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みどり環境フェア用展示パネルを作成しました[2007年09月25日(Tue)]

  今週29日、30日、箕面市メイプルホールのロビーで開催される「みどり環境フェア」に出展するパネルを先週金曜日に役員5人が集まって作りました。
 その1週間前にこのフェアの主旨にマッチした写真等を持ち寄って打合せをしていましたので、この日はその写真や説明文をレイアウトして張り付ける作業でした。

 この環境フェアは既に5回は開催されているので、パネルの作成の経験者がてきぱきとこなされたので2時間ほどで完成しました。

 私はこのパネル作成の経験は皆無でしたので、その作成の一端を紹介してみました。


カラーコピー屋さんの色はいろいろ

 コンビニエンス・ストアーでカラー写真が簡単にコピーできるようになり、持ち寄った写真の原画もパネルの大きさに合わせて拡大したものをベテランのNさんが用意してきてくれました。
 カラーコピー機によって赤が強調されたり、緑色が強調される店などコピー機のメーカーや機種によって色が微妙に違うようです。
私たちのパネルでは竹林や森林の様子を写真で紹介するので緑色が強調される店でコピーをしてきました。


写真や説明文を切りそろえる

 この作業では説明文や拡大した写真のコピーは既に準備できていましたので、写真はトリミングして切りそろえ、説明文は文字の大きさを何種類か事前に作ってきていました。



    写真1 写真を切りそろえる

見る人の目線でレイアウトを!


 先週打ち合わせた段階で使う写真や説明文、大きさなどはNさんが頭の中で整理されていたので、レイアウトはスムーズに運びました。
 去年の例で説明文が長くて字も小さくなりボードの大きさ1200mm×1800mmでは何を説明したいのか焦点がぼけていた団体もあったとか作業をしながら話題になりました。
幸いにNさんとKさんはパネルの展示方法の講習会に出られたとか、文字は15字までにし、見学者の目線にも気を配りました。

 見学者はまず中央に貼り付けた大きな写真をみて興味があれば左上から目線を下に移動させ、下まで来ると右斜め上に移し、上までみたらまっすぐ下に目を移すそうです。英語のWの字の斜めの傾きを垂直にしたような感じで目線が動くそうです。




      写真2 パネル上に仮置きして配置を考える

竹炭つくりのパネル

 見る人の目線の動きにマッチしたレイアウトで貼り付けて完成したのが写真3です。
 環境問題がテーマですから竹炭作りの紹介パネルでは、メインに放置されていた棚田の40年後の竹林の間伐の様子を紹介しています。




      写真3 出来上がった竹炭つくりのパネル


 1週間前に打ち合わせたときは、間伐する前と間伐後の写真を並べることにしていましたが、スペースがなく、1枚の写真の中に作業前と作業後の状況がわかるようにして竹林の間伐が必要性なことを訴えました。その成果として来年には筍が出てくること期待し「元気な筍おいで」と呼びかけています。

 間伐した竹は「廃材にしないでリサイクルして竹炭を作っています」と紹介するのがこのパネルで訴えたいテーマです。
 間伐した竹の運搬と炭材つくりの写真、炭やき窯の作業の様子、そして「できたての竹炭」を前に喜びと感謝の写真を並べました。

 最後に、関心のある方のために炭材つくりと炭やきの作業の流れを説明しています。
 以前このブログで書いた炭材つくり炭やき作業で説明したときよりも平易な言葉を使うよう心がけました。




 この記事の下書きの段階で校正をしてくれたNさんから校正箇所の指摘した後、「竹炭 を や こ う」の文字の配列のわけを説明してくれました。「を」の文字を逆にしたのは、読む人に関心を持ってもらうとともに、この配列でW字の目線の誘導をするためだと言われ、私は「なるほど、そういう意図があったのか!」と感心しました。

もう1枚のパネルでは箕面だんだんクラブの紹介

 箕面市と箕面だんだんクラブでは「箕面市『体験学習の森』森作り活動協定書」の第1条に「森林環境の保全・整備、山麓部をはじめとする森づくりの人材育成、環境教育の場づくり及び地球環境の保全への貢献等を目途とする」と書いています。

 そこで、もう1枚のパネルでは、森づくりの活動の様子を紹介しています。
 今年6月に作成したリーフレットを左上と右下に配置し森づくり作業の中で、道標、間伐、作業道つくり、植林、鹿の食害防護の作業の様子を写真で紹介しました。

 明るくなった斜面には花が咲いている写真を配置し、この森で咲く花の見ごろとその花の写真12枚を隙間に散りばめました。




    写真4 出来上がった箕面だんだんクラブの紹介パネル

  このパネルは、9月22日に市内の中学校の文化祭で展示された後、9月29,30日メイプルホールでのイベント「箕面のみどり展」で展示します。また、見学者には先着数十名には、Fさんが炭の粉末で真っ黒になって切りそろえてくれた竹炭を頒布することにしています。 


 9月29日、30日メイプルホールで開催される
「箕面のみどりフェア」へ、みなさんお誘いのうえ、お越し下さい。
「箕面のみどり展」で頒布する竹炭[2007年09月04日(Tue)]

 箕面市内で開催されるイベント「箕面のみどり展」には私たちのクラブにも参加の要請がきています。
 みどり展は9月29日(土)、30日(日)開催されます。「みどり環境展」には私たちの活動を紹介するパネルを準備している段階です。
 また、来場者には私たちクラブのパンフレットと私たちの新窯でやいた竹炭を無料配布することにしています。


