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聴覚障害者留学
 
 このブログは、2004年度より特定非営利活動法人(NPO)日本ASL協会が日本財団の助成の下実施しております「日本財団聴覚障害者海外奨学金事業」の奨学生がアメリカ留学の様子および帰国後の活動などについてお届けするものです。
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2020年9月生活記録【第16期生 皆川愛】[2020年10月08日(Thu)]
月は、ろう者学の今後と課題について、これまでの動向を見ながら私見を述べたいと思います。

カチンコ手話動画はこちらより


昨年一年はどちらかというと、私がギャロデット大学で学んだ、欧米のろう者学を中心に紹介してきました。これを輸入だとか言われることもあります。私もそう思います。
欧米の状況に応じて、彼らによって発展したものですから、これが全て日本に当てはまるのかというと答えはもちろんNOです。

これに関連するものとして、Friender (2017)がろう者学は伝統的に欧米を中心に展開されてきたしたことに疑問を投げかけています。
そもそも「欧米」というのも西か東かというのは誰が決めたのでしょうか。方角的には、その人の位置でどこの国が西か東か決定づけられます。
これは “National geopraphic”が発行しているスタンダード世界地図です。
ORTH POLAR.jpg

https://www.nationalgeographic.com/maps/

違和感を感じる方もいらっしゃるかもしれません。日本の教科書等でよく見る世界地図とは違います。
この地図で見ると、日本は極東と言われるのです。
つまり、ヨーロッパの人からすると、アジアは遠く離れていて、なんだかよくわからないけど、独特の風情があるようだ、そしてこれをエキゾチック “exotic”だとか言うのです。

そう考えるとすべての事柄は中立ではないのだと気づかされます。
そこで(Friender2017)は、あえて北 “Global north”と南 “Global south”で分けています。
北は発展国、南は途上国のようなニュアンスで使われます。
しかしこれは東洋、西洋の二分化を批判したサイードのオリエンタリズムから逃れるための一手段に過ぎないのかもしれません。

ここでの問題は二項対立 “Dichotomy” になります。
例が以下になります。男性に対しては女性。西洋に対して東洋など。
2.jpg


実社会には連続体がありますが、二分化することで、どちらかに偏らざるを得ないのです。
例えば、分散に対して集中。新型コロナウイルス感染拡大予防のため、分散しなければならない状況の中で、都心は集中しているから、外に出ようと分散すると、郊外に集中してしまいます。
このように二分化は社会に利益をもたらしません。

あるカフェのトイレでは、よく見る男性、女性それぞれアイコンを合体させ、どちらでも“whichever”と表札がかかっていました。
図1.png

こうした従来から構築されてきた二項対立に基づく言説に対して批判的視点を持って、女性学が展開され、その後連続体を考察するジェンダー学やクィア研究と広げています。

これはろう者学にも同様のことが言えます。
昨年の9月の生活記録で紹介した世界で最初の「ろう文化」に関する書物を発表したPaddenとHumphries (1988)は「聴者=自分たちの反対」とはっきり主張しました。
初期のろう者学は、ろう文化について、従来の文化の枠組みに当てはめて説明する試み
これが今では特定の誰かを排除することになると問題視されています。
これをアイデンティティ政治 “Identity politics"といいます(Shakespeare, 2006)。
3.jpg

その集団を構成する個人のアイデンティティに対して社会的承認を求める運動が、
結果的に手話を使用しない人はどうなるのかといった疑問が呈されます。

米国当時の時代背景としては、手話が言語であると証明された1960年より、
手話が音声言語と対等な一つの言語であるという認識が普及し、
これがろう者の肯定的なアイデンティティを形成する核となり、ろう文化に関するPaddenとhumphriesの主張につながりました。
1.jpg

それは自然の流れだったように思います。それはろう者の権利獲得のための一つの戦略だったと理解できます。
しかし、米国型のろう文化の説明と議論を今後も続けていくのかというとそうではありません。

授業で面白い議論がありました。ろう者は障害を有しているかという問いです。
答えはもちろんありません。
興味深いことに国際学生4名全員が「NO」。8名のアメリカ人学生は「YES」か「状況による」と答えました。
米国の状況として、発展途上とはいえ、障害者としての権利が障害を持つアメリカ人法(通称ADA)によって保障され(いわゆる合理的配慮が法律上必須)、ろう者としての権利(手話に対する前向きな姿勢や保障)やそのための資源、環境も地域によっては揃っています。
必要性を訴えるための手話言語学の研究やバイリンガリズムの研究と実践も蓄積されつつあります。一方で、国際学生に共通した意見としては、自国はそのような状況ではなく、むしろアイデンティティをまず主張しなければ言語権も保障されないと話していました。
近年まで手話が猿真似やジェスチャーなどと卑下されてきた中で、このネガティブな認識を変更する取り組みがまだ続いているように思います。
そして、結果的に政策的に障害者ではない「NO」と言わざるを得ない状況というふうに感じるのです。

そして、冒頭のろう者学は伝統的に欧米を中心に展開されてきたのかという問いに立ち返ります。
ろう文化の定義も日本のろう社会に直接当てはまるものではなく、
そしてろう者学は今や二項対立を超えた「ろう」の意味を説明する試みが世界で始まっています。
言語は現在、手話か、音声か書記かといった言語モダリティ(Marschark et al, 2014)で振り分けるのが主流でしたが、実社会にはその枠にとらわれない人間間のコミュニケーションがあり、Kustersら(2017)はこれを記号的レパートリー “Semiotic repetorie"言っています。これにはアイコンタクトやジェスチャーが該当します。
4.jpg


ギャロデット大学ろう者学部での学は残り数ヶ月となりましたが、この問題に関しては生涯かけて消化、取り組むべきものと思っています。

(文中にいくつかスペルミスが見受けられ、10月16日に訂正させていただきました。ご指摘いただいた方、ありがとうございます。)

<参考文献>
Frienderm M. (2017). Doing deaf studies in the global south. In A Kusters. M De Meulder. & D O’Brien (eds). Innovations in deaf studeis. Oxford University press.
Kusters, A., Spotti, M., Swanwick, R., Tapio, E. (2017). Beyond languages, beond modalities: transforming the semiotic repertoires. International Journal of Multilingualism, May 2017, https://www.researchgate.net/publication/316849534
Marschark, M., Tang, G., & Knoors, H. (2014). Bilingualism and bilingual deaf education. Oxford: Oxford University Press.
Shakespeare, T. (2006). Disability Rights and Wrongs. London: Routledge.

Posted by 皆川 at 09:26 | 奨学生生活記録 | この記事のURL
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