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人間失格 (03/30)
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「女生徒」を読もう33 [2010年02月27日(Sat)]
お姉さんは、お嫁にいってしまったし、お父さんは、もういない。たったお母さんと私だけになってしまった。お母さんもお淋しいことばかりなのだろう。こないだもお母さんは、「もうこれからさきは、生きる楽しみがなくなってしまった。あなたを見たって、私は、ほんとうは、あまり楽しみ感じない。ゆるしておくれ。幸福も、お父さんがいらっしゃらなければ、来ないほうがよい。」とおっしゃった。蚊が出て来ると、ふとお父さんを思い出し、ほどきものをすると、お父さんを思い出し、爪を切るときにもお父さんを思い出し、お茶がおいしいときにも、きっとお父さんを思い出すそうである。私が、どんなにお母さんの気持をいたわって、話相手になってあげても、やっぱりお父さんとは違うのだ。夫婦愛というものは、この世の中で一ばん強いもので、肉親の愛よりも、尊いものにちがいない。生意気なこと考えたので、ひとりで顔があかくなって来て、私は、濡れた手で髪をかきあげる。しゅっしゅっとお米をとぎながら、私は、お母さんが可愛く、いじらしくなって、大事にしようと、しんから思う。こんなウエーヴかけた髪なんか、さっそく解きほぐしてしまって、そうして髪の毛をもっと長く伸ばそう。お母さんは、せんから、私の髪の短いのを厭(いや)がっていらしたから、うんと伸ばしてきちんと結って見せたら、よろこぶだろう。けれども、そんなことまでして、お母さんを、いたわるのも厭だな。いやらしい。
「太宰治と歩く文学散歩」 [2010年02月27日(Sat)]
いよいよ本日、「太宰治検定」実行委員会メンバーの木村綾子さん著

『太宰治と歩く文学散歩』が発売になります。




〈木村さんのブログより〉

太宰治生誕の地「津軽」、転換の地「甲府」、『人間失格』脱稿の地「大宮」、そして終焉の地「三鷹」−−。作品舞台や各所の文学碑、仕事場跡地、太宰が立ち寄った思い出の場所などを基軸とし、太宰治の生涯や作品の解説、時代ごと地域ごとの特色をご紹介したこの本。春の陽に誘われて、ついつい出掛けたくなってしまうお散歩。そのお供としてこの本がそこにそっと寄り添ってくれたなら、作家・太宰治のゆかりの地を巡る文学散歩を一緒に楽しめたなら、私はとても嬉しいです。よろしくおねがいします。





きっと素敵な本に仕上がっていると思います。
「人間失格」舞台挨拶in青森 [2010年02月25日(Thu)]
映画「人間失格」の生田斗真さんと監督の荒戸源次郎による舞台挨拶が、28日(日)に弘前と青森で行われるようです。