 その竹炭を窯から取り出したままでは長さが不揃いで扱いにくいので、20センチ程度に切りそろえなければなりません。
 このため、9月1日の活動日には窯から取り出したばかりの竹炭の中から硬くて金属音のする良質のものを選び出し、電動丸のこぎりで切断する作業を行いました。

 切断するとき炭の微粉末が飛び散りマスクの周りなどは炭の粉で真っ黒になります。毎回のことですが、この嫌な仕事をFさんが一手に引き受けてしてくれます。
マスクを外すと、そのマスクの周りに黒い炭の輪ができてグロテスクな顔になるので申し訳ないと思いながら今までからFさんに任せています。




 切断して切りそろえた竹炭は、25センチの密閉できるビニール袋に5、6片詰めて渡すようにしています。



 本来なら、ワイヤーブラシ等で炭の粉を取り除き、水洗いをした後、熱湯で10分間以上煮沸して乾燥させたものならば、直ぐに使用できて理想的なのですが、市販の竹炭でもそこまで手間をかけた品物は少ないようです。

 この記事をここまで書いてみて、煮沸するなどそんなに手間をかけなくても竹炭の別の使い方を思い出しました。水洗いして乾燥しただけで使えそうです。その根拠の資料を今日のコピペ(インターネットで検索した資料をコピーし、ペーストすること)にします。


今日のコピペ

■竹炭マッサージの感触最高。ジュビロ磐田で竹炭を採用!

−中日スポーツ・1997年7月11日(金)の朝刊から引用−

 モウソウ竹を蒸し焼きにした竹炭を利用した珍しいイメージトレーニングを十日から、開始した。
 静岡県磐田市の選手寮の治療室に十日から竹炭を置き、心身をリラックスさせる”癒(いや)し” のマッサージに精を出している。
「竹炭マッサージ」に着目したのは、磐田の始澤輝雄トレーナー。古橋竹材店の古橋一成代表の竹炭セミナーに参加した時、「気感の優れた月華波動竹炭をイメージトレーニングやハリ治療の補助として使用したら、癒し効果があるのでは」と判断、導入に踏み切った。
 「竹炭マッサージ」を磐田に推薦した田村歯科医院(静岡県磐田郡)の田村享生院長も、月華波動竹炭を口腔内の痛みを訴える患者に使用したところ、鎮痛効果が多く見られたという。
 使用方法は、月華波動竹炭を体の各部に当てて、軽くこする。これは15分ほど繰り返す。けがの選手には患部に、またそれ以外の選手は自分が得点した時のイメージを想定しながらマッサージを行う。
 この日、マッサージを行った磐田の勝矢・藤田両選手が「触感がいい、どういう効果が出るか楽しみ」と話していた。
鯉談義[2007年09月03日(Mon)]

 8月の最終週の土曜日にはシャア、シャア・・・・・・のクマゼミの騒がしい鳴き声でしたが、1週間後にはもうクマゼミはほとんど聞こえず、入れ替わって、ツクツクボーシ、ツクツクボーシと鳴くツクツクボウシ、ミーン、ミンミンミンミーと聞こえるミンミンゼミに交じってカナカナ・・・・・・と鳴きながら次第にか細くなるヒグラシを聴くと、この山では初秋に入ったのだと季節の移り変わりを感じます。
私が住む箕面の市街地ではまだ、クマゼミが鳴いていますが・・・・・・

 9月に入って初日は土曜日で、好天に恵まれ19人が参加しての活動日でした。
 
 朝礼では今日の作業予定のほかに、11日〜13日に竹林の間伐作業の説明に加えて、私たちの活動報告や情報交換として利用している日本財団のKANPANで公開した「ダム湖の鯉」について概略を説明し、掲載した記事を読んでもらうとともに、その対策をどうするか提案しました。


昼休みの鯉談義

 昼食後、今朝話題にした「放流されて困っている鯉」に関連した話が出ました。
・魚釣りの好きなIさんの話
 「吹田市内を流れる安威川で1メートル近い鯉を釣ったが、あまりの大物に引き上げるのに3時間近くかかった。釣り糸を切られないように徐々に手繰り寄せていくと、近所の人がどんどん集まってきて手伝ってくれた。網を持ってきてくれたり、引き上げるのを手伝ったりしてくれた。やっと釣り上げたが、又川へ放流した。

・鳥取県の山奥で育ったNさんの話
 「お客さんが来たりしておもてなしの料理は鯉だった。手ごろな大きさの鯉から食卓に出されるので、大きな鯉は手がつけられないままにどんどん大きくなっていく。池で育ている鯉でもあまり大きいのは近寄ってくるとゾォーとする」。

・標高の高い箕面スパーガーデン近くで野菜を作っているSさんの話
「最初に南京豆などを作っていたが、猿やイノシシなどに全部やられたので、農園全体を網で囲ってしまってその中へ人が入って作業をするようにしてやっと対策ができた。南瓜までは食べられないだろうと思っていたら、食べられてしまった。

・スイカつくりの名人Yさんの話
 「南瓜を食べた切り口はどんな状況でしたか。アライグマに食べられた可能性がある。スイカの収穫のとき、スイカがあまりのも軽いので見たら中身だけを取り出して食べられていた。外来種のアライグマをペットとして飼っていた人が大きくなって育てられなくなり、放置して箕面の山中で数多く棲みついている。農作物の被害は深刻だ。

そのほか、放流に関連した話題では
・国定公園、箕面の滝の箕面川に鯉を放流する人がいて困っている。

・箕面川では増水で鯉が下流に流されていなくなると、また放流しにくる人がいる。

・箕面川の下流には梅雨時期にゲンジボタルが飛び交い名所になっているのに、鯉が下流  へ流れていると、ホタルの幼虫の餌になるカワニナを食べつくしてしまうのではないか。

