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聴覚障害者留学
 
 このブログは、2004年度より特定非営利活動法人(NPO)日本ASL協会が日本財団の助成の下実施しております「日本財団聴覚障害者海外奨学金事業」の奨学生がアメリカ留学の様子および帰国後の活動などについてお届けするものです。
 コメントでいただくご質問はブログに書かれている内容の範囲のみでお願いします。それ以外の留学に関するご質問は日本ASL協会の留学担当にお問い合わせ下さい。
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10月生活記録 【第13期生 山田 茉侑】[2018年11月08日(Thu)]
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Happy Holloween!!!
写真は、ルームメイトと作ったハロウインカボチャです。
ハロウイン当日は、いたるところに灯るランタンがお菓子をもらい歩いている子ども達の影をくめども尽きず揺らめかせていました。残念ながら、今年は中間試験真っ只中だったため、家の電気を消してひっそりと過ごしました。電気のついてない家に子どもたちは寄らないのです。


◇Psychology and the Deaf world (ろうと心理)
このクラスで、Deaf Gain(デフゲイン)について少し習いました。
デフゲインのコンセプトとは、
ある日突然聞こえなくなった男性はあちこちの医者を訪れます。医者たちからは一様に同じことを言われました。「残念ですが聴力を失っています、と彼らがなぜそういうのか僕には分からない。」続けて、彼はこう言います。「僕はデフ(ろう)を得たんだ。」ここに、視点の逆転があります。「聴力を失ったこと」と「Deafを得たこと」は、裏表の関係です。例えば、Connexin26(ろう遺伝)があれば、手の皮膚細胞が小さいので手すりなどを触っても病原菌が手から入り込まない、など、ろうであることで得られるものをデフゲインと言います。デフゲインについて考える時、悲観する人と、大喜びする人の視点の差が生まれています。Normal、普通ってなんだろう、という問いかけからこの授業は始まりました。

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上の表は、IQなどで見かけますね。「ろうと心理」クラスでよく扱われる表です。クラスでは、上の表を扱う時に、IQ、障害者、女性、人種など様々な例が使われました。
真ん中がAverage(平均値)、もしくはNormal(普通)という見方をすることもできます。そして、真ん中より左側は劣っているもの、マイナスのものとして捉えられ、右側は平均より優れているとプラスに捉えられがちです。では、この表を左に90度回転させたらどうなるのでしょう。NormalからNot Awesomeの部分が消え去ります。もはや見られなくなるのです。その代わり、NormalからAwesomeの部分が能力の度合いを表しているかのようなグラフが現れてきます。怖いですね。

聴覚障害において、普通とはなんでしょうか。聞こえることが普通、聞こえないことが普通から逸脱しているのなら、Not Awesomeの部分にいる聞こえない子どもたちを、聞こえる人(Normal)を目指してどうにか治して普通に近づけようとします。医学モデルの考え方ですね。

それと関係する言葉「子どもの障害は個性の一つ」これは昔何人かから聞いた言葉で、今でも頭に残っております。本当に、障害は個性なのでしょうか。確かに、聞こえないという点で他者にあるものがない。逆に、人工内耳や補聴器など、他者にないものがある。

ある友達は、初対面の方から人工内耳をつけてみたいと言われ、試しにつけたその人から「わたしもあなたと同じになった」と言われたことが何度かあるそうです。友達はこう言っていました。「人工内耳に興味を持ってくれるのは嬉しいけど、わたしは人工内耳じゃない」。

わたしが昔体験したことも紹介したいと思います。
わたしは小学の時にインテグレート(ろう学校ではなく地域の学校に通うこと)しておりました。ある授業で「聴覚障害」が扱われたとき、模擬体験として補聴器を友達に貸すように言われました。その時、学校に対して一気に不信を抱いてしまいました。
親や先生から、補聴器だけはつけなさいと口酸っぱく言われ続けていたこと、内緒でいつもOFFにしていたこと、この最後の自分の砦を否定されたような気がしたからです。模擬体験を通して、友達は何を知ることができたのでしょうか。もしかしたら、こんなに大きな音が聞こえる装置をつけないと生きていけないんだなと思われたかもしれません。そこにわたしはいないのです。

人工内耳や補聴器自体は人々の目に同じように見える。しかし、それらの装置を当事者がどう捉えているか、そこから見える世界は様々です。そして、「障害は個性」という言葉は、あくまでもNormal(聞こえる)という立ち位置から発しているような気がするのです。ろう者の中にも、多様性はあります。ろうや聴覚障害自体が個性なのではなくて、ろうだからこそできた経験を通してその子なりに育っていきます。

