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聴覚障害者留学
 
 このブログは、2004年度より特定非営利活動法人(NPO)日本ASL協会が日本財団の助成の下実施しております「日本財団聴覚障害者海外奨学金事業」の奨学生がアメリカ留学の様子および帰国後の活動などについてお届けするものです。
 コメントでいただくご質問はブログに書かれている内容の範囲のみでお願いします。それ以外の留学に関するご質問は日本ASL協会の留学担当にお問い合わせ下さい。
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2021年4月生活記録【第16期生 皆川愛】[2021年05月08日(Sat)]
月は2年間の学びを生活記録で振り、ろう者学とは何か、これまでの動向を振り返り今後の指標を記しておきたいと思います。

カチンコ動画はこちら



2年間のろう者学の内容に特化した生活記録を振り返ると、
・ろう文化(Padden & Humphries, 1988; Holcomb, 2012)
・ヘゲモニー (Gracims, 1989; Turner, 1996)
・文化学(カルチュラル・スタディーズ)
・インターセクショナリティ(Crenshaw, 1989)
・音声優勢主義(Derrida, 1976)
・反本質主義
・オーディズム(Humphries, 1967; Lane, 1996; )
・デフゲイン(Bauman & Murray, 2014)
・感覚的志向(Bahan, 2014; Bahan, 2005)
・感覚のヒエラルキー(Classen, 1997)
・デフエコシステム
・オリエンタリズム
・二項対立
・アイデンティティ政治(Shakespeare, 2006)
・記号的レパートリー(Kusters et al, 2017)
・生権力(Froucault, 1977)
・言語イデオロギー(Kusters et al, 2020)
・手話の標準化(Adam, 2015; WFD, 2015)
など、それぞれの概念を紹介してきました。

今読み返すと、当時の浅学を思い知らされるもので、アップデートが必要なものもたくさんあります。
用語だけ並べて知ったつもりかと言われたこともありました。
大学で看護を学び、臨床経験で身につけた点滴技術のように、それによって目の前の命が救われるようなことはないかもしれません。
学問に優劣もないですが、ただろう者のことを話して、ろう文化を学ぶだけでしょと言われることも度々あり、その度に悔しい思いをしました。
ろう者学はリベラルアーツに根ざした多学際的学問です。
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一日にしてわかるものではありません。
2年経った今わかったことはほんの少しです。実践にすぐ役立てるか、何ができるのか自分でもわかりません。
これは今後も続くでしょう。きっと長い道のりです。

*過去の生活記録を含め、間違いや見落としは全て私の責任にあります。
 生活記録の掲載や更新は来月をもって終了しますが、
 問い合わせや修正の提案などはいつでも受け付けております。

これを読んで、ろう者学を学ぶことの意義を少しでもわかっていただければと思います。
そして、ろう者学が単なるろうの生き方の追究と思われませんように。

*今まで「ろう者学」と用語を使ってきましたが、それについて少し思うことがあり、私見を述べさせてください。
 ろう者と称しているところで、ろう者のことを学ぶ、ろう者の言語や文化を学ぶというふうに思われる可能性を思索していました。
ろう者学は、ろう者とそれを取り巻く社会の構造を追究します
 「ろう者」という言葉が誤解を招いているのかなと思いました。
 実に英語表記はDeaf people Studies(ろう者学)ではなく、Deaf Studies(ろう学)です。
 日本でこれまで使われてきた言葉を変えるのはいかがなものだとも思います。
 ただ、ろう学など、他の用語も可能性としてありうると最近は思慮を巡らしています。
 これについては今後も皆様にご意見を頂きたいと思います。

これまでに紹介した概念、これらに共通しているのは社会構成主義の視座に立つということです。
社会構成主義とは、簡単にいうと考えや観念は人々の社会的交流から生まれる言説が現実を作るという考えです。
ろうを取り巻く言説については、Ladd(2003)がまとめております。 *詳しくは2020年5月の生活記録

大学院生活で2年間お世話になったダークセン・バウマン先生。
彼の手話はとてもクリエティブで、パワフルで、毎回心動かされます。
ろうを取り巻く問題について様々なレンズで突いていくこと、私の目を開かせてくれました。
先生との有益で刺激的な語らい合いは宝物です。心から尊敬している先生です。
彼はTED Talksの中でこのエピソードから始めています。
スクリーンショット 0003-05-07 22.02.43.png