・「魚などを放流しないで下さい」という禁止の立て札はないのですか。「禁止の立札はなく、 川で釣りを禁止する程度の柔らかい文言が立ててある程度である。

・オオサンショウウオも本来はいないはずなのに誰かが飼育に困って箕面川に捨てにきてい る。これにかまれるときつい。もともと箕面川にオオサンショウウオが棲みついていたとは考えられない。


ダム湖の鯉の処理方法



 
 「1メートルくらいの大きな鯉を釣ったIさんは、未だ小さくて釣る気になれないし、3匹では直ぐにつれてしまう」という返事でした。網ですくわなくても、その気になれば直ぐに捕らえることはできそうです。




  
         我が物顔で悠々と泳ぐダム湖の鯉
 

 その鯉をどうするのか、下流や別の川へ放流することもできません。「鯉のあらい」料理にして食べるのが一番よさそうですが、ダム湖の鯉はまだ食べごろの大きさではなさそうです。大きく育つまで待つと、ダム湖に棲む元からの動植物がやられて環境破壊になりかねませんが、今日は「鯉談義」で終わってしまいました。


今日のコピペインターネットからコピー&ペースト)


 インターネットでアライグマ、放置で検索すると、トップで神戸市産業振興局のホームページにアライグマ被害対策が掲載されていました。

アライグマ被害対策について
 
 アライグマは、北アメリカ原産の動物ですが、近年、野生化したアライグマが、北区の農村地域を中心に農業被害や家屋侵入などの生活環境被害が急増し、東灘区などの市街地においても生活環境被害が多発するなど、深刻な状況にあり、対策が急務になっています。
神戸市は、外来生物法に基づき「神戸市アライグマ防除実施計画」を平成18年12月に策定し、被害の低減及び生息頭数の減少をめざして、被害対策を進めています。


1 被害の例
家屋侵入⇒子育ての時期(春先)に民家の天井裏に棲みつくことによる騒音や糞尿被害、庭にある果樹や菜園でとれる野菜などの食害
農業被害⇒いちご、ブドウ、すいか、トマト、とうもろこしなどの食害


2 アライグマ被害発生の背景

 アライグマは、愛玩動物として日本に大量に輸入され販売されました。しかし、家庭で飼育すことが困難であったことから、飼い主が捨てたり、逃げ出したりしたことにより野生化したものです。今日の様々な被害の発生は、飼い主の無責任な対応による結果であると言えます。
 今後は、外来生物被害予防三原則である「入れない・捨てない・拡げない」を守り、多様な在来種が棲む、バランスのとれた自然環境を守るという意識を高める必要があります。
 また、私たちが家庭で動物を飼う責任を充分に理解するとともに、人間の責任で被害が発生したという事実を充分認識した上で防除に努めていく必要があります。
第24話「箕面だんだんクラブ」のパンフレットを作りました[2007年08月23日(Thu)]



 2004年3月に発足した私たちのクラブは、すでに3年を経過し、会員も40名を越すまでに成長しました。
 そこで私たちの活動を具体的に説明するパンフレットを作ろうという機運が高まり、この度ようやく出来上がりました。
 その出来上がったパンフレットをお見せしてその活動を紹介します。


パンフレットのおもて面

 まず、パンフレットはA4版を3つ折にした大きさになっています。
 「箕面だんだんクラブ」の左端に「だんだん」は山陰地方に残る「ありがとう」を意味する方言ですが、今日一日へ、森林浴へ、楽しい仲間へ、だんだん(ありがとう)と感謝の気持ちを表わしました。




活動の拠点・豚汁広場

 活動の拠点は「竹炭やき」の炭窯2基があり、「森の手入れ」の道具類を置いている、通称「豚汁広場」です。
 この広場には、自慢の日よけと雨よけ兼用のブルーシートがあります。広さは10メートル四方の大きなものですが、2段の竹にこのシートを挟んでいて風などに煽られないようにした上で、滑車を両端に取り付けていて使わないときには格納できるようにした移動式屋根になっています。

 昼食やコーヒータイムに利用しています。
 5月になって会員が40名を越しテーブルが手狭になったので、ベニヤ板の食卓を5枚並べられるように広げました。




 豚汁広場の全景



 写真の左手には斜めの煙突が2本出ていて炭窯からの煙から竹酢液の採取にその力を発揮しています。
 この写真は今年の2月に撮影しましたが、盛夏の今は13年前に植林したクヌギの葉が生い茂っています。


四季折々に開く親睦会

 パンフレットの中の「ボランティアの声より」のなかに「四季折々に開く親睦会、珍しい体験談や特技もとびだして、仲間たちの思わぬ一面が」と書いています。

 山桜が満開になるころには「花見会」、盛夏には「暑気払い・ソーメン流し」、サトイモが出回る秋には「いも煮会」、冬には「忘年会・豚汁大会」、そのほか、特別なお祝いなどを兼ねた親睦会を開いています。




写真は2007年5月5日炭窯完成祝賀会から


活動日

 毎月第1、第2の土曜日、日曜日および第4土曜日の10時から16時ころまでが定例ですが、その他に「箕面市社会福祉法人あかつき特別養護老人ホーム」の果樹園の草刈り、竹林等の間伐ボランティアや秋から冬にかけて竹炭用孟宗竹の採取などの臨時活動もしています。



パンフレットのうら面


 私たち「箕面だんだんクラブ」と箕面市は、森作り活動の実施に関して、{箕面市「体験学習の森」森作り活動 協定書}を締結しています。
 それによると、土地の所在は「箕面市大字粟生間谷2898−4」で
面積は252,798.75uとなっていて、甲子園球場グランド面積の17倍強の広さです。

