2024年10月「最近面白かった本の話など」金本小夜(19期生)[2024年10月08日(Tue)]
こんにちは。
今日久しぶりに奨学金の留学担当の方とお話ししたのですが、私がロンドンの最高気温15℃くらいです、と言ったら、日本の最低気温今日は17℃でした、と言われてお互い「えっ︎」となりました。改めて違う国にいるのだなぁと実感します。
秋といえば食欲の秋ですが(あくまで私は笑)、イギリスも季節ごとに美味しい食材などはやはりあって、最近はカボチャやサツマイモやナス、リンゴなどが安く出回るようになりました。とはいえやはり微妙に日本のものと違っていて、カボチャでも、日本のような坊ちゃんカボチャではなく、瓢箪のような形をしたバターナッツカボチャが主流だったり、サツマイモも日本のとは違い、中がニンジンみたいなオレンジ色をしたものだったり、そして調理法も日本のものと少し違ってくるので、ご飯を作るたびに発見があって面白いです。バターナッツカボチャは煮物にすると水っぽくなるのでブレンダーでスープにしたり、西洋ナスは日本のナスと違って硬いので、先にものすごい量の油を吸わせて柔らかくすると食べられるようになることを発見したり、と試行錯誤しています。
そういえば日本の大学院の昔の先輩が、勉強が行き詰まると安易な達成感を得たくなって料理がしたくなる、と言っていましたが、私も台所によく立つのはそのせいかもしれません…
先月はとにかくライティングの直し作業が入りまくり、あとは来年ある学会の申し込みをしたりという自宅作業ばかりだったのであまり面白い体験はしていないのですが、次の学会では児童文学とデフについて発表したいと思って色々読んでいたらたくさんの面白い本に出会ったのでその紹介を少ししようかなと思います。私、物語ならなんでも読むんですが一番好きなジャンルはファンタジーなんですよね。日本には全然デフ関連のファンタジーがなく、児童文学もものすごく少ないので博士論文の章立てから泣く泣く外した程でしたが、英語圏ではデフや手話を題材としたファンタジーが溢れかえっていてびっくりしました。
一押しだったのはフランシス・ハーディングの『Deep Light』(2009)。深淵の光、とでも訳しましょうか。舞台は架空の島国ミリアード。太古の昔いた神々は滅び去り、今はその遺跡を海から探し出す時代、という設定なのですが、海に潜る作業が多いこの国の人々には聴覚障害を持つ人が多く、彼らは「海に愛された者」として国の人々の尊敬を集めています。聴覚障害人口が多いので人々の大半が口話と手話のバイリンガルで、物語のメインキャラクターとなるセルフィンという女の子もその一人。健聴者の主人公の男の子ハークと、手話で会話をしながら、頭の回転の速さと持ち前の勇敢さで物語を推し進めていきます。
ハーディングの本は日本では『嘘の木』や『カッコーの歌』などの翻訳本が出ていますが、『Deep Light』はまだなんですよねぇ。デフが障害として描かれていない!というのがやはり現代のファンタジーらしい新しさだと思います。彼らはあくまでマイノリティ。聴覚障害の原因を物語に絡めている点でファンタジーとしてはよくできた作品だと思いました。
現代的!と感じたのはL・M・ラムの『Dragonfall』。昔々、人間はドラゴンから魔法を盗み、ドラゴンは今なおその恨みを忘れていない…というこの世界。主人公アルカディは両親を病気で亡くし、泥棒を生業とする難聴者。ですがこの世界は全世界の共通語として手話が採択されており、主人公がコミュニケーションで困ることはあまりありません。また性別を決めてかかることは不躾とされており、代名詞で使われるのがもっぱらThey。HeやHerは特別な相手にしか明かしません。アルカディはドラゴンのエメリンと共に、自らの祖父の汚名を晴らすため、冒険に繰り出します。
デフが障害ではない、という点ではDeep Lightと同じ。LGBTQと聴覚障害の要素を両方を盛り込んだ感じが少し政治的とさえ感じられるのは難点ですが、その現代的な要素を中世的なファンタジー世界と組み合わせてみたというのはとても斬新さを感じました。
世界観が面白いと感じたのはJohn Varleyの短編小説『The Persistence of Vision』(1978)。題は残像という意味です。舞台はアメリカの架空の都市ケラー。たまたま旅の途中でそこに行き着いた主人公は、その街の住人が全員ろう盲であることに気が付きます。そして彼らはいわゆる第六感のような、ろうで盲でないと感知できない力を使ってコミュニケーションを取るのです。主人公は彼らの会話に完全に参加することができないと悟り、最終的には彼らの仲間になるため視覚と聴覚を捨てる決意をしますーー。
実はこれは障害文学についての研究書で紹介されていて気になった本でした。同じ身体要素を持つ者同士でしか共有できない感覚がある、というのはおそらく確かにそうで、主人公が最後に今の自分の身体の状態を捨てる、という展開は50年前の文学作品とは思えない新しさがありました。障害を持つことで超人的な力を得るという展開は私は実はあまり好きではないのですが、この物語ではこれがごく自然に語られていたのも、魅力的な要素の一つだったなと思います。
まだまだありますが、今はまだ私の読書スピードが追いついていないので、今回はこれくらいで。実は「deaf, fantasy」のキーワードで検索するとデフキャラクターの登場する本一覧というページが出てきてそこではとりあえず60冊ほど紹介されていたんですよね…
今月はライティングの課題が終わったらイギリスらしく美味しい紅茶でも飲みながら新しい好きな本を思いっきり読みたいです!
