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聴覚障害者留学
 
 このブログは、2004年度より特定非営利活動法人(NPO)日本ASL協会が日本財団の助成の下実施しております「日本財団聴覚障害者海外奨学金事業」の奨学生がアメリカ留学の様子および帰国後の活動などについてお届けするものです。
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2018年7月生活記録 【第13期生 山田茉侑】[2018年08月06日(Mon)]
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写真は、アメリカ最古のろう学校American School for the Deaf 略してASD (アメリカろう学校)の校舎と、その前に建つトーマス&アリス(Thomas Hopkins Gallaudet and Alice Cogswell)像です。いつかここに来たいと思いつづけておりましたが、まさかこんな早くに訪れることができようとは思いませんでした。

ところで、トーマス・ギャローデットといえば、ASDの建立に尽力した人のうちの一人です。アメリカのろう教育のスタートって面白いと思うので、ちょっと紹介したいと思います。


時は遡ること、1800年代。ふと窓の外を見たときに、目に止まった一人の少女が気になったギャローデットは、彼女に話しかけます。そこで、彼女がろうだと知りました。その彼女こそが、まだ幼い、手話を知らないアリスでした。そこからお互いに指差しなどでコミュニケーションを取るようになっていきました。


アリスの父:資金を出すので、ろう学校を建立して欲しい。まずはヨーロッパに行って、他国のろう学校の様子を見てきてくれないか。

ギャローデット:わかりました。


最初はイギリスのろう学校をモデルに学ぼうとしましたが、プライバシーに関わるため多くの情報を得られなかったそうです。そこで、ギャローデットはフランスのパリろう学校を訪れました。
口話法を実施していたイギリスのろう学校と異なり、パリろう学校は、ろう教師が手話で教育をしていたのです。これだ!と思ったギャローデットは、パリろう学校で教鞭をとっていたろう者の一人であるローレンツ・クラーク(Laurent Clerc)に、アメリカに来てほしいと説得するのです。ここが、アメリカのろう教育の運命のターニングポイントといっても過言ではありません。


ギャローデット:アメリカのろう学校建立に一肌脱いでくれないか。あなたの力が必要です。

クラーク:うーん・・・。


説得の末、ついにクラークはギャローデットと共にアメリカに渡ることを決心するのです。こぼれ話ですが、帰りの船の中、それぞれの言語をお互い教えあったそうです。その結果、3ヶ月という短いスパンでギャローデットはフランス手話を、クラークは英語をマスターしたという逸話があります。本当かどうかはわかりませんが、それぐらい二人とも情熱あふれる人だったことがわかります。

そして、いよいよギャローデット、クラーク、アリスの父によって1817年にアメリカで最初のろう学校が建立されるのです。この3人のうち誰か一人欠けていれば、アメリカのろう学校設立はもう少し後になったことでしょう。また、この3人だからこそ、アメリカのろう教育は、ASLでのバイリンガル教育でスタートできたのです。そして、ASDの最初の生徒が、アリスです。

上記の写真の彫像には、こういう経過の流れがあるのです。彫像からは、ギャローデットとアリスの仲の良さが伺えますね。

ちなみに、ギャローデットは聴者ですが、ろう者の当事者性を尊重しておりました。そして、ろう教師であるクラークが、ろうの子どもたちのモデルになっていくのです。彼らの教え子たちは、卒業後アメリカ中に飛び立ち、次々とろう学校を建立し、アメリカのろう教育をリードしていくようになるのですが、それはまた後の話。
アメリカの特徴として、ろう者のリーダーが多いのは、ろう・聴者がチームを組んで最初のろう学校を建立したからかもしれませんね。

