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暑気払い・ソーメン流し[2007年08月06日(Mon)]

 台風5号が過ぎ去った8月4日、私たちクラブの毎夏の恒例行事になっている「暑気払い・ソーメン流し」が行われました。
 
 私がこのクラブに入会してからは、花見会、いも煮会、暑気払い会、忘年会など、年4,5回の飲み会は、炭窯の前の休憩場所になっている豚汁広場で行っていますが、かつてはソーメン広場と名付けているもっと奥の場所で、渓流から水を引いてソーメン流しをしていたようです。
 今の豚汁広場に移ってからも、2年前まで勝尾寺川支流の水を引いてソーメン流しをしていましたが、その水が原因で腹の調子を悪くした人がいて谷川の水は使わないようになりました。というのは、この川はソーメン広場まで行くと、谷が2つに分かれていて、かつて土砂崩れが原因で伏流水となって湧き出ている渓流ともう一つは山上に霊園があってそこで使った水がこの渓流に流れ込む2つが合流しているからです。

 ソーメンとカタカナで書きましたが、正式には素麺です。夏の風物詩として漢字で表現するといかにも暑苦しい感じになりますので、ソーメンとしました。

 まえがきはこのくらいにして、早速に私たちのソーメン流しの様子を書きます。


青竹を割ってウォータースライダーを作る

 私たちが箕面市と締結した「森づくり活動」の山林には竹林もあります。
春先に出る竹の子はイノシシに食べられてしまうので竹薮がこのまま存続するのか心配ですが、今のところ立派な孟宗竹やマダケが生い茂っています。10時前に有志で10メートルを超す孟宗竹を切り出してきました。
 
 竹の中の節間には少し水が入っているのを見たときは、「孔もあいていない青竹の外側から浸透した水ではない」ので不思議な感じがしました。




             青竹を割ってソーメンを流す樋を作る


             ソーメン汁を入れる器や薬味もそろった食卓

竹の中の水


 竹の中から出てくる話で有名なのは、「今は昔竹取の翁といふものありけり・・・・・・」という竹取物語では光かがやく竹の中から出てきて竹取の翁の夫婦に育てられたかぐや姫の物語ですが、常識的には外気より二酸化炭素の多い空気が詰まっているだけと思っていました。若竹の節間に水が溜まっているのを見るのは初めてでした。

 私たちが竹炭用の竹を間伐するのは10月頃からですし、竹に繁殖する虫で孔があいて雨水の入った竹を除けば乾燥した空洞の竹ばかりでした。

 このあたりをネットで検索すると、「夏場には、竹は水を吸い上げる為、その幹には水分が多く含む」と言われています。中国では、竹に入った水を呑むと不老長寿になるといわれるのだそうです。

 また、竹に孔をあけないで浸透圧だけで焼酎をしみこませた「竹酒」が特許出願中と書いていました。

 そういえば、10月のいも煮会のころ、かまどの回りに切ってきた竹筒に酒を入れて熱燗にして青竹で作ったコップで飲むという風流なことをしたのも、この豚汁広場での懇親会のときでした。


みんなで手分けして料理の準備

 この写真に写っているまな板は間伐材をカンナで削った手作りです。いろいろ食器類もそろっていますが、そのほとんどは、すぐそばのリサイクルセンターからもらってきたものを活用しています。



 ソーメン汁の薬味はみょうが、ねぎ、青シソなどで大きなまな板の上で切り刻み、会員が作っているフルーツトマトや、大根のあっさり漬け、おにぎりなども加わって着々と整っていきます。

 待ちきれない私を含めた数人は、毒見と称してビールで乾杯の練習を繰り返しました。毒見の結果、川の水で冷やしていたビールやジュース類は生ぬるく、氷で冷やすことにしました。おかげで、本番の乾杯時には冷えたビールを飲むことができました。


ソーメンをウォータースライダーで流す

 11時過ぎには待ちに待ったソーメンがゆであがり、いったん氷水でぬめりを取り除いたソーメンを竹製のウォータースライダーから流れ始めました。

 水源はタンクからコックで水量を調整しながらソーメンを流す仕掛けです。ソーメン流しを経験しているNさんから、水源に向かって左側に座ると、右手が使えて取りやすいと聞いて私は早くから席を確保してしっかり食べることができました。