では、医学モデルではなく、逆に社会文化モデルの、ろうであることを誇りに思う世界だったら上のグラフはどうなるのでしょうか。ろうを定義づけるものはなんでしょう。ろうかどうかを測られるもの、デフファミリーかどうか、聴力、手話が上手いかどうか、デフコミュニティに属しているかどうか、行動、Deafhood(-hoodとは、当事者にある性質、もしくは共感できるものを持ち合わせている当事者、という意味です)など、様々な物差しができます。医学モデルが聴力を軸にするのなら、例えばこちらは手話を軸にすることもできます。

もしもこの世界にグラフがあったら、「聾学校出身の手話で育ったデフファミリー」がAwesomeに位置するのでしょうか。

5代も続くデフファミリーは強力なろう遺伝を持っているからと、ろうの子どもが欲しい者から人気があるのはよく聞く話ですね。

また、あるデフファミリーの友達は、大学の手話通訳課程の方に「ろう関係のイベントにいつも個人で誘ってもらっていたから、友達だと思っていた。試しにご飯に誘ったら、なんと返事がこなかった」。手話通訳課程の人と関わる時に、自身の手話やデフファミリーであることをステータスにされていると感じるときがあるそうです。

逆に、ろうアイデンティティを持っていても、対応手話を使っていると難聴だと見られる時もあります。自分が何者かという問いかけに対して、自分の認識と周りの認識が異なる時があるのです。


これらの例からもわかるように、社会文化モデルの世界においても、見えないグラフが潜んでいます。

また、逆にもしもコーダ(coda: ここでは、ろうの親を持つ聞こえる子どもとしましょう)が「僕はろうです。」と言ったら何を思いますか。

聴力の条件を満たしていないのですから、コーダや聴者はグラフが回転した時に左側のように弾き出されてしまうのでしょうか。

ある友達は、「僕はコーダだけど、アイデンティティはろう。ろうの両親を持つろうの子どもと同じ行動をするし、彼らの気持ちがよくわかる。だから僕はろう。でもたまにろう者たちが自分をろうだと認めてない。口には出さないけど行動で示される時がある」と寂しそうに言っていました。Codahoodはあるのでしょう。同時に彼のなかにはDeafhoodもあるのです。

ボストン大学のコーダの教授は、「あなた、ろうだと思ったわ。」とよくいわれるそうです。それはつまり「ろうではない。」ということです。

また別のコーダの友達は、こういう経験をしました。「家族でレストランに行くと、お店の人はいつもわたしに伝票を渡す。わたしはまだ10歳なのに。」支払い能力がないのに、聞こえ喋れるだけで伝票を渡される。子どもが、受け取った伝票をどんな気持ちで親に渡すのでしょうか。

“聞こえる”だけで、周りから自分が何者なのかを定義づけられる。同時に、「ろう」であることから引っ張り出されてしまう。
測り、比べ、区別をする。そうすることで、たとえアイデンティティがろうであっても、第三者の目で否定されてしまうこともある。またそれとは別に、何かをいうまでもなく周りから自分が何者かを決められる時もある。物差しやグラフがあるから、ときどきアイデンティティの認識に第三者とでギャップが生じます。ときには第三者の承認が必要な時も生じます。

人々はランキングやグラフを気にしないふりをして、どこかで意識しています。アメリカの大学のランキング1〜10位は毎年常連校が並んでいます。ハーバード大学やMITなど、世界的にも有名な大学ですね。年によって少しの変動があっても、それらの大学の関係者は順位に一喜一憂しないでしょう。しかし、10位以外の大学は自分の立ち位置をどこかで気にします。
昨年度ボストン大学(BU)が36位だと発表された瞬間、BUのホームページはそれに関するニュースで一色になりました。TwitterやFaceBookでも持ちきりだったそうです。しかし、今年度は42位だと発表された時、BU関係者はランキングのことに全く触れなくなりました。まるで「自分はそんなランキングなんて全然気にしてないよ」というかのように。
また、同時にみな重要なことを見落としていたのです。「ランキングの順位を決めるのは何か」。知らないまま喜び、知らないまま見ぬふりをして窓を閉じる。
多様性があるぶんどこかでグラフやランキングが生じます。自身の目を通して、誰かを決めつけてしまっているときもあるかもしれません。「障害は個性」という言葉からも、わたしは相手を決めつけてしまっているのかもしれませんね。長くなりましたが、とても挑戦しがいのあるものだと思い、今月のトピックにしました。

寒くなってきておりますが、みなさま身体にはお気をつけてください。今日もみなさまにとって楽しいことがありますように。それでは翌月またお会いしましょう。
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