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レンガとレンガの接着方法−赤レンガ[2007年07月06日(Fri)]

 鉄窯の周りを耐火レンガで巻きたてるに当って耐火レンガどうしを接着するのに耐火モルタルが搬入されてきました。しかし、耐火モルタルの入った袋には使用法等は何も書いていませんでした。事前にネットで検索した知識では、耐火モルタルには熱硬性モルタルか、気硬性モルタルがあることがわかりました。納入されたのは熱硬性モルタルでした。
 熱硬性耐火モルタルの対応は後ほど書くことにして、ここでは普通の赤レンガどうしの接着はどうであったのかを調べてみました。

 赤レンガで作った建築構造物は、舞鶴港の倉庫や小樽運河など文化財として残っていますが、土木構造物として有名な旧信越本線のめがね橋が有名です。めがね橋の正式構造物名は、碓氷第三拱橋で、国指定重要文化財になっています。
 私は2003年5月、今はこの旧信越本線は廃線で「アプトの道」としてハイキングコースになっていて、歴史的建造物を見ながら歩いてきました。

 アプト式鉄道とは、最急勾配を上り下りするために、2本の線路の真ん中に第3の軌条として敷設した歯(ラックレール)に走ってくる機関車の歯車とをかみ合わせて急勾配を登ったり、下ったりする鉄道です。
今日本で唯一静岡県の大井川鉄道の井川線で走っています





出典:土木学会誌平成3年12月15日発行「土木モニュメント見て歩き」

 そのめがね橋は、日本最大級の煉瓦造りの四連アーチ橋で、この最急勾配の碓氷峠を最短ルートとなる中尾線ルートでアプト式と決めて建設に着工したのは明治24(1891)年3月でした。
 このアプト式を含んだ横川・軽井沢間約8kmは、着工からわずか1年9ヶ月で完成させています。このめがね橋は、明治25年9月に橋脚、橋台が完成し、アーチの煉瓦積みは9月25日から始めて12月5日に竣工しています。





 大正元年頃碓氷峠進行中の電気機関車の絵葉書です。
(出典:絵葉書に見る懐かしの鉄道−上信越・中央線片、白土貞夫著)

 今は廃線跡を「アプトの道」として歩くことができますが、その先のトンネル内は歩けません。アーチ橋のたもとから階段を降りていくと、写真のように、新緑に映えたこの美しいアーチ橋を見上げてみることができました。






 横道にそれてしまいましたが、この地を訪れたときのレポートをまとめた折、この煉瓦と煉瓦の接着法はどうだったのかを調べました。

 古代から使われていた漆喰だろうと調べてみましたが、セメントモルタルでした。「煉瓦積の目地はセメントモルタルを使用した。配合は、アーチ以下の部分にはセメント3分砂1分、アーチには、径間24ftに対してセメント2分、砂1分、径間36ft以上にはセメント1分、砂1分、拱背には屑煉瓦を用いてセメント4分あるいは5分砂1分とした」
(出典:Can Book「地形図でたどる鉄道史・東日本編」今尾恵介著2000年3月JTB)

 インターネットの検索で「碓氷線の歴史(鉄道趣味のページ)」にはA4版に小さな字で14ページびっしり書かれたレポートに、工事に使われた資材として「煉瓦1800万個、セメント17500樽余、切石約3681m3、松丸太3万本、杉丸太3万本、砂12021m3」と調べた方がおられました。

 日本には,明治5年に東京深川に大蔵省セメント製造所が作られ,明治31年にはポルトランドセメントの規格が設定されました。

 鉄筋コンクリートの歴史(出典:鉄筋コンクリート設計方法、工学博士、吉田徳次郎著、株式会社養賢堂発行、1958年)によると、
「鉄筋コンクリートの発明者として知られているのはランボー(J.L.Lambot)氏で,1850年にコンクリートに鉄網を埋め込んだ小船を造り,1855年のパリの博覧会に出品した。
 パリの植木師であるモニュー(Joseph Monier)氏はセメントモルタルの植木鉢を鉄網で補強することを発明し,1861年にこの工法を水タンクに応用することに成功した。のち,種々の改良を加え,格子形に鉄筋を配置するモニエー式鉄筋コンクリートを造り,1867年に専売特許をえた。モニエー式工法の特許を買って,ドイツのワイス(G.A.Wayss)氏はバウシンガー(J.Bauschinger)およびコエーネン(M.Koenen)両氏と共同して,この工法の力学的研究をし、コエーネン氏ははりにおいて引張応力を鉄筋でうけさせ,圧縮応力をコンクリートでうけさせるように両材料を配置することに着想し,1887年に鉄筋コンクリートはりの理論的計算方法を発表し,現在の鉄筋コンクリートはりの応力計算の基礎をつくった。
 鉄筋コンクリートが初めて日本で用いられたのは1904年頃であり,1920年頃から大ぶん用いられるようになり,現今は極めて広く一般に用いられている」

ということが書かかれています。

 したがって、このめがね橋の工事をした当時は、土木構造物は煉瓦積みだったのです。

 このアプトの道のトンネル内を歩いたときも、どのトンネルも煉瓦積みでしたが、約8kmの区間にはトンネル26箇所、橋梁(径間15ft以上)が18箇所、カルバート(径間10ft以下)20箇所の構造物があり、どの構造物も煉瓦積みで、その煉瓦どうしの接着にはセメントモルタルが使われていました。


 次回は耐火レンガどうしを接着させる耐火モルタルについて書こうと思っています。
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