 こんなに広大な面積を踏破された方はおそらくおられないと思います。現在私たちが活動している場所を中心に散策マップを裏面に載せています。


箕面市の市花「ささゆり」


 箕面市の市花はささゆりであることからこの花を掲載していますが、私はこの活動場所で見かけたことはありません。

 箕面市の自然に詳しい浅葉 清先生(前箕面ビジターセンター所長)が撮影されたささゆりの花が、市のカレンダー(ふるさとカレンダー2007・箕面国定公園 森の花6月)に掲載されていますので、そちらをあわせてご覧下さい。

 浅葉先生は「第1回箕面の自然を学ぶ会」の席で、国定公園内では動植物は法律で禁止されているのですが、ささゆりに限らず、植物を平気で持ち帰る人がいること嘆かわしく、また、箕面市の市花である「ささゆり」はわずか7本になってしまいましたと発言されていました。

 私も市花というにはあまりにも情けない現状に驚きました。

 さらに、先生は『里山の手入れは、決して下草を根こそぎ刈り取ってしまうことではない』という指摘は、里山を知り尽くした方ならではの警告をしておられます。

 私たちの活動場所では、ささゆりに出会えませんので、私が今年の6月18日熊野古道紀伊路を歩いたときに咲いていた「ささゆり」の写真を掲載します。
 箕面の山中で写したささゆりよりもピンク色が強く出ていますし、折から梅雨でしっとりぬれていて生き生きと誇らしく咲いていました。




 インターネットで「花、ささゆり」で検索すると、兵庫県中西部に位置する宍粟市(シソウシ)は、市花を箕面市と同じく『ささゆり』にしています。
 その欄には「本州(静岡県、新潟県以西)・四国・九州の広範囲にわたって分布する『ユリ科』の花で草丈は50〜100cm、葉は披針形のササの葉に似ていることから、この名が付けられています。そして6月〜7月に優美・清楚・可憐な細長い漏斗型の淡紅色から白色の花が咲きますが、ユリの中では一番早く花を咲かせることから、『さゆり』とも呼ばれ、素晴らしい香りがあります。
 宍粟市内では、各所の山すそに自生していますが、山林の人工林化や山離れによる手入れ不足、そして移植や人工栽培が難しいことから、現地でしか見ることができない希少な花となっています。
 花言葉は『上品』」『希少』『めずらしい』などがあります」と紹介されていました。

上記浅葉先生の話に「里山の手入れは、決して下草を根こそぎ刈り取ってしまうことではない」という指摘がありましたが、私たちは刈り取ってはいけない場所には、赤いビニールの紐で立ち入りを制限したり、切っては困る木には赤札を取り付けて注意するようにしています。

また、私たちのクラブで森林管理に詳しいNさんによると、「植物はそこに適した場所で土壌などの影響を受けているから、その場所に自生している樹木の仲間を植林しないと育たない」と教えてくれています。


(2007年8月23日)


暑気払い・ソーメン流し[2007年08月06日(Mon)]

 台風5号が過ぎ去った8月4日、私たちクラブの毎夏の恒例行事になっている「暑気払い・ソーメン流し」が行われました。
 
 私がこのクラブに入会してからは、花見会、いも煮会、暑気払い会、忘年会など、年4,5回の飲み会は、炭窯の前の休憩場所になっている豚汁広場で行っていますが、かつてはソーメン広場と名付けているもっと奥の場所で、渓流から水を引いてソーメン流しをしていたようです。
 今の豚汁広場に移ってからも、2年前まで勝尾寺川支流の水を引いてソーメン流しをしていましたが、その水が原因で腹の調子を悪くした人がいて谷川の水は使わないようになりました。というのは、この川はソーメン広場まで行くと、谷が2つに分かれていて、かつて土砂崩れが原因で伏流水となって湧き出ている渓流ともう一つは山上に霊園があってそこで使った水がこの渓流に流れ込む2つが合流しているからです。

 ソーメンとカタカナで書きましたが、正式には素麺です。夏の風物詩として漢字で表現するといかにも暑苦しい感じになりますので、ソーメンとしました。

 まえがきはこのくらいにして、早速に私たちのソーメン流しの様子を書きます。


青竹を割ってウォータースライダーを作る

 私たちが箕面市と締結した「森づくり活動」の山林には竹林もあります。
春先に出る竹の子はイノシシに食べられてしまうので竹薮がこのまま存続するのか心配ですが、今のところ立派な孟宗竹やマダケが生い茂っています。10時前に有志で10メートルを超す孟宗竹を切り出してきました。
 
 竹の中の節間には少し水が入っているのを見たときは、「孔もあいていない青竹の外側から浸透した水ではない」ので不思議な感じがしました。




             青竹を割ってソーメンを流す樋を作る


             ソーメン汁を入れる器や薬味もそろった食卓

竹の中の水


 竹の中から出てくる話で有名なのは、「今は昔竹取の翁といふものありけり・・・・・・」という竹取物語では光かがやく竹の中から出てきて竹取の翁の夫婦に育てられたかぐや姫の物語ですが、常識的には外気より二酸化炭素の多い空気が詰まっているだけと思っていました。若竹の節間に水が溜まっているのを見るのは初めてでした。

 私たちが竹炭用の竹を間伐するのは10月頃からですし、竹に繁殖する虫で孔があいて雨水の入った竹を除けば乾燥した空洞の竹ばかりでした。

 このあたりをネットで検索すると、「夏場には、竹は水を吸い上げる為、その幹には水分が多く含む」と言われています。中国では、竹に入った水を呑むと不老長寿になるといわれるのだそうです。

