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聴覚障害者留学
 
 このブログは、2004年度より特定非営利活動法人(NPO)日本ASL協会が日本財団の助成の下実施しております「日本財団聴覚障害者海外奨学金事業」の奨学生がアメリカ留学の様子および帰国後の活動などについてお届けするものです。
 コメントでいただくご質問はブログに書かれている内容の範囲のみでお願いします。それ以外の留学に関するご質問は日本ASL協会の留学担当にお問い合わせ下さい。
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2017年1月生活記録 第11期生 山本芙由美[2017年01月24日(Tue)]
けました!2017年もどうぞ宜しくお願い致します。
第11期生の山本芙由美です。

怒涛の最終テストが終わり、私自身、納得のできる成績をいただくことができました。
そして、待ちに待った冬休みはパートナーの諒さんがワシントンDCまで会いに来てくれました。
わずか一週間ほどの滞在でしたが、一緒にDC観光をしたり雪の降るニューヨークに行くことができました。
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(アメリカが抱えるとても深い悲しみ、というものを少しだけ共感できたような気がしました)

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(LGBT運動発祥の地ストーンウォール・イン(Stonewall Inn)の前にて)

ストーンウォールの反乱は1969年6月28日、ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン(Stonewall Inn)」が警察による踏み込み捜査を受けた時、その場にいたLGBTたちが初めて警官に真っ向から立ち向かって暴動となった事件です。これは権力によるLGBTQの人たちへの迫害に立ち向かう抵抗運動です。この運動は、のちにLGBTQたちの権利獲得運動の転換点となりました。

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これは私がニューヨークに行けば、いつも「Chelsea」という街に必ず行きます。この街は多くのアーティストが住む街です。街並みや行き交う人たち全てが芸術的で、現実世界から離れた気分にさせてくれます。
街をぶらっと歩いていると、ひとつのギャラリーに目がいきました。NYで暮らすトランスジェンダーの人たちを題材とした写真展 でした。(Mark Seliger氏「On Christopher Street」)
トランスジェンダーの人たちが、最先端の大都会、NYでどのように生きていて、彼らの目先はどこにあるのだろう、という様々な切り口を私たちに与えてくれたように思います。例えば、FTMのギャング、MTFのセックスワーカーたち、FTMとMTFの結婚、トランスジェンダーの家族など、さまざまな形の「暮らし」というものを感じとることができました。

諒さんが日本に帰国した後は、カナダのイエローナイフで4日間、トロントで8日間ほど滞在しました。
イエローナイフでは運次第といわれていたAurora(オーロラ)を2回、イエローナイフからトロントへ戻る飛行機の中からも見ることができました。
初めて飛行機の中でカウントダウンを過ごすことになりましたが、頑張った自分を褒めてくれているような気がして、うれしかったです。

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そして、トロントでは多くのろうLGBTたちと交流することができました。発端はひとつのメールでした。トロントには2004年から活動されている、ろうLGBT団体ORAD(Ontario Rainbow Aliance of the Deaf)があります。
Facebookにも彼らのページがあり、私が日本にいた頃からずっと目標にしていた団体です。
彼らに今度トロントに行くので、活動の様子を見学させてほしいというメールを送ったところ、日本のろうLGBTについて知りたいのでレクチャーをお願いしたいという返事でした。トントン拍子が運んで、1月5日、ORADで日本のろうLGBTについてレクチャーさせていただくことになりました。
FacebookのORADページアドレス https://www.facebook.com/OntarioRAD/?pnref=story

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また、トロントには「The 519」というLGBTQのための大きなコミュニティセンターがあります。LGBTQに関する多様なプログラムやワークショップが実施されていて、ORADの人たちも積極的に利用されているそうです。私たちはそこで講演会を開催しました。

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(右端がORAD代表のEvanさん)

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(積極的な質問が飛び交いました)

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(ORADの皆さんと!)

代表のEvanさんはトランスジェンダー、Queer(クィア)で、とても心が広く、あたたかい人です。

私自身、トロントに行くのは初めてなのですが、アメリカとは違う雰囲気があります。多国籍系のレストランが大盛況しているのです。街全体に多様性が行き渡っていて、それらを受容するかのようなエアーポケットが存在しているように感じました。

カナダには1977年にカナダ議会が制定した法律 Canadian Human Rights Act(カナダ人権法)があります。この法律は性的指向、人種、婚姻状況、信条、年齢、肌の色、障害、LGBTQ、政治的や宗教的信念の自由が保障されるようになっています。アメリカでは州ごとに法律が異なるのですが、カナダでは一つの国としての法律が機能しています。カナダは歴史的にみても外国の人たちを寛容に受け入れてきた国で、移民の力によって発展してきた国です。マイノリティーでも個人の努力、才能を認めることができる国です。
そのように、カナダとアメリカでは大きな違いがあるということがわかりました。トロントでは街をあげての政策としてDiversity(多様性)を推進することに取り組んでいます。バス停留所など街のいたるところにある広告には同性カップルが起用されているのをよく見かけました。

