理解し、その上でお互いにプロフェッショナルに扱うことができてこそ、聴覚障害学生支援、あるいは聴覚障害者に対するサービス全般は広がっていくのではないだろうか。
コミュニケーションの部分だけに重点が置かれ、コーディネーターの多くが手話通訳者で占められるような状況は決して望ましいとは思わないし、良い支援プログラムを作っていくためにはそれは避けるべきだと思うが、その一方で、「職域の共通言語としての手話」が不可欠であると感じた。
今回の大会では、支援に関するアプローチやテクニックも得るものがあったが、なによりもこれが一番印象に残ったことである。
■大学院
先月報告したとおり、ピックアップしたプログラムにはアプライし終えた。そのうち1つのプログラムは可能性がかなり低く、結果として2大学を候補として進めている。しかしここに来て、アメリカ人特有のいい加減さというか、大きな自由裁量の部分がマイナスに働いてしまっているというのか、相手方の話が当初とまったくちがうという状況になってしまっている。
現在、メンターの先生とこまめにミーティングをしながら、進めているところであるが、今後の進路はまだ当分決定しない模様である。先がはっきりしないまま、慣れない言語で勉強するのは非常にストレスが溜まるので、出来るだけ早く解決したいと思っている。
4月15日から18日までオハイオ州のコロンバスでPEPNet(Postsecondary Education Programs and network)の全米大会があり、Special Projectの授業の一環として参加してきた。
アメリカに来てからこれで13回飛行機に乗ったことになる。そして今回も飛行機は予定通りに行かなく、ラスベガスで3時間遅れ、結局現地に着いたのは朝の予定が夕方になった。どうも飛行機運は良くないようである。
大会では、丸4日間様々なテーマでワークショップがあり、非常に有意義な機会であり、また「日本にこれが足りない!でもこれはただの理想かなぁ」と思っていたことを実際に実現しようと取り組んでいるプログラムに出会うことができ、詳しく話をさせていただく機会もあり、アメリカで学びたいことがより明確になった。
4日間の中で特に感動した出来事がある。プレカンファレンスで一日かけたワークショップに参加したのだが、その中でろう者は自分だけであった。ところがワークショップが進行するにつれて、何人かの手が自然に動くのを見て「あ、手話わかる人少しはいるんだ」と感じた。そして、休憩のときのこと。1人を除いて全員が手話を使い始めたのである。感動というか、羨望というか、うれしさというか、複雑な気持ちであった。
日本では、いわゆるコーディネーターという立場にある人でも必ずしも手話が出来るわけではない。例えば、私は日本のPEPNetの会議や大会に参加させていただく機会が多かったが、このような場でさえも、手話が出来る人は限られているので、会議や大会に参加しても、特定の人とだけの会話になってしまう。手話通訳がいても、フォーマルな話が終われば、コミュニケーションのバリアばっかりで、情報のシェアに大きな差がついて悔しい思いしてきた。一緒に参加した人がいつの間にか自分の知らない情報を他の参加者との会話などから得ていたときなどは、どうしようもない差や壁を感じ、泣きたいくらい悔しい思いをしてきた。そして職場では、声でのコミュニケーションありきという状況の中、正当に評価されなかったり、そのバリアゆえに理不尽な思いもしてきた。
しかし、この大会では、自分が「もっと聞きたい話したい」と感じたときには、ほとんどバリアなく自分で話しかけることができ、自分で情報を得たり対等に話し合える環境があり本当に感動した。今回の大会は、聴覚障害学生と働いている人たちが主な参加者という事情はあるのは承知の上であるが、やはり日本でも聴覚障害学生と一緒に仕事をする以上、そしてろう・難聴当事者と一緒に仕事をする以上、最低限手話が出来るようになってほしいと強く思った。
いや、むしろ「この職域の共通言語は手話である」というコンセンサスが生まれ、自然と手話を習得しなければ!と思うような環境をもっと意識して積極的に作っていくことが必要だと感じた。例えば大会では全体会が何回かあったのだが、健聴者でも普通に手話で発表したり発言している人も多かった。本当に誰がろう者で誰が健聴者なのかわからなかった。国際会議での英語の使用が当たり前であるのと同じ感覚で、ここには手話があるのである。
障害学生とあるいは当事者とまず最初に接する人々が、コミュニケーションのバリアをなくし、ろう者の文化や観点を本当に理解し、その上でお互いにプロフェッショナルに扱うことができてこそ、聴覚障害学生支援、あるいは聴覚障害者に対するサービス全般は広がっていくのではないだろうか。
コミュニケーションの部分だけに重点が置かれ、コーディネーターの多くが手話通訳者で占められるような状況は決して望ましいとは思わないし、良い支援プログラムを作っていくためにはそれは避けるべきだと思うが、その一方で、「職域の共通言語としての手話」が不可欠であると感じた。
今回の大会では、支援に関するアプローチやテクニックも得るものがあったが、なによりもこれが一番印象に残ったことである。
■大学院
先月報告したとおり、ピックアップしたプログラムにはアプライし終えた。そのうち1つのプログラムは可能性がかなり低く、結果として2大学を候補として進めている。しかしここに来て、アメリカ人特有のいい加減さというか、大きな自由裁量の部分がマイナスに働いてしまっているというのか、相手方の話が当初とまったくちがうという状況になってしまっている。
現在、メンターの先生とこまめにミーティングをしながら、進めているところであるが、今後の進路はまだ当分決定しない模様である。先がはっきりしないまま、慣れない言語で勉強するのは非常にストレスが溜まるので、出来るだけ早く解決したいと思っている。