 また、竹に孔をあけないで浸透圧だけで焼酎をしみこませた「竹酒」が特許出願中と書いていました。

 そういえば、10月のいも煮会のころ、かまどの回りに切ってきた竹筒に酒を入れて熱燗にして青竹で作ったコップで飲むという風流なことをしたのも、この豚汁広場での懇親会のときでした。


みんなで手分けして料理の準備

 この写真に写っているまな板は間伐材をカンナで削った手作りです。いろいろ食器類もそろっていますが、そのほとんどは、すぐそばのリサイクルセンターからもらってきたものを活用しています。



 ソーメン汁の薬味はみょうが、ねぎ、青シソなどで大きなまな板の上で切り刻み、会員が作っているフルーツトマトや、大根のあっさり漬け、おにぎりなども加わって着々と整っていきます。

 待ちきれない私を含めた数人は、毒見と称してビールで乾杯の練習を繰り返しました。毒見の結果、川の水で冷やしていたビールやジュース類は生ぬるく、氷で冷やすことにしました。おかげで、本番の乾杯時には冷えたビールを飲むことができました。


ソーメンをウォータースライダーで流す

 11時過ぎには待ちに待ったソーメンがゆであがり、いったん氷水でぬめりを取り除いたソーメンを竹製のウォータースライダーから流れ始めました。

 水源はタンクからコックで水量を調整しながらソーメンを流す仕掛けです。ソーメン流しを経験しているNさんから、水源に向かって左側に座ると、右手が使えて取りやすいと聞いて私は早くから席を確保してしっかり食べることができました。




 写真はブルーシートの下で写しましたので、顔が真っ青になっていますが、食中毒ではありません。

 鍋を2つ用意していてソーメンをゆでるとともに、お湯は別の鍋でどんどん沸かしているので次々と流れてきました。ただ、タンクの水には容量が限られ、水道水を汲みに出かける人やかまどの火の番、ゆでる人、流す人はあまり食べられなかったのではないかと思います。

 ちなみに、うどん3兄弟は日本農林規格(JAS規格)の『乾めん類品質表示基準』で、麺の太さで区別されているそうです。機械麺の場合、素麺の麺の太さは直径1.3mm未満とされ、直径1.3mm以上〜1.7mm未満は冷や麦、1.7mm以上はうどんと分類されています。


食後のフルーツはスイカで

 会員の一人が自分の農園で取れたスイカを持ってきてくれ、食後のフルーツに出てきました。そこで、しばらくスイカ談義で話題が盛り上がりました。

 私は途中から加わったので黒部スイカの話題には付いていけませんでしたが、満州へ持っていくのに割れない、皮の厚いスイカとして黒部スイカが重宝されたとか話していました。

 そこで、黒部スイカをネットで検索してみると、

 北日本新聞2006年6月1日付けで「黒部市は、かつて全国に名をはせた特産品『黒部スイカ』の復活に向け、プロジェクトをスタートさせる。初年度の今年は、新たな生産農家を募るとともに、市内でただ1人となった生産者の栽培技術を継承するため、講習用の畑を確保。地元農協と連携して販売ルートも探る考えで、同市は『黒部スイカの伝統を守りたい』としている。黒部スイカの栽培は明治16年、荻生村(現黒部市)の篤農家が米国からラットルスネーク種を導入したことを契機に始まった。その後、品種改良が加えられ、明治末期に『黒部スイカ』と命名された。皮が厚く、日持ちするため、冷蔵庫のない時代は重宝され、楕円(だえん)のユニークな形と相まって特産品になった。昭和20年代のピーク時には約40ヘクタールで作付けされたという」。


 また、別の話題で、今は豚汁広場で生い茂っているクヌギは13年前に植えたそうで、その当時は笹が生い茂った土地で、当時のことを知らない私には想像もできません。
 当時からクヌギの成長を見続けているKさんは植えてからの5,6年は下へ根が成長する過程で木は大きくならないが、それを過ぎるとどんどん葉が生い茂り幹も太っていくそうです。
 

 ソーメン流しをしているときにも、鬼ヤンマや、喋々や飛んできましたし、じいちゃん、ばあちゃんと一緒に参加した二人の子供はミヤマクワガタを捕まえていました。 この豚汁広場も小鳥や昆虫が集まる里山になっていく様子を実感できたソーメン流しでした。

 この11月には「みどりづくりの輪活動支援事業」でソーメン広場を登った荒地にクヌギの苗木を200本ほど植えることにしています。


今日のコピペ:CityDO! 日本の夏の風物詩 そうめん特集より

 そうめんの起源伝説
 うどんやそうめんの原型は、奈良時代に中国から遣唐使によって伝えられた、とされている。それを裏づけるかのような伝承が、古都奈良に残っている。
 
 当時の都平城京から南に20km、奈良県は桜井市。三輪そうめんの産地として知られる一帯に、日本最古の神社といわれる大神神社(おおみわじんじゃ)がある。この神社には、主祭神の大物主命(おおものぬしのみこと)をはじめ、酒の神様、農耕の神様など、古代日本の産業を作り給うた神様がたくさん鎮座されている。そうめんもまた、この神社を発祥の地であると伝承は言う。

今から約千三百年前、大神神社の第12代の宮司、従五位上大神朝臣狭井久佐(おおみわのあそん・さいくさ)の次男、穀主(たねぬし)が、三輪の里の肥沃な土地と三輪山から流れ出る巻向川と初瀬川の清流が、小麦の栽培に最も適するのを知って種を蒔かせ、小麦粉を原料に神意に沿って「そうめん」を製造した。そうめんは乾燥させて作るため保存食としても有効で、当時飢饉に苦しむ人々を救ったという。これがそうめんの始まりである。
竹とんぼ作り[2007年08月02日(Thu)]

