第65話 箕面だんだんクラブの忘年会を開催[2007年12月09日(Sun)]
昨日12月8日、箕面だんだんクラブの忘年会を開催しました。いつものことですが、私たちの飲み会は炭窯の前の豚汁広場で行っています。この場所への交通手段はバスか、マイカーですから、飲み会のときは「飲むなら乗るな!」を徹底しています。
8月4日にソーメン流しをして以来の飲み会です。例年ならサトイモの収穫時期には「いも煮会」があるのですが、今年は炭材用の竹の伐採や老人ホームの草刈りなどが入って忙しかったこともあり忘年会になってしまいました。
26人が参加した久しぶりの飲み会の様子を報告します。
枯葉が積もった豚汁広場
12月に入って最初の活動日1日の土曜日に来てみると、落ち葉が積もってすっかり冬景色に変化していました。
それでも豚汁広場のクヌギは、枯れ葉が樹上に長くとどまるので、写真1のように冬期の落葉性の雑木林でも目立っています。
写真1 すっかり枯れ葉になったクヌギ
1日、2日の活動日に、数人は落ち葉を集めて、カブトムシやクワガタの幼虫が育つ腐植土つくりの場所に集めました。
乾杯の前に一仕事
今月16日と22日にはクヌギの植樹の行事があり、そのための整備やあかつき特別養護老人ホーム内の草刈などがあって11月18日、19日に伐採した竹の炭材作りが手つかずのままになっていました。乾杯までの約1時間半を利用して料理を手伝う人以外は炭材つくりに一汗を流しました。
180センチで運んできた竹を60センチに切る人、それを5分割にする人、竹の節をとる人、出来上がった炭材を運搬しやすいように束ねる人、束ねた炭材を格納する人と手際よく作業は進みましたが、まだ2回分ほどの作業が残りました。
写真2 炭材つくり作業の様子
炭窯前には新しく看板を設置
炭窯小屋の柱には以前は写真3の「平川変人窯」を掲げていました。2年前に急死された平川さんの指導で設置したドラム缶式の炭窯でした。
写真3 以前掲げていた「平川変人窯」の看板
その炭窯の底は竹酢液の腐食で損傷がひどく、今年の5月、日本財団の助成を受けて6ミリ厚鉄板製の炭窯に取り替えました。
そこで看板も11月に取り替えました。
前代表の手作りで箕面だんだんクラブのパンフレットの文字を拡大コピーして電動のこぎりで切り取り、ペンキを塗って1週間ほどかけて仕上げたそうです。
木の葉や鳥などは以前に作った木彫の作品を5つ貼り付けて森を愛するクラブらしくしています。
写真4 新しく架け替えた箕面だんだんクラブの看板
盛りだくさんの食卓
炭材つくりは11時半に切り上げて宴会が始まりました。
食卓にはサトイモや果物、漬物、チーズやおかきと干物を入れた皿などがすでに並んでいましたが、肝心の豚汁はまだ煮込んでいる最中でした。
待ちきれない数人が乾杯の練習を始めだして宴会は始まりました。
写真5 宴たけなわの豚汁広場
アルコールが少し入ったころ、今日は12月8日で昭和16年に真珠湾攻撃をした日だと話し出したAさんは「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は今八日未明西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり・・・・・・」とその日のラジオのニュースをすらすらしゃべられました。小学校1年生のときのニュースをしっかりと記憶されていました。
豚汁も出来上がり、前代表の発声で乾杯し、宴会が始まりました。ビールやワインにマタタビ酒で酔いが回り始めたころ、竹筒で燗をした日本酒も出てきました。
心臓にペースメーカーを入れて2年近く出られなかったHさんが途中から参加されました。マタタビ酒が好きだったHさんはすっかり頭が薄くなっておられましたが、元気な様子で豚汁を味わった後、30分ほどで帰宅されました。
マイカーで参加した前代表は酒が飲めないので、家から持参したおにぎりを炭火であぶり、醤油で味付けした焼きおにぎりをたくさん作ってくれました。
現代表の閉会挨拶で「今月は16日、22日のクヌギの植樹作業、新年は1月5日、6日の竹炭やき作業などから開始します」という作業予定の報告があって、にぎやかに忘年会の宴は無事終わりました。
箕面市内でも森林ボランティア活動の団体はたくさんありますが、水と火を使っている団体は少ないようです。
私たちは活動の一つに竹炭焼きをしているからかもしれませんが、火を使う作業だけに事前に消防署には連絡をするとともに、火の始末も念には念を入れています。
役員のKさんが、囲炉裏やドラム缶などで火を使ったところには思い切り水をぶっ掛けて消火して、2時40分のバスで下山しました。