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第68話 勝尾寺表参道を歩いて初詣[2008年01月07日(Mon)]


 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
 
 箕面だんだんクラブの2008年・初仕事は一昨日の1月5日の土曜日からから始めました。その活動報告は別の稿で書くことにして、年頭の話題として勝尾寺表参道を歩いて初詣に出かけた風景をお届けします。

 初詣は、年が明けてから初めて寺社(神社・寺院)などに参拝して、一年の無事と平安を祈る行事ですから近くの神社でもよいのですが、勝尾寺表参道を歩いての参拝は、約4キロと手ごろな距離です。
 正月で祝いの雑煮やお屠蘇気分なので、アップダウンのある山道は極寒の元旦でしたが、汗をかくほどのハイキングになりました。

 初詣は古臭いようですが、箕面市内では西国二十三番札所・勝尾寺には元旦でも老若男女多くの人たちがお参りをしてにぎわっていました。


勝尾寺の表参道の大鳥居

 西国街道に面した新家には写真1の大鳥居が建っています。この鳥居は今から342年前の江戸時代に建てられたと書いていますから由緒ある鳥居です。



  写真1 勝尾寺表参道の大鳥居(ここが勝尾寺までの36町の基点)

 写真1の右手の箕面市教育委員会の案内板には「勝尾寺(かつおうじ)へ向かう参道は、幾筋もありますが、西国街道に面した新家から大鳥居を基点として、北へ向かう36町(約4km)の道が表参道(旧参道)です。参道沿いには寺への距離を示す町石が残されており、宝治元年(1247年)に建てられた下乗石から七町石間での八基は最古の町石として国の史跡に指定されています。
 現存する石の大鳥居は寛文元年(1666年)に建てられたものですが、勝尾寺文書には鎌倉時代の寛元三年(1245年)に木の鳥居が建てられたことが記録されています」と説明しています。


府道箕面池田線から山道へ

 勝尾寺表参道大鳥居のある三十六町石が出発点ですが、三十町石には帝釈寺があります。
 帝釈寺の門前の「帝釈寺の文化財」の案内板によると、「聖徳太子の創建と伝えられる、寶生山帝釈寺には、数多くの仏教美術品が伝えられています。中でも、豊富な仏像類は寺の古さを物語るものです。室町期以前の作である本尊帝釈天立像、平安時代の十世紀後半の作である地蔵菩薩像、同じく十一世紀の十一面観音立像、鎌倉時代の優品である毘沙門天立像等は市内の数少ない個物として歴史上貴重なものです・・・・・・」と紹介しています。

 また、別の資料によると、「『三代実録』の元慶4年12月4日条(880年)に見える清和天皇の諸山巡歴の記事に天皇が勝尾寺を訪れ、その折に当寺も訪れている。この時、勝尾寺を弥勒浄土都率(とそつ)の内院に比し、当寺を外院に擬して『寶生山三天寺』と勅号を下したと伝える。現在の寺名に変わった経緯はつまびらかでないが、1649年(慶安2年)勝尾寺第92世秀栄が中興した。なお、この付近の地名の『外院』は清和天皇より勅があった『外院』に由来していると思われる」と書いています。

 府道箕面池田線に面した皿池公園の信号を渡って北へ登っていくと、地図1(名所・旧跡ガイドマップ箕面温故知新よりコピー)に書いているように、ところどころに町石が残っています。




勝尾寺表参道

 地図1の粟生外院6丁目付近の急勾配の登り道には、両側に畑や池が点在していますが、これからいよいよ山の中に分け入っていく入り口には開閉式の門が設けられています。 一昨年にはこの門がなかったので昨年いつの時期かに設けられたと思われます。
私たちが活動する「箕面体験学習の森」には鹿や猪、猿が常習で来ていますが、この表参道の面する畑でもこれらの動物の食害がひどくなったために防護しなければならなくなったのでしょう。

 この表参道の山道には数箇所の休憩場所があってベンチが設けられています。
中でも山道の右手、東側に展望の開けた休憩所が3箇所あります。




    写真2 旧参道休憩所から東側の望む3箇所の展望

 写真2は表参道の東側が開けた見晴台のような場所に設けられた3箇所の休憩場所から写しました。

 3枚のうち、下段の写真は急な坂道を登ってきて、ここらで一休みしたいと思う手ごろな場所に展望が開けていてほっと一息つけます。
 手前には粟生間谷の住宅団地は見え、その先の左手には昨年開通した大阪モノレール彩都線の高架橋が少し見えています。