 前回の「ダンボールキャンプ」のなかで、「竹とんぼ飛ばし」のことを書きました。
その竹とんぼはすべて「みのおエコクラブ」を主宰されているSが作られたものです。
 
 「竹とんぼを作るのに1機10分で作れる」というSさんの竹とんぼ作りの講習会が、7月22日箕面市東生涯学習センターでありました。そこで教えてもらった竹とんぼの話題を書きます。ちなみに竹とんぼは、1機、2機、3機と数えるとSさんから教わりました。


まずは竹とんぼを飛ばそう

 こんなに幼い子どもたちに「竹とんぼ作りをします」といきなり材料の竹や道具を出されても興味は持たないでしょうと、長年ボランティア活動を通じて子供たちと接しているSさんです。「まずは竹とんぼが飛ぶということに興味を持たさなければ」と飛ばし方の伝授です。

 「まず、竹とんぼを頭へ持ってきて、『遠くにとびますように』とお祈りした後、まっすぐに伸ばした両手をへその下まで下ろします。左手は動かさずに、右手をゆっくり引き、引いた右手をすっと前へ送り出します」と飛ばし方の説明です。

 ネットでは竹とんぼのつくり方から飛ばし方まで詳しく説明していますが、まず「遠くにとびますように」とお祈りさせるのは、Sさんのユニークなところです。

 高学年の子供たちも参加するようになって、練習を重ねてみんな上手に飛ばせるようになりました。




 先のダンボールキャンプでは景品がもらえるとあって私もその説明通りにしましたが、力んで失速したり、高く飛んでも、もとのスタートラインへ戻ってきたりで何度も練習を重ねないとうまく飛ばないようです

竹とんぼの竹

 竹とんぼを作るから、竹林から竹を切ってくれば直ぐに作れるわけではありません。
今回Sさんが持ってきた竹は昨年11月に切ったもので8ヶ月間乾燥させたものです。
 竹は植わっているときから完全な円でなく歪んだ円形ですし、肉厚も一定ではありません。曲線のきつい箇所は避けて切り取ります。




 節と節の中間あたりが材料として一番よく、トンボの大きさは12センチから14センチです。 この写真の竹では節間でせいぜい4枚作れる程度だそうです。竹を切るには「回し切り」でバリの出ないように切るのがコツです。

竹とんぼを作る道具

・ 軍手
・ 竹材:切ってから5,6ヶ月経って乾燥した竹
・ 竹軸:「エコクラブ」主宰されているSさんのこと、食堂で使い古した竹の箸をもらってきたものを竹軸としています。食堂では使った竹箸を持ち帰っておられます。
・ のこぎり:節間から12センチから14センチの長さに切ります。
・ 鉈:切り取った12センチから14センチの竹を割るのに使います
・ 小刀:肥後守(ひごのかみ)昭和30年代生まれぐらいの方から上の方なら、必ず一度は手にしたことがある懐かしの小刀です。
・ キリ:小さい孔をあけるキリ、太くするためのキリ
・ 丸やすり:キリで開けた孔に、外れないようにきっちり竹軸が挿入できるようにするためで、Sさんの竹とんぼは接着剤を使わないのが特徴です。


 私が見たSさんの道具はこれだけでした。切れ味の鋭い小刀や先のとがったキリなどを使っての工作ですから、その道具を使った後は直ぐにそれぞれキャップや道具入れにしまう習慣をSさんはつけておられました。

 ついでながら、私たち「箕面だんだんクラブ」では作業のあとには道具の手入れはきっちりとおこなっています。 
 使い終わったのこぎりの目立て、鎌や鉈は砥石で研いだ後、防錆オイルを塗り、会員が作ったカバーに収納するのが伝統になっています。



           研ぎ終わった鎌と鉈と会員が作ったカバー

竹とんぼの作り方


 ネットで「竹とんぼの作り方」を検索すれば、図入りで説明されていますのでここでは省略します。
 その中でSさんが10分で1機を仕上げる早業のコツは、定規や鉛筆を使わずに左右の長さの測定は写真のように棒切れで計っています。



竹軸を使って左右の長さを計っている状況

 また、竹とんぼがよく飛ぶ工夫に、羽を軽くする、左右のバランスを取る、必要がありますが、写真のように残材の竹に出来上がった竹とんぼの竹軸をのせて左右の重さの違いを見出しています。
 この写真では下になった羽が重いので水平になるまで削って調整します。




プロペラ型竹とんぼ

 私は昨年のダンボールキャンプでSさんから教えてもらって作りましたが、昔の記憶をたどると、昭和19年、福知山へ縁故疎開した時に上級生の指導で作って飛ばしたことを思い出します。
 その竹とんぼは、プロペラ型でした。トンボ型の竹トンボから発展させたもので、羽には2つあけた孔があって、Y字型の回し棒は緩めになっていて、羽だけが飛ぶようになっています。
 そういえば、そのとき途中までは作りましたが、Y字の加工は小学3年の私には無理で作れなかったことも、この記事を書いていて思い出しました。
 


竹とんぼの話題


 竹とんぼのことをネットで検索していて、「国際竹とんぼ協会」という団体があることを知りました。群馬県本部、山口県本部、香川県といった県単位のほかに支部も各地にあるようです。