僕はコロラド州で生まれました。いわゆる”平凡”な幼少時代を送っていました。外で遊び回り、友達や家族と過ごしました。そしてある日突然、衝撃的な僕の人生を変える出来事に遭遇します。21歳の時です。聴者になりました。どういうことでしょう。僕は生まれた時から聴者だったわけではないです。生まれた時からずっと聞こえていました。環境音、母の声、電話が鳴る音、、全てです。聞くことで完全にアクセスできていました。ただ、それまで聴者としての自分のアイデンティティを自覚する瞬間がなかったのです。
この例から「聴者」という概念は、個人の中で、社会との交流の中で作られるということがわかります。

「ろう」の意味も然り、社会によって構成されています。だから、「ろう」の意味は変えられる。
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次の世代のろうの子どもたちに何を残すか、社会の「ろう」の意味を少しずつ変えていけば、彼らが生きやすくなるかもしれない。
負の経験を減らせるかもしれない。
綺麗事だと言われればそうかもしれません。
私は言葉だけ並べてアクションを起こしていません。でも、世界を変えるための行動戦略はいろいろあります。

これまでの欧米でのろう者学の動向を見ながら、今後のろう者学が切り開いていくであろう分野を私なりに考察したいと思います。

ろう者学の学術的研究と教育が盛んになったのは1980年代です。
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ウィリアム・ストーキー(Stokoe, 1960)による手話の音韻構造の発見が発端です。 
これまで手話は単なるコミュニケーション手段であり、言語ではないと言われていた言説がこの時点で覆されます。
そこから「ろう者」とは何かというところで、米国の学者を中心に盛り上がります。
そして、キャロル・パッデンとトム・ハンフリーズによってろう文化の構成要素が提示されます(Padden & Humphries, 1988)。 *詳しくは2019年9月の生活記録
視覚言語である手話を使い、音声を使わず、血縁関係ではなくろうコミュニティとの繋がりが重視されるマイノリティグループであり、手話にも文学があり、それらがろう者の価値であり、文化と位置付けられると主張しました。
当時はろう文化の明文化が目的だったのだろうと思います。
ジム・キールやディ・ラッドも英国のろう者と社会を描写しています(Kyle, 1990; Ladd, 1998)
なおLaddは後に本が出版され、そちらがしばしば引用されていますが、彼が博士論文として提出したのは1998年です。
それらは聞こえないという負の病理に焦点を当ててきた医学モデルに対する挑戦です。それを打ち消そうと、文化や言語の視点からろう者の存在を訴えます。
グラハム・ターナーは文化を明文化する重要性を理解した上で、文化はリスト化できるものなのかと疑問を呈します。
文化は単なる行動様式を示すのではなく、その行動様式を構成するもの、すなわち社会を理解するための知見だと言っています(Spradley & McCurdy, 1987)。
これが生んだのはろう社会でのろう者によるろう者の排除です。
デフファミリー出身でなければ、ろう者らしい行動を振る舞わなければならない、そうしないとろう者じゃないと主張します。
この傾向は特に米国で顕著だったようです。

その後、1990年代から2000年代にかけてろう者への抑圧についての議論が盛んになります。
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ハーラン・レーンはアフリカの植民地史にろう者社会への抑圧と共通性を見出しました(Lane, 1996)。
心理学行動で社会面、認識面、行動面、情緒面において劣っているとみなし、
生物学的に(アフリカは肌の色で、ろう者は聴力で)劣っているせいだと合理化するのです。
そしてそこには支配者がいます。具体的にはアフリカでは植民者、ろう社会では聴者の専門家です。
ラッドもろう者を文化言語的マイノリティとして位置付け、
多数派文化である支配側と不均衡な力関係にあり、植民地主義の位置範疇に位置付けられると主張しています。
(*日本語文献では森壮也監訳による「ろう文化の歴史と展望」)
そして、トム・ハンフリーズが博論で提唱したオーディズムの概念が世間に広まったのは、レーンの書籍で紹介されたこの頃です。
(*日本語文献では長瀬修の訳による「善意の仮面:超能主義とろう文化の戦い」)
そして、オーディズムにもいくつかの次元があると提唱します。 *詳しくは2020年1月の生活記録
抑圧論は聴者社会からの支配とそれへの抵抗を露わにしました
しかし、そこに共存はなかなか生まれません。ろう者が抑圧されていると主張するだけで何も生まれないという反省が出てきます。

そして、ポストモダニズムとして出現したのがデフゲインです。 *2019年12月生活記録でも書きましたが、アップデートしたいです。
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デフゲインの提唱過程はこうです。(自分の解釈であることはご了承ください)

