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聴覚障害者留学
 
 このブログは、2004年度より特定非営利活動法人(NPO)日本ASL協会が日本財団の助成の下実施しております「日本財団聴覚障害者海外奨学金事業」の奨学生がアメリカ留学の様子および帰国後の活動などについてお届けするものです。
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4月生活記録 【第13期生 山田茉侑】[2019年05月08日(Wed)]
5月に入ってようやく花や動物たちが「こんにちは」と春の訪れを告げ、活力あふれる景色に外を歩くのが楽しくなる季節がやってまいりました。

写真は、ボストン大学教育学部の建物です。
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今月のテーマは、「Home Signer(ホームサイナー)」です。

「言語とはなにか」「なにが言語を言語たらしめるのか」そもそも、「言語はどうやってできあがるのか」。たとえ言語を流暢に使いこなしても、そしてたとえ言語を創成する一員であったとしても、この疑問に答えていくことは並大抵のことではありません。長い年月と、多くの人々の意思疎通なくては、言語は自然と発展していきません。それが上記の疑問をより複雑にさせています。


さて、「Home Signer(ホームサイナー)」といえば、ニカラグア 手話を思い出させます。ニカラグア 手話は、世界で初めて言語の成り立ちが記録された言語です。ろう学校が建立するまで、ニカラグアの多くのろう者たち(ホームサイナー)は家庭内でのみ通じるサインでコミュニケーションをとっていました。1970年代にろう学校が建立してから、次々とろう者が一つのコミュニティに集まるようになり、そこでそれぞれのサインが持ち出され、混ざり合い、洗練されていきました。ニカラグア 手話は、20年の歳月を経てろう者たちによって生み出されていったのです。
ニカラグア 手話の成り立ちを分析していくことは、上記の疑問に答えるための一つの鍵となるでしょう。そして、ホームサイナーの研究では、ニカラグア のろう者たちがよく対象になっています。



「Home Signer(ホームサイナー)」の話に戻ります。
最初にクラスで「言語剥奪*」について話し合った時に、ホームサイナーのような第一言語を持たない者は「心の理論*が低いのではないか(客観的に考えることが難しい)」「抽象的なことを考えることは難しいのではないか」という意見になりました。様々な論文を読んできていたからです。しかし、実はこれ、全てわたしたちの中にある完全なるバイアス(偏見)だったのです。


言語剥奪…十分にアクセスできる言語環境で育たなかったとき、そして第一言語を獲得するタイムリミット(一般的には5歳と言われています)を逃してしまったとき、それ以降で第一言語の獲得が難しくなること。詳しくは2018年10月生活記録に記載しております。

心の理論…他者の目になって考えること。たとえば、二人の子どもが積み木で遊んでいます。一人が積み木をオレンジの箱に片付けた後にトイレに行きました。その間、もう一人がその積み木を別のピンクの箱に移し替えました。
「トイレから帰ってきたその子どもがもう一度積み木で遊ぼうとしたとき、オレンジの箱とピンクの箱どちらを真っ先に確認しますか」
読者のみなさんは全ての過程を知っていますが、トイレから戻ってきた子どもはもう一人の子どもが積み木をピンクの箱に移し替えた過程を見ていません。そのため、その子どもは「オレンジの箱」を真っ先に確認するでしょう。このように、他者の目になって考えることを「心の理論: Theory of Mind」といいます。




2018年10月の生活記録で紹介したこちらの記事、覚えておりますでしょうか。


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先日こちらの論文を改めて読んでみたら、「ホームサイナーは1から4までの数字であれば推測することができるが、5よりも大きな数字になると難しくなる。しかし、それでも答えが合っているかどうか、もっと指を叩いた方がよかったのかどうかを、実験の後に尋ねるのです。つまり、研究者たちが答えを知っていること、数を数えられることを知っていたのです。」という記述がありました。この記述からもわかるように、第一言語を持たなくても、彼らは他者の目線に立って物事を考えることができるのです。

また、家にいる聴者の家族よりも、ホームサイナーの方がサインを流暢に使いこなしているという実験結果もあります。そして、ホームサイナーのサインはジェスチャーレベルではなく各自によってルールが構築されており、家族(聴者)よりもビデオ越しで見たわたしたちのような外国にいる他のろう者の方が理解できたという驚きの結果にも出会いました。

心の理論について、ろう児は心の理論が低いという論文が多い中、ある研究は、心の理論が低いという結果がでた方たち(ホームサイナー)を集め、いくつかのシチュエーションを経験させることで、その方たちの2度目の実験のスコアが上がったことを確認しました。心の理論は誰でも発達できるという可能性を示唆しておりますね。

これらのことから、たとえ強力な第一言語を持たなくても、脳は世の中を認識し、それに合わせて人間が人間になるために常に育っていることがわかりました。



世の中の現実をグラフや数字にすることはできます。そして、それは現実を動かすための大きな動機にもなり得ます。しかし、そこからあれこれ推測することは、それこそ目の前の現実を見失わせてしまう恐れもあると改めて反省させられました。




追記
今学期とあるクラスでは、プロジェクトとして英語版のウィキペディアを編集しました。テーマは伏せますが、他の国に紹介したいという思いから、日本のろうに関して馴染みの深いテーマで書き上げました。ウィキペディアの編集はいかに自分の中にあるバイアスに気づくこと、中立性を保つことの難しさを痛感する戦いの日々でした。もしも英語版ウィキペディアのどこかでお会いできましたら嬉しいです。


それでは、また翌月にお会いしましょう。
この記事のURL
https://blog.canpan.info/deaf-ryugaku/archive/1230
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