2007年10月 生活記録 【第2期 谷口】[2007年11月20日(Tue)]

■IIP
今回の投稿で特にASL/Englishバイリンガル教育という講義から学んだことについて話したい。ある日、担当の先生が「今回の講義だけASLの使用は禁止にします。英語だけで講義を進めていきましょう」と生徒たちに提言し、ASLは一切なしで英語だけで会話する講義が始まった。クラスメイトと私はASLが使えない為にどうやってコミュニケーションを取ろうかということに戸惑いながらも先生は着々と講義を進めていった。そして約3時間後にその講義が終わりいつもの環境に戻った時、私たちはやっとASLが使える!!という解放感に包まれた。終了後、先生が「さきの講義はどうだった?」と生徒に問い、その生徒は「英語だけだとやはりコミュニケーションの限界を感じる。」とそう答えた。私はその講義を通して、ASLは英語と同様に立派な言語であり、私たちろう者の言語なのだと改めて確信することが出来た。そのことを先生に話したら、「ASLの大切さを知ってもらいたかったからこうした。ろう者の言語であるASLを本当の『言語』として見なして欲しい。それはバイリンガルろう教育にもつながる大切な問題だ。」と答えてくださった。確かにバイリンガルろう教育を学ぶ以上、手話は日本語や英語などあらゆる言語と同様ちゃんとした言語であると心底受け入れなければならない。言語だと認めてこそ本当のバイリンガルろう教育というものを学ぶことができるのだとこの講義を通して実感した1日であった。
他に、私は愚かなことにこれまで「ろう者は聞こえないために言語の習得が健聴者と比して遅れてしまう」というように言語の遅れは耳が原因と考えていた。クラスメイトも私と同じ考えを持っていたらしく、講義中にそのクラスメイトが「もし私たちの耳が聞こえたら高度な単語も知っていただろう」と先生に言った所から「なぜ、ろう者の多くは英語の文法の間違いが多いのか」という議論が始まった。その議論に対して先生はこう答えた。「文法の間違いは耳のせいでなくろう者に適した環境が整っていないからだ」である。もし音が存在しない地球だったら、視覚を頼りにするろう者は健聴者と同じ段階で言語を習得することができる。それかもしくは健聴者以上ということもありうる。それが私にとって非常に興味深いテーマとなり、考えさせられた議論でもあった。
■抱負
10月初めは私のルームメイトが病院に運ばれ手術を受けるという緊急事態が発生したため、他のルームメイト3人と共に2週間くらい付き添って世話をしてきた。10月末に体調を崩し、何回かの講義を欠席してしまったが来月はきちんと健康管理をしていきたいと思っている。また、現在無我夢中になって読んでいるヴィゴツキー理論の本を通してバイリンガル教育の方法の復習をしていきたい。