 写真はブルーシートの下で写しましたので、顔が真っ青になっていますが、食中毒ではありません。

 鍋を2つ用意していてソーメンをゆでるとともに、お湯は別の鍋でどんどん沸かしているので次々と流れてきました。ただ、タンクの水には容量が限られ、水道水を汲みに出かける人やかまどの火の番、ゆでる人、流す人はあまり食べられなかったのではないかと思います。

 ちなみに、うどん3兄弟は日本農林規格(JAS規格)の『乾めん類品質表示基準』で、麺の太さで区別されているそうです。機械麺の場合、素麺の麺の太さは直径1.3mm未満とされ、直径1.3mm以上〜1.7mm未満は冷や麦、1.7mm以上はうどんと分類されています。


食後のフルーツはスイカで

 会員の一人が自分の農園で取れたスイカを持ってきてくれ、食後のフルーツに出てきました。そこで、しばらくスイカ談義で話題が盛り上がりました。

 私は途中から加わったので黒部スイカの話題には付いていけませんでしたが、満州へ持っていくのに割れない、皮の厚いスイカとして黒部スイカが重宝されたとか話していました。

 そこで、黒部スイカをネットで検索してみると、

 北日本新聞2006年6月1日付けで「黒部市は、かつて全国に名をはせた特産品『黒部スイカ』の復活に向け、プロジェクトをスタートさせる。初年度の今年は、新たな生産農家を募るとともに、市内でただ1人となった生産者の栽培技術を継承するため、講習用の畑を確保。地元農協と連携して販売ルートも探る考えで、同市は『黒部スイカの伝統を守りたい』としている。黒部スイカの栽培は明治16年、荻生村(現黒部市)の篤農家が米国からラットルスネーク種を導入したことを契機に始まった。その後、品種改良が加えられ、明治末期に『黒部スイカ』と命名された。皮が厚く、日持ちするため、冷蔵庫のない時代は重宝され、楕円(だえん)のユニークな形と相まって特産品になった。昭和20年代のピーク時には約40ヘクタールで作付けされたという」。


 また、別の話題で、今は豚汁広場で生い茂っているクヌギは13年前に植えたそうで、その当時は笹が生い茂った土地で、当時のことを知らない私には想像もできません。
 当時からクヌギの成長を見続けているKさんは植えてからの5,6年は下へ根が成長する過程で木は大きくならないが、それを過ぎるとどんどん葉が生い茂り幹も太っていくそうです。
 

 ソーメン流しをしているときにも、鬼ヤンマや、喋々や飛んできましたし、じいちゃん、ばあちゃんと一緒に参加した二人の子供はミヤマクワガタを捕まえていました。 この豚汁広場も小鳥や昆虫が集まる里山になっていく様子を実感できたソーメン流しでした。

 この11月には「みどりづくりの輪活動支援事業」でソーメン広場を登った荒地にクヌギの苗木を200本ほど植えることにしています。


今日のコピペ:CityDO! 日本の夏の風物詩 そうめん特集より

 そうめんの起源伝説
 うどんやそうめんの原型は、奈良時代に中国から遣唐使によって伝えられた、とされている。それを裏づけるかのような伝承が、古都奈良に残っている。
 
 当時の都平城京から南に20km、奈良県は桜井市。三輪そうめんの産地として知られる一帯に、日本最古の神社といわれる大神神社(おおみわじんじゃ)がある。この神社には、主祭神の大物主命(おおものぬしのみこと)をはじめ、酒の神様、農耕の神様など、古代日本の産業を作り給うた神様がたくさん鎮座されている。そうめんもまた、この神社を発祥の地であると伝承は言う。

今から約千三百年前、大神神社の第12代の宮司、従五位上大神朝臣狭井久佐(おおみわのあそん・さいくさ)の次男、穀主(たねぬし)が、三輪の里の肥沃な土地と三輪山から流れ出る巻向川と初瀬川の清流が、小麦の栽培に最も適するのを知って種を蒔かせ、小麦粉を原料に神意に沿って「そうめん」を製造した。そうめんは乾燥させて作るため保存食としても有効で、当時飢饉に苦しむ人々を救ったという。これがそうめんの始まりである。
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コメント
こんにちわ!
私も参加したかった。
用事で、参加できなかった残念!
Posted by:くまさん  at 2007年08月17日(Fri) 21:25

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