
2019年4月 生活記録 【第12期生 西 雄也】[2019年05月08日(Wed)]
今学期末になる頃、最終プロジェクトなどに追われる時期に入りました。今回はアメリカろう学校見学とアメリカろう教育の歴史の話を中心とした内容を記載したいと思います。
American School for the Deaf (アメリカろう学校)
今回、アメリカろう学校への見学に行きました。このろう学校はコネチカット州にあり、
アメリカで最初に設立した私立の (1817年に設立)ろう学校です。現在この学校の設備は新しいものへと変わりましたが、歴史は深いものでした。
基本的な話では、昔、まだアメリカにろう学校・教育がなかった頃、ある裕福な家庭にAlice(アリス)という女の子がいました。彼女はろう者であり、学校教育を受けることができない状態でした。それを心配したアリスの父が、娘の教育方法についてThomas Hopkin Gallaudet(トーマス・ホプキンス・ギャロデッド− アメリカろう学校の設立後にギャロデッド大学を設立)に相談しました。相談されたギャロデッドはろう教育が進んでいるフランスへ行くことを決意し、ろう者であるLaurent Clerc(ローレント・クレーク)と出会いました。ギャロデッドはクレークをアメリカのろう教育向上の為にアメリカへ連れて行くことを提案し、2人はアメリカで一緒に生活することになりました。
↑Alice(アリス)の像
もし、ギャロデッド がアリスと出会うことがなければ、ローレント・クレークと出会うことはなかっただろう。そして、アメリカろう学校、ギャロデッド大学を立てることはなかったかもしれない。
もし、ギャロデッド がアリスと出会うことがなければ、ローレント・クレークと出会うことはなかっただろう。そして、アメリカろう学校、ギャロデッド大学を立てることはなかったかもしれない。
↑左:Laurent Clerc(ローレント・クレーク)と 右:その妻(Eliza Clerc)が眠っている墓
そして、ギャロデッドはアメリカろう学校を設立しました。設立した当初はギャロデッドとローレント・クレークがアメリカろう学校のろうの子供たちにフランス手話(Langue des Signes Francaise (LSF))で教育を行いました。後にアメリカのろう者のコミュニティの中で段々とアメリカ手話(ASL)というものができました。またASLの60%は昔のフランス手話から来ているとも言われています。ASLはアメリカのろうコミュニティの中で様々な人種によって確立されましたが、広まった手話の多くが白人達のアイデアで作られた手話だと言われています。なぜなら昔は白人が優位であったこと、アカデミックな会議などに参加するほとんどが白人だというシチュエーションが多かったからです。

↑ASLがどこから形成されたかの図
日本では1929年に大曽根源助がヘレンケラーとの出会いによって今の指文字があるわけですが、それ以前のアメリカで起きたろう教育やろう者の状況についていくつか知ることができたことは大変勉強になりました。
Deaf Studies Class
今学期履修しているクラスの中で、ろう者の状況や歴史についてのプレゼンテーションや話を記録した古いビデオテープのデータ(1910〜1920年のデータ)を観る機会があり、その中でトーマスギャロデットの活動についてのストーリーについての話がありました。これがきっかけとなり、アメリカろう学校へ見学しようと思いました。また、1900年代のアメリカのろう者はリンカーンに感謝しているという話もありました。なぜなら、これまでの大統領はろう教育に対してあまり肯定的ではありませんでしたが、リンカーンはろう者との交流もないのに、ギャロデッド大学を設立するのを認可するためのサインをしたからです。
このクラスを通して、過去の状況や、ろう者の状況を残すエビデンスを作ることの大切さについて学びました。