また、講演会ではトロントに住む日本人のショーさんも来てくれました。彼からは「ろうLGBTサポートブック」制作のきっかけをいただくなど、彼の存在なしではここまで日本のろうLGBT活動が進まなかっただろうと思います。
2年ぶりの再会でしたが、トロントで新しい生活を楽しく過ごされている様子をみて、うれしかったです。
講演会で彼が頑張ってアメリカ手話でお話をしてくれたのですが、とても良い内容だったので、ここにも書き留めておきます。

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(右端がショーさん)

「こんにちは、ショーです。日本人でトランスジェンダーです。トロントに住んでもうすぐ3年になります。日本ではLGBTQ団体の運営に関わっていました。ふゆみさんに出会ったのは約4年前です。私が主催するイベントに来てくれたのがきっかけでした。それまでろうの友達や知り合いがいなかったので、手話通訳をどうやってどこに頼んだらいいのかも全く知りませんでした。ふゆみさんに会ってから、少しずつろうについて知っていきました。これまでの価値観を揺るがす、とても面白い体験でした。
幸運なことに、助成金を取ることができて、ろうLGBTについての動画と冊子を制作しました。ふゆみさんには協力的な友達がたくさんいたので、動画も冊子も大成功で、LGBTについての基本的な知識を広めるのに役立っています。ふゆみさんたちの取り組みは、聴者中心のLGBTQコミュニティと、異性愛者中心のろう者コミュニティどちらに対しても大きな影響を与えていると思います。重要な第一歩を踏み出してくれたことに感謝しています。
実のところ、ふゆみさんに会う前は、ろうの人に会うのは嫌でした。私はろうの人に対して偏見/思い込みを持っていたからです。「ろうの人は手話がわからない人とは対話したくないだろう」「めんどうをかけることになる」「手話を知らないのに、ろうの人と対話しようとするのは失礼だろう」「ろうの人はろうの人だけで集まっているのが幸せだろう」などの思い込みです。しかし実際のところは違いました。ろうの人もいろんな人がいます。また、手話を知らなくても対話することはいろんな方法で可能です。聴者と対話することを厭わないろうの人もいます。私のこうした考え方は、日本文化の価値観が影響していると思います。私は日本文化は我慢の文化だと思っています。第一に優先すべきことは集団や社会であり、個人単位ではありません。和を乱してはいけないし、全体の調和を重んじる文化です。既存の価値観を崩すことが難しいのです。また、誰かに迷惑をかけたり、煩わせることを悪いこととみなし、誰にも頼らず自立しているべき、という通念があります。集団や現状維持のために個人が犠牲となるのが良しとされる文化とも言えます。
先に話した私のろう者への偏見が、私がろう者の立場だったらどのような考え方になるか想像がつくかと思います。「人をわずらわせてはいけない」「マジョリティに合わせないといけない」「自分が我慢してがんばらないといけない」「対話したいけど遠慮しておこう」などと思うと思います。つまり、個人の基本的人権を主張するのが難しいのです。そして人権運動を作るのも、団体を維持するのも難しいのです。
私がふゆみさんたちとの活動で学んだことは、1)まず知ること。知らせること。存在を知り状況を知らなければ、そして知らせなければ、はじまりません。2)個人の在り方を尊重すること。ろう文化、聴者の文化、性自認、性指向などそのままの違いを認めて尊重すること。3)迷惑をかけることを恐れないこと。迷惑をかけあえる社会の方が安心だし居心地が良いはずです。権利を主張することを「迷惑な人たち」扱いする社会の雰囲気を変えなければいけません。日本と北アメリカの状況は違うとは言え、とても学ぶところが多いのは確かです。日本のろうLGBTQの状況が北アメリカのように権利が保障され、権利を主張できる状況に近づくことを願いますが、文化背景が異なるため、日本文化に合った方法を探さなければならないと感じています。ふゆみさんや日本のろうLGBTQの活動をしている人たちは、日本社会に重要なインパクトを与えていると思います。ふゆみさんが帰国してからの活動を期待すると同時に、いつかまた一緒に新しい取り組みをできたらと思います。」

講演会の後の交流会では、多くのろうLGBTと交流しました。お互いの出身国の手話を教え合ったり、ダンスを踊ったり、冗談を飛ばしては笑い合ったりと、とても楽しい時間を過ごすことができました。
2015年、トルコで開催された世界ろう者会議で私たちの日本のろうLGBTに関する発表を覚えていて、会いにきてくれたCanadian Association of the Deaf(CAD; カナダろう協会)のFrank Folino会長ともお話することができました。彼自身もLGBTQ当事者であることを公にしています。とてもエネルギッシュな人でした。

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まだまだ書ききれないほどの多くのことを経験をしましたが、トロントに行くことで、北米とアメリカ合衆国の異なる部分、そしてLGBTQの権利保障という部分で多くのことを考えさせられました。また行きたいと思っています。

そして、春学期がスタートしましたが、幸いなことに新しくLGBTQがメインのクラスが二つ立ち上げられていて、現在、受講しています。履修クラスの詳細などについては次月の生活記録で報告させていただきたいと思っています。

それでは、また。
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