 写真2の中段はそこから15分ほど登った第2の休憩所からの展望です。
 手前の山のすぐ先の住宅団地もわずかに見えるだけで、その切れ目にモノレールの高架橋がくっきりと見えます。

 表参道の山道はじゅうたんのように敷き詰められた落ち葉の上をガサガサと登っていきますが、第2番目の休憩所からはなだらかな勾配が続いていて息も弾まず心地よく散策できる区間です。

 例年のことですが、この表参道を歩いて初詣をする人は多いようです。初詣ではお互いに「あけましておめでとうございます」と挨拶を交わしてすれ違います。帰り道の人たちは、寺で配った笹に縁起物を付けた人もいましたが、1個700円の縁起物は高価のせいか、たくさん付けている人は見ませんでした。

 この表参道の山道は、右手が切り立った斜面になっています。第2休憩所から第3休憩所の区間では、ところどころ木々の隙間から初詣に出かける車の列がちらちら見えます。車は渋滞でほとんど動いていないように見えました。パトカーが鳴らすサイレンの音が聞こえてきました。

 第2の休憩所からさらに20分ほど登った3番目の休憩所が写真2の上段の展望です。前面の山に阻まれて展望はあまり望めませんが、遠くに生駒連山が薄っすら見え、手前にやや濃い山並みは茨木辺りの山々でしょうか。


高野山より18年古い我国最古の町石

 最後の急勾配を登りきって、山門に近づくと下り勾配になり、写真3のように「史跡 勝尾寺一町石」と書いた標識柱の横に古びた本物の町石が数本立っています。



      写真3 勝尾寺旧参道 一町石

 一町石の横の解説板の勝尾寺旧参道によると、「大鳥居から三十六町の道程を経て山門に至ります。現在この間には寺までの距離を示す町石が二十基確認されていますが、本来は一町ごとに建てられていたと推測されます。町石には必ず梵字が刻まれますが、これは金剛界の種子曼荼羅の各尊を表わしたものです。 二十町石のうち、下乗石から七町石までの八基の町石は、勝尾寺に伝えられる古文書によると、宝治元年(1247年)の建立で、これは文永二年(1265年)の高野山の町石よりも古く、我国で最古の町石として、昭和四一年、国の史跡に指定されています。以下略」と解説しています。

護摩祈祷


 帝釈寺を2時前に出発して約1時間半後の3時20分に、勝尾寺山門に着きました。しばらくして本堂近くからももうもうと煙が舞い上がってきました。

 本堂横で護摩祈祷が始まっていました。護摩木を焚いてご本尊に願い事の成就を祈る法要で初めて見ました。
 青々したヒノキに似た葉がどんどん火炉(かろ)に掘り込まれていきます。
国語辞書大辞泉によると「《(梵)homaの音写。焚焼(ふんしょう)・火祭りの意》密教で、不動明王や愛染(あいぜん)明王などの前に壇を築き、火炉(かろ)を設けてヌルデの木などを燃やして、煩悩(ぼんのう)を焼却し、併せて息災・降伏(ごうぶく)などを祈願する修法」と説明しています。

 だんだんクラブの仲間に青々した葉っぱはヒノキの葉か確かめたところ、岡山出身のHさんは「ヒノキの葉を使っている」と言っていました。Nさんは滝安寺で聞いた話ではヒバだということでした。

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には「ヒバ(檜葉)はヒノキやサワラの別名。ヒノキ科ヒヨクヒバ(サワラの亜種)の様に「-ヒバ」と名が付くものが多い。林業で、ヒノキ科アスナロ属アスナロまたは、アスナロの変種ヒノキアスナロを指す」と書いていましたので、ヒノキの葉を燃やしていたのだろうと思います。




     写真4 勝尾寺で行われた護摩法要

 写真4は護摩祈祷の様子を写しました。

 この護摩法要の近くに梵鐘があり、一人1回と書いてあり数人が並んでいました。特に願い事があったわけではなかったのですが、思い切り力をこめて釣鐘を響かせて今年の初詣の思い出としました。


 年末の12月22日に第2回目の植樹が雨天で中止になり、平成19年の締めの活動報告もしないままに新年を迎えてしまいました。
 
 皆さんから記事が長すぎるとの指摘を受けながら、平成20年最初の記事も長くなってしまいました。今後は長すぎないように気をつけて記事をまとめたいと思いますので、よろしくお願いします。

 次回の第69話では、クヌギの苗木の植樹についてタッキー816の電話取材を受けたことを書く予定にしています。


この記事のURL
https://blog.canpan.info/dandan-minoh/archive/68
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