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ルポ:置き去りにされる患者たち ― フィリピン公立病院の現場から [2025年09月01日(Mon)]

「出て行け」。
フィリピンの首都マニラにある国立病院で、透析を続ける52歳の患者は、医師からこう言い放たれた。

彼は盲目で歩行ができない。大学を卒業したものの現在は無職、家族に見放され、メイドに介護を頼って生きている。透析の最中に寒気と微熱が出て、自ら救急車を呼び、入院を希望した。だが、医師の判断は冷酷に見えた。「緊急性はない。帰りなさい」と。



公立病院の現実

フィリピンの公立病院は、貧困層の最後の砦だ。
しかし、限られたベッドと人員は常に不足し、「命に直結する」患者が優先される。透析や慢性疾患は深刻ではあっても「すぐに死ぬ危険がない」とされ、入院を拒まれることが少なくない。

病院にとって、本人や家族の希望は入院判断の基準にはならない。公平性を守るために、トリアージュの原則が貫かれるのだ。



家族の不在

患者には親族がいる。しかし彼らは介護を拒んでいる。
「介護は他人がするもの」というのがフィリピン社会では一般的な発想だ。家族は経済的支援をする場合もあるが、実際の介護はメイドや施設職員に委ねられる。
この患者も例外ではなかった。親族は「病院がすべきだ」「メイドがいるのだから十分だ」と考え、本人も「家族に頼る」という発想を持たない。

だが、メイドには医学的な知識がなく、感染や転倒のリスクを管理することはできない。



社会にあふれる「遺棄」

病院が受け入れを拒む一方で、家族は患者を抱えきれない。
その狭間で、多くの人々が「遺棄」されてきた。

退院を迫られた患者が自宅で衰弱死する例もあれば、病院の廊下に放置されたまま家族が迎えに来ないこともある。さらに近年は、ショッピングモールや教会前に高齢者や障害者を置き去りにする事例まで報じられている。家族にとっては「人目のある場所に置けば誰かが助けてくれるだろう」という打算でもある。

公共の場に捨てられた患者は、通行人や警備員に発見され、自治体や修道院に一時的に保護されることになる。だが、これは根本的な解決にはならない。



たらい回しの末に

患者はこう語った。
「私は家に帰れない。そこは汚くて危険だ。メイドもどう世話していいかわからない。病院しか頼れないんだ」

だが病院は、介護施設ではない。医療の対象とならない者を長期に抱えることはできない。結果として、患者は「出て行け」と言われ、別の病院を探すしかなくなる。これは「たらい回し」であり、制度の隙間に落ち込んでいく現実だ。



公立病院の役割と限界

本来、公立病院は貧困層の命を守るために存在する。
しかし制度が整わない社会では、病院は「急性期の医療」と「介護の受け皿」という二重の役割を押しつけられている。その板挟みの中で、現場の医師や看護師は苦悩する。

命を優先するか、公平性を守るか。
介護を拒否する家族を責めるか、制度の不備を嘆くか。
そしてその狭間で、患者は行き場を失っていく。



終わりに

この52歳の透析患者もまた、その「行き場のなさ」の象徴である。
家族は介護を拒み、病院は受け入れを拒む。残されたのは、無力な本人と、知識のないメイド。
そしてもし退院が強行されれば、彼は自宅で、あるいは街の片隅で、「遺棄」という形で命を落とす危険がある。

公立病院の仕組みと、介護を家族が担わない文化。
そのはざまで、今日もまた、一人の患者が「居場所」を失っている。



タグ:介護 医療
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