違いは社会的に良くないものとみなされています。特に日本はそうかもしれません。同化を求められます。
でも、違いこそが社会への貢献を生む。

全ての「違い」には物差しがあります。
物差しによって優良、普通、もしくは不良と判別されます。心理学的行動や聴力といった物差しが該当します。
ある物差しでは優良だったものが、別の物差しでは不良とみなされるかもしれません。
歴史的には差別は、権力あるものが物差しを作り、それによって不良か優良かを区別しました。
不良かどうかなんて確証もないのに、物差しで合理化してしまうのです。

社会的に不良とみなされていた「違い」に価値を見出す
違いはただ聴力だけ。知的指数だけ。数です。そこではなく、人間に目を向ける。

これまでの「ろう」の意味を超えなければならない。その先にある新しいものを見出す。

ストーキーの言語構造解明以前よりろう者の言語は手話だと言われていますし、私もそうだと思います。
でも、実世界で人と人とのコミュニケーションは一つの言語に依拠しているわけではありません
肉屋や魚屋さんに行けば、聴者でも口頭で品物を唱えながら、欲しいをものを指さす。
プレゼンテーションで音声や手話で話すけれど、パワーポイントによるイラストや文字情報もある。
それがトランスランゲージングに見出される記号的レパートリーです(Kusters et al, 2017; De Meulder et al, 2019)。
人間は一つに依拠すると危険です。実際、コロナ禍で一筋縄ではいかないことがたくさん浮上しました。
口話でコミュニケションを取ってきた人はマスクで口元が見えず大変でしょうし、聴者も声援を送れなくなりました。
前職で出会った糖尿病によって視力を失った高齢ろう者は「若いうちに触手話を覚えておけばよかった」と言っていました。
一つの方法に依存するより、いくつかの方法を持っていたほうが、万時に強い
だから多様性は重要なのです。

聴者にはろう者の経験から学ぶことがある。発声器官が未発達の時でも赤ちゃんの表出を促せるとしてブームになっているベビーサインも手話の存在が契機になっています。
オンライン学会でも字幕をつけたことで、ろう・難聴者だけでなく、家で子どもと接しながら字幕で内容を把握できる。

社会の構造、権力、そこから生まれる抑圧が消えることはないと思っています。それを理解した上で、違いを尊重し、人間として見ること。
これが今後のろう者学の目指す方向と私は考えています。

<参考文献ペン

Bahan, B. (2007). Upon the formation of a visual variety of the human race. In Bauman, H-D. (Ed.)Open your eyes: Deaf studies talking (pp. 83–99). Minneapolis: University of Minnesota Press.

Bahan, B. (2014). Senses and culture: Exploring sensory orientations. In H-D. L. Bauman & J. Murray (Ed.) Deaf Gain: Raising the stakes for human diversity (pp. 223 - 254). Minneapolis: University of Minnesota Press.

Bauman, H. D. L, & Murray, .J J. (2014). Deaf gain: An introduction.  In H-D. L. Bauman & J. Murray (Ed.) Deaf Gain: Raising the stakes for human diversity (p. xv - xlii). Minneapolis: University of Minnesota Press.

Classen, C. (1997). Foundations for an Anthropology of the Senses. International Social Science Journal,153, 402-423

De Meulder, M., Kusters, A., Moriarty, E. & Murray, J. (2019). Describe, don’t prescribe. The practice and politics of translanguaging in the context of deaf signers. Journal of Multilingual and Multicultural Development, March 2019. doi: 10.1080/01434632.2019.1592181

Holcomb, T. K. (2012). Introduction to American Deaf culture. California, CA: Oxford University Press.

Humphries, T. (1975). Audism: The making of a word. Unpublished essay.

Kyle, J. (1990). The Deaf Community: Culture, Custom &Tradition. In Siegmund, S. (Ed.)
Sign Language Research & Application (pp.175-185), Hamburg: Signum-Press.


Kusters, A., Spotti, M., Swanwick, R., & Tapio, E. (2017). Beyond languages, beyond modalities: Transforming the study of semiotic repertoires. International Journal of Multilingualism, 14(3), 219-232. https://doi.org/10.1080/14790718.2017.1321651

Ladd, P. (2003). Understanding Deaf culture. Clevedon, UK: Multilingual Matters.

Lane, H. (1992). The Mask of Benevolence. Disabling the Deaf Community. San Diego, CA: DawnSignPress.

Padden, C. (1989). The Deaf community & the Culture of Deaf people. Reprinted In S. Wilcox (Ed.) American Deaf Culture: An Anthology (1-16), Silver Spring, MD: Linstok Press.


Spradley, J., & McCurdy, D. (1987). Culture and the Contemporary World. In Spradley and McCurdy (eds.) Conformity and Conflict: Readings (pp.1-10), Boston. Toronto: Little, Brown.
Posted by 皆川 at 10:53 | 奨学生生活記録 | この記事のURL
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