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津島園子さん (02/14) 池田守之
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明けましておめでとうございます (01/21) 「太宰治検定」事務局
「富嶽百景」編 2011 解答 (12/31) 受検生
「富嶽百景」編 2011 解答 (12/27) 受検生
「富岳百景」編 合格発表 (12/24) 三鷹受験生K
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人間失格 (03/30)
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来年のテキスト [2009年11月30日(Mon)]
太宰治検定2010についての報告が遅くなっております。

じつはテキスト発売にあたり、出版社が決まらずに難儀しております。

できれば全国の書店での販売ができるように(今年はこれができずに皆さまにご迷惑をおかけしました。)、大手出版社からの発売を希望しております。


28日に、大手出版社さんと話し合いがもたれました。まだどうなるかは解りませんが、感触はよかったと思っています。

もう少しお待ち下さい。



さて、

「太宰治検定2010」(年代別編)←ちょっと表現が変わるかも知れません。
について、非公式ですが、情報をお伝えします。

昭和13年、14年に書かれた作品にスポットを当て、作品とその背景、その時代の太宰治に関わる内容からの問題となります。

そのメインになる作品が決定しました。

「富嶽百景」です!

テキスト発売はまだ先になりますので、年代別編の受検を検討されている方は「富嶽百景」を中心に昭和13,14年に書かれた作品をお読み下さい。
「太宰が住んだ大宮」探索ツアーに行ってきました [2009年11月28日(Sat)]
11/28(土)にTAMAさんが主催された「太宰が住んだ大宮」探索ツアーに行ってきました。
https://blog.canpan.info/dazaikentei/archive/431

TAMAさんの綿密な調査により、大宮と太宰の関わりがはっきりと解明されてきています。TAMAさんスゴイです。

その一部を今回案内していただきました。



たくさん報告があるのですが、今いろいろと仕事が立て込んでしまいブログ更新がままなりません。後日アップします。ごめんなさい。
「I can speak」を読もう 3 [2009年11月26日(Thu)]
 私は、障子を少しあけて、小路を見おろす。はじめ、白梅かと思った。ちがった。その弟の白いレンコオトだった。
 季節はずれのそのレンコオトを着て、弟は寒そうに、工場の塀にひたと脊中《せなか》をくっつけて立っていて、その塀の上の、工場の窓から、ひとりの女工さんが、上半身乗り出し、酔った弟を、見つめている。
 月が出ていたけれど、その弟の顔も、女工さんの顔も、はっきりとは見えなかった。姉の顔は、まるく、ほの白く、笑っているようである。弟の顔は、黒く、まだ幼い感じであった。I can speak というその酔漢の英語が、くるしいくらい私を撃った。はじめに言葉ありき。よろずのもの、これに拠りて成る。ふっと私は、忘れた歌を思い出したような気がした。たあいない風景ではあったが、けれども、私には忘れがたい。
 あの夜の女工さんは、あのいい声のひとであるか、どうかは、それは、知らない。ちがうだろうね。



(「若草」昭和十四年二月号)
「I can speak」を読もう 2 [2009年11月25日(Wed)]
 おひるごろから、ひとりでぼそぼそ仕事をしていると、わかい女の合唱が聞えて来る。私はペンを休めて、耳傾ける。下宿と小路ひとつ距《へだ》て製糸工場が在るのだ。そこの女工さんたちが、作業しながら、唄うのだ。なかにひとつ、際立っていい声が在って、そいつがリイドして唄うのだ。鶏群の一鶴《いっかく》、そんな感じだ。いい声だな、と思う。お礼を言いたいとさえ思った。工場の塀《へい》をよじのぼって、その声の主を、ひとめ見たいとさえ思った。
 ここにひとり、わびしい男がいて、毎日毎日あなたの唄で、どんなに救われているかわからない、あなたは、それをご存じない、あなたは私を、私の仕事を、どんなに、けなげに、はげまして呉《く》れたか、私は、しんからお礼を言いたい。そんなことを書き散らして、工場の窓から、投文《なげぶみ》しようかとも思った。
 けれども、そんなことして、あの女工さん、おどろき、おそれてふっと声を失ったら、これは困る。無心の唄を、私のお礼が、かえって濁らせるようなことがあっては、罪悪である。私は、ひとりでやきもきしていた。
 恋、かも知れなかった。二月、寒いしずかな夜である。工場の小路で、酔漢の荒い言葉が、突然起った。私は、耳をすました。
 −−ば、ばかにするなよ。何がおかしいんだ。たまに酒を呑んだからって、おらあ笑われるような覚えは無《ね》え。I can speak English. おれは、夜学へ行ってんだよ。姉さん知ってるかい? 知らねえだろう。おふくろにも内緒で、こっそり夜学へかよっているんだ。偉くならなければ、いけないからな。姉さん、何がおかしいんだ。何を、そんなに笑うんだ。こう、姉さん。おらあな、いまに出征するんだ。そのときは、おどろくなよ。のんだくれの弟だって、人なみの働きはできるさ。嘘だよ、まだ出征とは、きまってねえのだ。だけども、さ、I can speak English. Can you speak English? Yes, I can. いいなあ、英語って奴は。姉さん、はっきり言って呉れ、おらあ、いい子だな、な、いい子だろう? おふくろなんて、なんにも判りゃしないのだ。……
「I can speak」を読もう 1 [2009年11月24日(Tue)]
「太宰治検定」のひとつに、年代編(仮称)が決定しました。2010年は昭和13,14年がテーマとなります。