太宰ファンと生田ファンは重なるのかどうかはわかりませんが、どうせ映画を見るなら、生(なま)生田くんを見てみたいですね。

26日、27日は熊本と福岡で行われるそうです。

詳しくは「人間失格」公式HPをご覧ください。
http://www.ns-movie.jp/

↑左上にある「SPECIAL CONTENS」をクリックすると
太宰治検定「人間失格」編がお楽しみ頂けます。

こちらもよろしくお願いします。
「女生徒」を読もう32 [2010年02月24日(Wed)]
 少し浮き浮きして台所へ行き、お米をといでいるうちに、また悲しくなってしまった。せんの小金井の家が懐(なつ)かしい。胸が焼けるほど恋いしい。あの、いいお家には、お父さんもいらしったし、お姉さんもいた。お母さんだって、若かった。私が学校から帰って来ると、お母さんと、お姉さんと、何か面白そうに台所か、茶の間で話をしている。おやつを貰(もら)って、ひとしきり二人に甘えたり、お姉さんに喧嘩ふっかけたり、それからきまって叱られて、外へ飛び出して遠くへ遠くへ自転車乗り、夕方には帰って来て、それから楽しく御飯だ。本当に楽しかった。自分を見詰めたり、不潔にぎくしゃくすることも無く、ただ、甘えて居ればよかったのだ。なんという大きい特権を私は享受(きょうじゅ)していたことだろう。しかも平気で。心配もなく、寂しさもなく、苦しみもなかった。お父さんは、立派なよいお父さんだった。お姉さんは、優しく、私は、いつもお姉さんにぶらさがってばかりいた。けれども、すこしずつ大きくなるにつれて、だいいち私が自身いやらしくなって、私の特権はいつの間にか消失して、あかはだか、醜(みにく)い醜い。ちっとも、ひとに甘えることができなくなって、考えこんでばかりいて、くるしいことばかり多くなった。
「女生徒」を読もう31 [2010年02月23日(Tue)]
 鏡を覗(のぞ)くと、私の顔は、おや、と思うほど活き活きしている。顔は、他人だ。私自身の悲しさや苦しさや、そんな心持とは、全然関係なく、別個に自由に活きている。きょうは頬紅も、つけないのに、こんなに頬がぱっと赤くて、それに、唇も小さく赤く光って、可愛い。眼鏡をはずして、そっと笑ってみる。目が、とってもいい。青く青く、澄んでいる。美しい夕空を、ながいこと見つめたから、こんなにいい目になったのかしら。しめたものだ。
「女生徒」を読もう30 [2010年02月22日(Mon)]
 井戸端の茱萸(ぐみ)の実が、ほんのりあかく色づいている。もう二週間もしたら、たべられるようになるかも知れない。去年は、おかしかった。私が夕方ひとりで茱萸をとってたべていたら、ジャピイ黙って見ているので、可哀想で一つやった。そしたら、ジャピイ食べちゃった。また二つやったら、食べた。あんまり面白くて、この木をゆすぶって、ポタポタ落したら、ジャピイ夢中になって食べはじめた。ばかなやつ。茱萸を食べる犬なんて、はじめてだ。私も背伸びしては、茱萸をとってたべている。ジャピイも下で食べている。可笑(おか)しかった。そのこと、思い出したら、ジャピイを懐かしくて、
「ジャピイ!」と呼んだ。
 ジャピイは、玄関のほうから、気取って走って来た。急に、歯ぎしりするほどジャピイを可愛くなっちゃって、シッポを強く掴(つか)むと、ジャピイは私の手を柔かく噛んだ。涙が出そうな気持になって、頭を打(ぶ)ってやる。ジャピイは、平気で、井戸端の水を音をたてて飲む。
 お部屋へはいると、ぼっと電灯が、ともっている。しんとしている。お父さんいない。やっぱり、お父さんがいないと、家の中に、どこか大きい空席が、ポカンと残って在るような気がして、身悶えしたくなる。和服に着換え、脱ぎ捨てた下着の薔薇にきれいなキスして、それから鏡台のまえに座ったら、客間のほうからお母さんたちの笑い声が、どっと起って、私は、なんだか、むかっとなった。お母さんは、私と二人きりのときはいいけれど、お客が来たときには、へんに私から遠くなって、冷くよそよそしく、私はそんな時に、一ばんお父さんが懐しく悲しくなる。
「女生徒」読もう29 [2010年02月21日(Sun)]
 家へ帰ってみると、お客様。お母さんも、もうかえっておられる。れいによって、何か、にぎやかな笑い声。お母さんは、私と二人きりのときには、顔がどんなに笑っていても、声をたてない。けれども、お客様とお話しているときには、顔は、ちっとも笑ってなくて、声ばかり、かん高く笑っている。挨拶して、すぐ裏へまわり、井戸端で手を洗い、靴下脱いで、足を洗っていたら、さかなやさんが来て、お待ちどおさま、まいど、ありがとうと言って、大きいお魚を一匹、井戸端へ置いていった。なんという、おさかなか、わからないけれど、鱗(うろこ)のこまかいところ、これは北海のものの感じがする。お魚を、お皿に移して、また手を洗っていたら、北海道の夏の臭いがした。