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聴覚障害者留学
 
 このブログは、2004年度より特定非営利活動法人(NPO)日本ASL協会が日本財団の助成の下実施しております「日本財団聴覚障害者海外奨学金事業」の奨学生がアメリカ留学の様子および帰国後の活動などについてお届けするものです。
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2022年11月 第18期生 鈴木美彩 生活記録[2022年12月08日(Thu)]
2022年11月 第18期生 鈴木美彩 生活記録
言語学史におけるろう偉人

↓動画はコチラから↓
https://youtu.be/EWS7aP1hnMA


 次は言語学のイベントで興味深い内容を学んだのでご紹介したいと投稿してから早1ヶ月経ちました。期末試験の最中で色々と不安も多いですが、これまでの積み重ねを信じて臨みたいと思います。さて、このイベントは「キャスタラインとクローンバーグ 〜ストーキーの物語の再構築〜」という題目で講演が行われました。ストーキー氏は有名ですね。以前、音韻論の授業についての投稿でもお話した手話の音素、これを発見した研究者です。皆さんの中にもご存じの方いらっしゃると思います。今日、日本においても手話言語学の分野にとどまらず、手話通訳の育成や手話教育、ろう学校など様々な所で言語として手話が言及される時手話の音素とともに彼の名前は紹介されています。しかし、実はこの手話の音素の発見や彼の音韻の記録方法の発明は彼一人の仕事ではありませんでした。二人のろうの協力者がいたのです。そこでこの講演のテーマ、”再構築”です。ストーキーの物語は誰もが知っているが、その背後に隠された二人のろう者について知られざる事実を研究し、スポットライトを当てようというわけです。講師は言語学部の先生で、私がギャロデットの言語学部への入学を決心したきっかけでもある方です。「ストーキーの名前と共にこの二人の名前も一緒に挙げられるべきで、まず今日はここにいる皆さんにストーキーの物語の隠された秘密についてお話しましょう。」という彼女の言葉から講演は始まり、かなり多くの驚くべき事実を知りました。
 ストーキー氏は1955年に英語教師としてギャロデット大学の英語学部に就任し、わずか2年でアメリカ手話は言語であるという趣旨の論文を出しています。驚異の早さです。これも二人のろう者の力があったからですね。一人はキャスタライン氏、アジア系の女性でハワイ生まれハワイ育ちです。口話主義のろう学校に通っていましたが、ハワイ語にハワイ手話、アメリカ手話、英語と、複数の言語ができました。そしてギャロデットに入学し、金銭面から通常4年の所を3年で学士を取得したそうです。卒業後は英語教師としてギャロデットで働きました。つまり、キャスタライン氏はストーキー氏の同僚でした。クローンバーグ氏はスウェーデン人でスウェーデン手話やスウェーデン語、さらにドイツ語も堪能でした。聡明な二人です。ストーキー氏とキャスタライン氏、クローンバーグ氏の三人の協働でした。
 当時の学内のストーキーに対する反応は冷たいものでした。「なんて風変わりな人だ」とか「聴者がしゃりしゃり出てきて私達の手話にどうこう言うもんじゃない。手話が言語だなんてわけのわからないことを言うな」などと、ろう社会はストーキー氏を支持しませんでした。それにも関わらずキャスタライン氏とクローンバーグ氏はなぜ協力的だったのでしょうか。講師によると彼らの持つ言語のバックグラウンドが関係しているだろうとのことでした。二人とも豊かな言語背景を持ち、それがアメリカ手話は言語であるという認識を自然と持つことにつながった。だからストーキー氏と同じ意見を容易に共有できたと思われます。
 ストーキー氏は手話を全く知らない状態でギャロデット大学に来て、SEE(Signed exact english: 英語対応手話)で教鞭をとっていましたが授業外では学生の話が全く理解できませんでした。もしアメリカ手話が英語と同じ種類の言語ならストーキー氏はそれを理解できなければならないと彼は考えていました。そこから、彼自身の考えは始まりました。「両者は全く別の言語なのではないか」という仮説のもとストーキーは研究を進めます。