今日久しぶりに奨学金の留学担当の方とお話ししたのですが、私がロンドンの最高気温15℃くらいです、と言ったら、日本の最低気温今日は17℃でした、と言われてお互い「えっ︎」となりました。改めて違う国にいるのだなぁと実感します。
秋といえば食欲の秋ですが(あくまで私は笑)、イギリスも季節ごとに美味しい食材などはやはりあって、最近はカボチャやサツマイモやナス、リンゴなどが安く出回るようになりました。とはいえやはり微妙に日本のものと違っていて、カボチャでも、日本のような坊ちゃんカボチャではなく、瓢箪のような形をしたバターナッツカボチャが主流だったり、サツマイモも日本のとは違い、中がニンジンみたいなオレンジ色をしたものだったり、そして調理法も日本のものと少し違ってくるので、ご飯を作るたびに発見があって面白いです。バターナッツカボチャは煮物にすると水っぽくなるのでブレンダーでスープにしたり、西洋ナスは日本のナスと違って硬いので、先にものすごい量の油を吸わせて柔らかくすると食べられるようになることを発見したり、と試行錯誤しています。
そういえば日本の大学院の昔の先輩が、勉強が行き詰まると安易な達成感を得たくなって料理がしたくなる、と言っていましたが、私も台所によく立つのはそのせいかもしれません…
先月はとにかくライティングの直し作業が入りまくり、あとは来年ある学会の申し込みをしたりという自宅作業ばかりだったのであまり面白い体験はしていないのですが、次の学会では児童文学とデフについて発表したいと思って色々読んでいたらたくさんの面白い本に出会ったのでその紹介を少ししようかなと思います。私、物語ならなんでも読むんですが一番好きなジャンルはファンタジーなんですよね。日本には全然デフ関連のファンタジーがなく、児童文学もものすごく少ないので博士論文の章立てから泣く泣く外した程でしたが、英語圏ではデフや手話を題材としたファンタジーが溢れかえっていてびっくりしました。
一押しだったのはフランシス・ハーディングの『Deep Light』(2009)。深淵の光、とでも訳しましょうか。舞台は架空の島国ミリアード。太古の昔いた神々は滅び去り、今はその遺跡を海から探し出す時代、という設定なのですが、海に潜る作業が多いこの国の人々には聴覚障害を持つ人が多く、彼らは「海に愛された者」として国の人々の尊敬を集めています。聴覚障害人口が多いので人々の大半が口話と手話のバイリンガルで、物語のメインキャラクターとなるセルフィンという女の子もその一人。健聴者の主人公の男の子ハークと、手話で会話をしながら、頭の回転の速さと持ち前の勇敢さで物語を推し進めていきます。
ハーディングの本は日本では『嘘の木』や『カッコーの歌』などの翻訳本が出ていますが、『Deep Light』はまだなんですよねぇ。デフが障害として描かれていない!というのがやはり現代のファンタジーらしい新しさだと思います。彼らはあくまでマイノリティ。聴覚障害の原因を物語に絡めている点でファンタジーとしてはよくできた作品だと思いました。
現代的!と感じたのはL・M・ラムの『Dragonfall』。昔々、人間はドラゴンから魔法を盗み、ドラゴンは今なおその恨みを忘れていない…というこの世界。主人公アルカディは両親を病気で亡くし、泥棒を生業とする難聴者。ですがこの世界は全世界の共通語として手話が採択されており、主人公がコミュニケーションで困ることはあまりありません。また性別を決めてかかることは不躾とされており、代名詞で使われるのがもっぱらThey。HeやHerは特別な相手にしか明かしません。アルカディはドラゴンのエメリンと共に、自らの祖父の汚名を晴らすため、冒険に繰り出します。
デフが障害ではない、という点ではDeep Lightと同じ。LGBTQと聴覚障害の要素を両方を盛り込んだ感じが少し政治的とさえ感じられるのは難点ですが、その現代的な要素を中世的なファンタジー世界と組み合わせてみたというのはとても斬新さを感じました。
世界観が面白いと感じたのはJohn Varleyの短編小説『The Persistence of Vision』(1978)。題は残像という意味です。舞台はアメリカの架空の都市ケラー。たまたま旅の途中でそこに行き着いた主人公は、その街の住人が全員ろう盲であることに気が付きます。そして彼らはいわゆる第六感のような、ろうで盲でないと感知できない力を使ってコミュニケーションを取るのです。主人公は彼らの会話に完全に参加することができないと悟り、最終的には彼らの仲間になるため視覚と聴覚を捨てる決意をしますーー。
実はこれは障害文学についての研究書で紹介されていて気になった本でした。同じ身体要素を持つ者同士でしか共有できない感覚がある、というのはおそらく確かにそうで、主人公が最後に今の自分の身体の状態を捨てる、という展開は50年前の文学作品とは思えない新しさがありました。障害を持つことで超人的な力を得るという展開は私は実はあまり好きではないのですが、この物語ではこれがごく自然に語られていたのも、魅力的な要素の一つだったなと思います。
まだまだありますが、今はまだ私の読書スピードが追いついていないので、今回はこれくらいで。実は「deaf, fantasy」のキーワードで検索するとデフキャラクターの登場する本一覧というページが出てきてそこではとりあえず60冊ほど紹介されていたんですよね…
今月はライティングの課題が終わったらイギリスらしく美味しい紅茶でも飲みながら新しい好きな本を思いっきり読みたいです!