今日からは昭和14年に書かれた「I can speak」をお届けします。





I can speak


 くるしさは、忍従の夜。あきらめの朝。この世とは、あきらめの努めか。わびしさの堪えか。わかさ、かくて、日に虫食われゆき、仕合せも、陋巷《ろうこう》の内に、見つけし、となむ。
 わが歌、声を失い、しばらく東京で無為徒食して、そのうちに、何か、歌でなく、謂わば「生活のつぶやき」とでもいったようなものを、ぼそぼそ書きはじめて、自分の文学のすすむべき路すこしずつ、そのおのれの作品に依って知らされ、ま、こんなところかな? と多少、自信に似たものを得て、まえから腹案していた長い小説に取りかかった。
 昨年、九月、甲州の御坂《みさか》峠頂上の天下茶屋という茶店の二階を借りて、そこで少しずつ、その仕事をすすめて、どうやら百枚ちかくなって、読みかえしてみても、そんなに悪い出来ではない。あたらしく力を得て、とにかくこれを完成させぬうちは、東京へ帰るまい、と御坂の木枯つよい日に、勝手にひとりで約束した。
 ばかな約束をしたものである。九月、十月、十一月、御坂の寒気堪えがたくなった。あのころは、心細い夜がつづいた。どうしようかと、さんざ迷った。自分で勝手に、自分に約束して、いまさら、それを破れず、東京へ飛んで帰りたくても、何かそれは破戒のような気がして、峠のうえで、途方に暮れた。甲府へ降りようと思った。甲府なら、東京よりも温いほどで、この冬も大丈夫すごせると思った。
 甲府へ降りた。たすかった。変なせきが出なくなった。甲府のまちはずれの下宿屋、日当りのいい一部屋かりて、机にむかって坐ってみて、よかったと思った。また、少しずつ仕事をすすめた。





【ちょっと解説】

・初出:「若草」 1939(昭和14)年2月号
『いまさら入門太宰治』 [2009年11月23日(Mon)]


いよいよ発売!

太宰治検定実行委員の、我らが木村綾子さんの著書

『いまさら入門 太宰治』

11月20日、講談社+α文庫から発売されました。


内容についてはご本人のブログからどうぞ
http://people.zozo.jp/ayakokimura/diary/815640

早速注文しました。
太宰ミュージアムHP [2009年11月20日(Fri)]
太宰のふる里金木で「太宰ミュージアム」という取り組みがされていることをご存知ですか?

「太宰治検定」でもいつもお世話になっているNPO法人「かなぎ元気倶楽部」さんが中心となって始まりました。


【 「太宰ミュージアム」とは  】

 太宰治生誕百年を契機に、平成22年12月の東北新幹線全線開業を見据え、通年で楽しめる文化的な観光コンテンツのブランドとなることを目的として、「太宰」というテーマで楽しめる斜陽館周辺のまち歩きや、津軽三味線をはじめとする音楽、演劇、文芸、食の魅力、農村体験など奥津軽の多彩な体験・滞在メニューを提供するものです。