   キャスタライン氏とクローンバーグ氏という強力な仲間は、彼ら自身の友人、同じろう社会の他のメンバーも巻き込み、多くの協力者とつなげてくれました。彼らから集めた多くのデータを研究するのは至難の業だったでしょう。現在のような使い勝手のいい記録ツールやビデオカメラもない時代に、音韻を分析するというのは考えられないほどかなりの労力を払います。クローンバーグ氏はアメリカ各地を回って社会言語学の面から調査し、多くのデータを集めました。キャスタライン氏はタイプライターに長けていたので、手話の音韻、場所と手型、動きを記録する独自の音韻記録法に従って多くの文字を入力しました。また、ストーキー氏にとってアメリカ手話は第二言語なので、キャスタライン氏は自身のその優れた観察眼でアメリカ手話の音韻を分析しました。私が最も驚いたのは、キャスタライン氏は英語教師の傍らアメリカ手話の研究を行い、更には子育てもこなしていたという点です。多くの仕事に追われ想像以上の忙しさだったでしょう。研究自体もハードなのにその上に多くの役割を果たしたこと、とても頭が上がりません。そんな彼女は日系の生まれです。ハワイには多くの日系がいますが、戦後は日系の彼女にとって優しい環境ではなかったと思います。その中を生き抜き、偉業を成し遂げたのは大変素晴らしいことです。
   当時のろう社会では彼らの共著本「A Dictionary of American Sign Language」は注目を浴びることなく、沢山あった在庫もどこかへ消えてしまいました。かろうじて残っていた一冊が見つかり、慎重に扱われギャロデットの特別な書庫に贈られる様子を講演のステージで目にしました。「貴重なこの本を今後研究に使わせていただきます」と聴衆に披露する様子が見られました。彼らの仕事はやがて忘れられ、二人のろう者の名前も知られることなく時間が経ち、1980年代以降の手話言語学が盛り上がってきた頃に手話の音韻の存在は知られ渡ります。現在ではアメリカ手話の地位も改善され、手話言語学や手話教育も向上し、手話筒役の質も良くなりました。MARVELでのろうヒーロー誕生やCODAの映画がヒットしていることを見ても、アメリカでその経済的効果は大きいです。栄誉も与えられなかった二人ですが、この偉業がなければ今日のろう社会は存在し得なかったといっても過言ではありません。彼らは褒め称えられるべきです。講師は「未だに多くの人がこの事実を知らないので、ぜひ広めていきたい」とまとめました。
   二人とも謙虚な性格で、自身の成し遂げた仕事に一切の主張をすることなく、ひたすら「そうだよそうだよ」と答えるばかりだったそうです。クローンバーグ氏は亡くなられましたが、キャスタライン氏はご存命で、現在もゆっくりと様々な聞き取りを行い、彼女から知られざる事実を教えてもらっているそうです。ご高齢でかなり物静かな方なので少しずつ焦らずに進めているとのことでした。いつの日かこれらの事実が本などにまとめられるのが楽しみです。

補足:ストーキー氏自身、ろう者二人のことを蔑ろにしていたわけでなく、むしろ主張し続けてきたが社会がそれに注目してこなかった。彼自身も謙虚で二人の力なしにはこの仕事はできなかったと言っている。クローンバーグが博士取得を他の大学から断られた時にもストーキーは彼は賢い人材だ、ろう者だからできないということはないと交渉したという。ギャロデットは最近クローンバーグ氏とキャスタライン氏の偉業に敬意を表し、褒章したそうだ。今後も様々なプロジェクトが予定されているようで、今後に期待である。もう一つお話しておきたいのは、二人がが生粋の手話育ちではないという点。クローンバーグ氏は10歳から手話をはじめ、キャスタライン氏は口話主義の学校で育った。ろう社会で何気なく手話を用いていた人々とは違った視点を持っていたからこその気づきともいえる。ご存知の通り、私には同じ日本人のクラスメイトがいるがいつも彼から異なる視点を得ている。他にも日本手話を話せる人、日本人も何人かいて、色々議論に花を咲かせる日々である。この講演を振り返って、改めてこの環境を大切に今後も学びを重ねたいと思った。
Posted by 鈴木 at 13:17 | 奨学生生活記録 | この記事のURL
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