 誰かが「竹とんぼ」の歌を歌っていたなと検索してみると、荒木とよひさ作詞、堀内孝雄作曲で、作曲者自身が歌っていました。


(せりふ)「今は我慢しよう 俺たち一緒に 夢を飛ばしてきた 竹とんぼじゃないか」

砂を噛むような こんな人の世に
誰かひとりでも 信じ合えるなら
夢がささくれて 人生に迷ったら
酒でぬくもりを わかち合えばいい

涙よ お前に 負けた訳じゃない
背中が少し 淋しいだけさ
なんにもなかった 昔のように
もう一度あの日へ 飛ばせ 竹とんぼ


 この歌のせりふで「今は我慢しよう 俺たち一緒に 夢を飛ばしてきた 竹とんぼじゃないか」と言っています。
 この講習会やダンボールキャンプで「遠くに飛びますように」と祈りつつ、大空に夢を乗せて飛ばした竹とんぼ、何十年後かに「もう一度あの日へ 飛ばせ 竹とんぼ」と、この歌を口ずさみながら思い出してくれるでしょうか。


昔遊びの代表格:竹とんぼ

 昔遊びの代表格だった「竹とんぼ」を作るのに使った刃物「肥後守」は、私たちの時代には鉛筆削り用に筆箱に入れていました。
 その小刀は手回しの鉛筆削り器から電動になり、今ではシャーペンやボールペンを使う時代になってしまいました。

 そういえば、孫たちと一緒にディズニーランドへ行ったとき、空港で孫が筆箱に入れていた小さな鉛筆削り用のナイフがX線でわかり、空港で預かってもらいました。

 今回の「竹とんぼ作り」の講習会では、高学年には肥後守を持たせて羽を作る工程を教えていましたが、こんな機会でもなければ小刀を使うことのできない不器用な子供たちが大人になっていくのです。羽を削って竹とんぼを作り、それを飛ばした思い出は貴重な体験になることと思います。


今日のコピペ:昔のおもちゃアルバム、竹とんぼの歴史より

 遺跡から類似した道具が見つかった事から非常に古くから存在していると言う説もありますが、ハッキリとした起源が残っている説では江戸時代に作られたと記されています。作り出したのは科学者や医者、様々な呼び名が存在する平賀源内だったと言います。
 明治時代以降になると学校の工作の授業などでも登場し、子供達の遊び道具として定着しました。昭和に入ると、鉛筆を使う為に子供達は小刀を持つ様になります。それに伴って子供達自身で作る様になったのでした。縁日などでも見られるプラスチック製のものやブリキ製の竹とんぼが生まれます。
 鉛筆の時代が終わってシャープペンが登場する事で、子供達が小刀を使う機会は殆ど無くなり、竹とんぼを作る事も殆ど無くなったのでした。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

堀内孝雄流に 「サンキュー!」
ダンボールキャンプ[2007年07月30日(Mon)]

 私たちの会員のなかには、別のボランティアグループでも活躍されておられる方がたくさんおられます。例えば「クワガタ探検隊」、「千里竹の会」「みのおエコクラブ」などです。

 「みのおエコクラブ」では、今年で4回目になる「ダンボールキャンプ」が箕面スパーガーデン第3駐車場で、7月28日から、29日にかけて行われました。
 Sさんが主宰している「みのおエコクラブ」では、毎月自然と親しむ活動をされていますが、その中でも1泊2日の「ダンボールキャンプ」は大きな行事です。子供たちと一緒になって大人も楽しめるこの行事に、幼児5人を含む子供25人、大人26人が参加しました。今回はその活動を報告します。


一夜の宿はダンボールで作ったマイハウスで

 10時前に駐車場に集合し、総合リーダーSさんのオリエンテーションに始まり、早速に今夜、自分たちが寝る家をダンボールで作り始めました。



 私は昨年も参加して孫たちと一緒にダンボールの家を作ったのですが、夜中にこわがりの小学1年の孫と一緒に寝ることになってしまいました。囲いの中では寝相が悪かったのか、朝には囲いも天井もない状態で寝ていました。

 この仮の家はしっかり作っても雷雨を懸念して出来上がった家を、いったん雨のかからない場所へ移動しなければならないのです。
 私はサポーターの方にかっこよく作ってもらいましたが、移動中にペッシャンコになり、結局ダンボールを敷いただけの家で寝ることになってしまいました。
 
 今年も4時過ぎから1時間ほど激しい雷雨がやってきましたが、Sさんの経験で作ったマイハウスは事前に移動していたので、その難を避けることができました。


スイカ割り

 Sさんが前日の夜11時過ぎまでかけて作成したダンボールキャンプ資料にはスケジュールと役割がきっちりと決められています。

 11時半からスイカ割が始まり、2組に分かれて競い合いました。
 こんな遊びを知らない子供たちが多く、目隠しされて3回まわったときには、とんでもない方向へ進む子供たちに、大人たちの指示でなんとか前へ進み、思い切りたたくのですが、コンクリートの床をたたくばかりです。

 Sさんは「割れてしまうとそこで競技が終わるので割ってくれない方がよい」と言っていましたが、声援に素直に進んだ私の孫が、そんなに力をいれずに見事割りました。そこでゲームが終わり、包丁で切ったスイカをみんなでかぶりつきました。


ソーメン流しの準備 

 明日の昼食はソーメン流しですが、場所は飲料水が出て、ソーメンをゆがいた水が捨てられ、ソーメンを流した水を排水できる場所が必要です。それに見合う場所として選ばれたのが、雑草が生い茂ったこの場所です。