おととしの夏休みに、北海道のお姉さんの家へ遊びに行ったときのことを思い出す。苫小牧(とまこまい)のお姉さんの家は、海岸に近い故か、始終お魚の臭いがしていた。お姉さんが、あのお家のがらんと広いお台所で、夕方ひとり、白い女らしい手で、上手にお魚をお料理していた様子も、はっきり浮ぶ。私は、あのとき、なぜかお姉さんに甘えたくて、たまらなく焦(こ)がれて、でもお姉さんには、あのころ、もう年(とし)ちゃんも生れていて、お姉さんは、私のものではなかったのだから、それを思えば、ヒュウと冷いすきま風が感じられて、どうしても、姉さんの細い肩に抱きつくことができなくて、死ぬほど寂しい気持で、じっと、あのほの暗いお台所の隅に立ったまま、気の遠くなるほどお姉さんの白くやさしく動く指先を見つめていたことも、思い出される。過ぎ去ったことは、みんな懐かしい。肉身って、不思議なもの。他人ならば、遠く離れると次第に淡く、忘れてゆくものなのに、肉身は、なおさら、懐しい美しいところばかり思い出されるのだから。
「女生徒」を読もう28 [2010年02月20日(Sat)]
 そうかも知れない。私は、たしかに、いけなくなった。くだらなくなった。いけない、いけない。弱い、弱い。だしぬけに、大きな声が、ワッと出そうになった。ちえっ、そんな叫び声あげたくらいで、自分の弱虫を、ごまかそうたって、だめだぞ。もっとどうにかなれ。私は、恋をしているのかも知れない。青草原に仰向けに寝ころがった。 「お父さん。」と呼んでみる。お父さん、お父さん。夕焼の空は綺麗です。そうして、夕靄(ゆうもや)は、ピンク色。夕日の光が靄の中に溶けて、にじんで、そのために靄がこんなに、やわらかいピンク色になったのでしょう。そのピンクの靄がゆらゆら流れて、木立の間にもぐっていったり、路の上を歩いたり、草原を撫でたり、そうして、私のからだを、ふんわり包んでしまいます。私の髪の毛一本一本まで、ピンクの光は、そっと幽(かす)かにてらして、そうしてやわらかく撫(な)でてくれます。それよりも、この空は、美しい。このお空には、私うまれてはじめて頭を下げたいのです。私は、いま神様を信じます。これは、この空の色は、なんという色なのかしら。薔薇。火事。虹。天使の翼。大伽藍。いいえ、そんなんじゃない。もっと、もっと神々しい。
「みんなを愛したい。」と涙が出そうなくらい思いました。じっと空を見ていると、だんだん空が変ってゆくのです。だんだん青味がかってゆくのです。ただ、溜息ばかりで、裸になってしまいたくなりました。それから、いまほど木の葉や草が透明に、美しく見えたこともありません。そっと草に、さわってみました。
 美しく生きたいと思います。
「女生徒」を読もう27 [2010年02月19日(Fri)]
 このお家に帰る田舎道(いなかみち)は、毎日毎日、あんまり見なれているので、どんな静かな田舎だか、わからなくなってしまった。ただ、木、道、畑、それだけなのだから。きょうは、ひとつ、よそからはじめてこの田舎にやって来た人の真似をして見よう。私は、ま、神田あたりの下駄屋さんのお嬢さんで、生れてはじめて郊外の土を踏むのだ。すると、この田舎は、いったいどんなに見えるだろう。すばらしい思いつき。可哀想な思いつき。私は、あらたまった顔つきになって、わざと、大袈裟(おおげさ)にきょろきょろしてみる。小さい並木路を下るときには、振り仰いで新緑の枝々を眺め、まあ、と小さい叫びを挙げてみて、土橋を渡るときには、しばらく小川をのぞいて、水鏡に顔をうつして、ワンワンと、犬の真似して吠えてみたり、遠くの畑を見るときは、目を小さくして、うっとりした風をして、いいわねえ、と呟(つぶや)いて溜息。神社では、また一休み。神社の森の中は、暗いので、あわてて立ち上って、おお、こわこわ、と言い肩を小さく窄(すぼ)めて、そそくさ森を通り抜け、森のそとの明るさに、わざと驚いたようなふうをして、いろいろ新しく新しく、と心掛けて田舎の道を、凝(こ)って歩いているうちに、なんだか、たまらなく淋しくなって来た。とうとう道傍の草原に、ペタリと座ってしまった。草の上に座ったら、つい今しがたまでの浮き浮きした気持が、コトンと音たてて消えて、ぎゅっとまじめになってしまった。そうして、このごろの自分を、静かに、ゆっくり思ってみた。なぜ、このごろの自分が、いけないのか。どうして、こんなに不安なのだろう。いつでも、何かにおびえている。この間も、誰かに言われた。「あなたは、だんだん俗っぽくなるのね。」
太宰治検定「人間失格」編 [2010年02月17日(Wed)]
いよいよ角川映画「人間失格」の公開が近づいてきました。楽しみですね。

で、

なんと!映画「人間失格」の公式HPhttp://www.ns-movie.jp/に
「太宰治検定」公認・太宰治検定「人間失格」編が登場です。

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