・・・ちょっと話が長くなってしまいました。



そうです、ここはコネチカット州です。なぜ東海岸にいるのかというと・・・7月頭にNAD(National Association of the Deaf: 全アメリカろうあ連盟)会議に参加してきました。その際に近くのASDの寄宿舎に泊まりました。
NAD会議が行われたホテルでは、ひらひら、ひらひら手話がここかしこで舞っていました。会場近隣のレストランに行くと、ほぼ全席で手話が使われておりました。実はNAD会議と言っても、例年は様々な部門に分かれて会議が行われているそうです。ですが、今年は全ての部門の会議が同じ日に同じ場所で開催されたため、例年よりも大きな会議になったそうです。生まれて初めて「ろうの街」に来たかのような錯覚を覚えました。

実は、NAD会議ではわたしのホストファミリーのお父さん(聴者)とルームメイト(ろう者)が共同で講演しました!!
ルームは満席、「マイホストファミリーなんです!!!」という声も虚しくスタッフから「これ以上はルームに入れられない」と頑なな態度を見せられたため、聴講を諦めようとしたところ・・・天はわたしを見放さなかったようです、運良く他の参加者がルームを出たため、無事聴講できました。ホストファミリーの人望にただただ驚きました。


「ろう者の中にいる聴者の行動倫理」という内容を話されておりました。家でもこういうお話をすることはありましたが、改めてホストファミリーが普段どう考えて過ごしているのかを知ることができました。

例えば、
「レストランに行った時に、ろう者に囲まれた聴者はどう過ごすのか」
そこでは、3つの可能性が挙げられました。
・聴者がまとめてオーダーを取る
・聴者はろう者に混じって、ろう者と同じ行動をする
・(忘れました)

近くにいた人とグループでお話ししましたが、聴者がまとめてオーダーを取ることで、聴者が奴隷化してしまう、という声もありました。また、障害者―支援者という関係になってしまったことがあるというお話をすると、全員大きく頷いていたため、世界のどこにいても問題は同じなのだなと改めて思いました。
このテーマに、これぞと言った答えはありませんが、周りの人との関係性を考えながら何よりもお互いが気持ちよくいられるよう尊重し合うことを、自分も含めて忘れてはならないなと思いました。


ちなみに、講演の最後に、とある研究結果が紹介されました。

以下の3つのグループに分かれて、とあるテーマについて話し合わせます。
・手話のできない聴者同士
・手話のできる聴者同士
・ろう者同士

その後、それぞれのグループの人員を他のグループに何度か移し替えたそうです。
その結果、何が起こったのかというと、
「手話のできない聴者+手話のできる聴者+ろう者」グループよりも、「手話のできない聴者+ろう者」の方が、話し合いやすかったという研究結果が出たそうです。
つまり、手話のできる聴者が逐次通訳することで、ろう者と他の手話のできない聴者の距離が遠くなってしまったそうです。一方で、手話ができない人の間にろう者が入ると、全員が誰かに頼れないため、全員が一斉に会話内容を理解できる方法(例えば筆談や、たどたどしい指文字など)でコミュニケーションを取ろうとするようです。そのため、よりグループ間での結びつきが強くなったそうです。

この結果については、いろいろな声が挙がりそうですが、グループ間で話し合ったところ、やはりみなさん直接やり取りをしたいという考えを持っておりました。
このテーマの肝は、誰か少数派が話し合いを必死で追いかけるような状況ではなく、みんなが当事者になれる、つまり誰もが同じタイミングで参加できるような環境を作る姿勢を忘れちゃいけない、ということなのかなと思いました。
ちなみに、以前ホストファミリーのみなさんとキャンプに行ったときに、聴者であるお父さんは受付の人とスマホの画面を使って会話をしておりました。ルームメイトのろう者と画面を一緒に覗き込み、相談しながら受付作業を進めていたのを覚えております。

また、この講演を聞いて、ふと大学の先生(聴者)のことを思い出しました。他の人の話の通訳をしながらもずっと会話をリードしていました。また、「〜(通訳)ということは、〜(先生の意見)ですかね?」というふうに通訳と先生の意見を上手に繋げていたので、常にライブ感があり楽しかったのを覚えております。


長くなってしまいましたが、みなさま身体にはお気をつけて楽しい夏休みをエンジョイしてくださいませ。それではまた翌月にお会いしましょう。
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