 1週間前の22日に、数人で進入路と広場は作っておいたのですが、まだ、使える場所には程遠い状態でした。

 昼食後の1時間、第3駐車場に留守番を置いてみんなで草取り作業をしました。
近くには野犬や鹿、猿がたくさんいます。中でも猿たちは山で私たちのキャンプ地を虎視眈々と狙っていて、留守番がいないと食べ物を持っていかれるそうです。

 Sさんは子供たちにいろんな体験をさせるようにスケジュールを作っています。大人がすべてを準備した食事を子供たちが「いただきます」だけで食べるのではなく、雑草が生い茂り、間伐した竹が散乱しているところを、ソーメン流しをするために場所つくりをして労働するのも貴重な体験です。

 作業をした1時半から2時半ころはかんかん照りで熱中症が心配でした。しかもその広場にはガラス食器などの捨て場もあって、危険なのでこのガラスの破片を除去するのも大変でした。


ハンゴウすいさん


 昨年のこのキャンプで大失敗だったのがハンゴウすいさんとソーメンのゆで方でした。

 U字溝を使ったのですが、その底で火を焚くとハンゴウへは火力が落ちて柔らかで粘ったご飯になってしまいました。 
 その経験を踏まえてハンゴウに火が当たる高さを円形のコンクリートテストピースを置いて充分に火が当たるようにしました。




 飲料水はこの場所では出ないので、無洗米を使いました。

 3時過ぎから雷鳴が聞こえ、高槻方面は土砂降りだという情報が入って後、この箕面山中にも一時夕立が通り過ぎましたが、幸いに夕食を作るころには雨もやみました。
 夕食はカレーライスで、コンクリートブロックを積んだかまどで、50人分用の大きな鍋で煮込みました。

 子供たちには燃えやすいたきぎを拾わせるとともに、持ち込んだ薪を鉈で割って火の勢いを調整しました。
 また、別の班では、近くから切り取った竹でカレーライス入れる食器つくりと竹の箸を作りました。

 私は所用で山を下りなければならなかったので、カレーライスを味わうことができませんでしたが、ご飯もカレーの具も上手にできたようです。


夕食後は一風呂浴びて

 箕面スパーガーデンには天然温泉の大浴場があり、夕食後急な坂道を歩いて下りて一風呂浴びて今日の疲れや汗を流すことができました。

 10時すぎから、持ち寄ったビールやワインでひとときを過ごしました。

 10時半にはダンボールで作ったマイハウスで、わずかに輝く星を見上げながら眠りにつきました。途中孫に寒いと起こされ、私と孫は車に移動して寝ました。


竹とんぼ飛ばし


 朝食は箕面観光ホテルでのバイキングでした。「エコクラブ」というだけあって資源を無駄にしないために、総合リーダーから「お皿に盛った食べ物は絶対に残してはいけません」と注意があり、みんながそろって「いただきます」と言って朝食をとりました。

 今日の遊びの行事は「竹とんぼ飛ばし」でした。総合リーダー手作りの竹とんぼで遠くに飛ばした人から順に、景品を選べるのでみんな頑張って飛ばしました。




 遠くに飛ばすには「まず、竹とんぼを頭へ持ってきて、『遠くにとびますように』とお祈りした後、まっすぐに伸ばした両手をへその下まで下ろします。左手は動かさずに、右手をゆっくり引き、引いた右手を前へ送り出します」とSさんから教えてもらいました。

ソーメン流し


 雑草の生い茂った広場がみんなの力でソーメンをゆでる前には見事に整備されました。



 昨年はU字溝の1つだけでゆでて、そのゆでたお湯をかえる時間的余裕がなく、ソーメンが団子状になってしまいました。
 その失敗から、大釜でどんどんお湯を沸かすとともに、小釜の方で持ち寄ったソーメンのメーカーごとにゆでる時間を調整してゆであがったのを笊で受け、水洗いしましたので美味しいソーメンを食べることができました。

 ソーメン汁も奥さん方の味見のおかげでうまく調合できました。薬味のシソはこの場所に雑草に交じって植わっていた自家製、すりゴマ、ソーメンに加えると微妙な味の妙が出るという茗荷(みょうが)もそろえていました。


 カンカン照りの日差しの下、がんがんと火を焚きながらお湯を沸かしてのソーメン流しです。いくら野性味あふれるソーメン流しとはいえ、「家で冷房に浸りながらソーメンを食べる方がずっと楽で、美味しく食べられる」という声が出るほどに、炎天下でのソーメン流しでした。

ダンボールキャンプを終えて

 今年のダンボールキャンプも、例年通り「みのおエコクラブ」を主宰されているSさんの全面的な企画と実行力で無事に終わりました。その下で全面的に協力してくださったスタッフの方々がおられます。

 かつてオートメーション機械の設計をされていたYさんは76歳ですが、キツツキが嘴をつつきながら下へ降りていくという精密なおもちゃを作る名人です。タバコは吸われるが、お酒は飲めないというYさんと休憩中に話すことができました。Yさんはこの活動に対して「ここに参加している子供はのびのびと遊んでいるよ。Sさんの指導に子供たちは全面的に信頼している。こんな献身的な人は近頃いないよ」とおっしゃっていました。

 また、「箕面だんだんクラブ」の会員で、看護士でもあるTさん、「わいわい箕面園」の阪大生スタッフのHさん、そのほか、数人のスタッフに加えて、参加した子供たちの保護者の協力で、昨年の失敗をばねにより良いダンボールキャンプになりました。

 今年の秋にはこの第3駐車場は用途替えになるので、この場所でのダンボールキャンプはできなくなりますが、「みのおエコクラブ」の活動は続いていきます。また、別の場所を探して、第5回ダンボールキャンプに続くことを願っています。
プロフィール

箕面だんだんクラブさんの画像
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