 青森県では、「太宰ミュージアム」運営委員会を組織して、平成22年の「太宰ミュージアム」グランドオープンを支援し、県内外に情報発信することとしています。


そして、太宰ミュージアムを中心とした「太宰治ポータルサイト」が完成しました。


↑こちらをクリック

太宰情報や地元の情報満載です。


さらに「太宰倶楽部」に登録すれば、HP内の投稿や「Web文庫」がより便利に仕え(携帯やPCでいつでも太宰作品が読めますよ)、さらにさらに、メールマガジンの配信が受けられるそうです。

登録は無料!今すぐクリックを。

『生誕100周年記念写真展 太宰治の肖像』 [2009年11月19日(Thu)]
現在、三鷹市で『生誕100周年記念写真展 太宰治の肖像』展が開催されています。


12/23までだそうです。

行ってみたいですね。



木村綾子さんがレポートしてくれています。
http://www.villon.jp/
↑こちらのブログからどうぞ
「姥捨」を読もう 17 [2009年11月18日(Wed)]
 暗くなるまで、ふたりでいた。かず枝が、やっとどうにか歩けるようになって、ふたりこっそり杉林を出た。かず枝を自動車に乗せて谷川にやってから、嘉七は、ひとりで汽車で東京に帰った。
 あとは、かず枝の叔父に事情を打ち明けて一切をたのんだ。無口な叔父は、
「残念だなあ。」
 といかにも、残念そうにしていた。
 叔父がかず枝を連れてかえって、叔父の家に引きとり、
「かず枝のやつ、宿の娘みたいに、夜寝るときは、亭主とおかみの間に蒲団ひかせて、のんびり寝ていた。おかしなやつだね。」と言って、首をちぢめて笑った。他には、何も言わなかった。
 この叔父は、いいひとだった。嘉七がはっきりかず枝とわかれてからも、嘉七と、なんのこだわりもなく酒をのんで遊びまわった。それでも、時おり、
「かず枝も、かあいそうだね。」
 と思い出したようにふっと言い、嘉七は、その都度、心弱く、困った。





【ちょっと解説】

・かず枝の叔父:吉沢祐がモデル
「姥捨」を読もう 16 [2009年11月17日(Tue)]
 夜明けが近くなって来た。空が白くなりはじめたのである。かず枝も、だんだんおとなしくなって来た。朝霧が、もやもや木立に充満している。
 単純になろう。単純になろう。男らしさ、というこの言葉の単純性を笑うまい。人間は、素朴に生きるより、他に、生きかたがないものだ。
 かたわらに寝ているかず枝の髪の、杉の朽葉を、一つ一つたんねんに取ってやりながら、
 おれは、この女を愛している。どうしていいか、わからないほど愛している。そいつが、おれの苦悩のはじまりなんだ。けれども、もう、いい。おれは、愛しながら遠ざかりうる、何かしら強さを得た。生きて行くためには、愛をさえ犠牲にしなければならぬ。なんだ、あたりまえのことじゃないか。世間の人は、みんなそうして生きている。あたりまえに生きるのだ。生きてゆくには、それよりほかに仕方がない。おれは、天才でない。気ちがいじゃない。
 ひるすこし過ぎまで、かず枝は、たっぷり眠った。そのあいだに、嘉七は、よろめきながらも自分の濡れた着物を脱いで、かわかし、また、かず枝の下駄を捜しまわったり、薬品の空箱を土に埋めたり、かず枝の着物の泥をハンケチで拭きとったり、その他たくさんの仕事をした。
 かず枝は、めをさまして、嘉七から昨夜のことをいろいろ聞かされ、
「とうさん、すみません。」と言って、ぴょこんと頭をさげた。嘉七は、笑った。
 嘉七のほうは、もう歩けるようになっていたが、かず枝は、だめであった。しばらく、ふたりは座ったまま、きょうこれからのことを相談し合った。お金は、まだ拾円ちかくのこっていた。嘉七は、ふたり一緒に東京へかえることを主張したが、かず枝は、着物もひどく汚れているし、とてもこのままでは汽車に乗れない、と言い、結局、かず枝は、また自動車で谷川温泉へかえり、おばさんに、よその温泉場で散歩して転んで、着物を汚したとか、なんとか下手な嘘を言って、嘉七が東京にさきにかえって着換えの着物とお金を持ってまた迎えに来るまで、宿で静養している、ということに手筈がきまった。嘉七の着物がかわいたので、嘉七はひとり杉林から脱けて、水上のまちに出て、せんべいとキャラメルと、サイダーを買い、また山に引きかえして来て、かず枝と一緒にたべた。かず枝は、サイダーを一口のんで吐いた。
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