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第201話 本町から梅田まで御堂筋を歩いて[2014年10月14日(Tue)]
 御堂筋のイチョウ並木が色づき始めた10月10日、本町で歯の治療が終わった午後の1時間半ほど梅田まで歩いてみた。

 今から50年前(昭和39年)の10月10日は東京オリンピックが開催された日だった。この日は絶好の秋晴れ、土曜日は今のように休日でなく、午前中勤務、午後は休みの半ドンだった。
 堂島川沿いの事務所で開会式の様子をテレビで観戦した。我が家には白黒テレビだったが、事務所にはやっとカラーテレビが入り、その中継を感動してみていたことを思い出す。
 
 50年後の同じ日の午後、のんびりと御堂筋沿いを歩いて、沿道の移ろいを観察してみた。

 昭和39年はその2年前に設立した阪神高速道路は土佐堀・難波間が供用し、続いて環状線の梅田から東横堀川にかけて工事が最盛期だった。大阪市庁舎や日本銀行大阪支店の建物北側の大江橋を跨ぐ付近の工事を担当していた。その頃の工事のネガアルバムをスキャナして当時と現在との変化なども調べてみた。

おおさかカンヴァス2014

 本町交差点から東側の歩道を梅田に向って歩き始めた。10月26日の大阪マラソンの幟(のぼり)が街路灯に取り付けられていて風になびいていた。(写真1)

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写真1 大阪マラソンを知らせる幟


 市民参加のこのマラソンは、2011年から始まったそうだが、応募者が多くてなかなか当たらないとジムの仲間から聞いている。

 本町ガーデンシティ前に黒い影絵が展示されていた。(写真2)

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写真2 影絵の展示


 影絵の近くに立っている女性に尋ねると、「夜暗くなると、影絵がくっきりと見えて幻想的です」と言っていたが、昼間ではさっぱり影絵の効果はなかった。その女性から「MIDOSUJI STREET JOUNAL」の新聞をもらった。その「おおさかカンヴァス2014」には「アートと都市のコラボレーション2014」で、10月9日〜10月11日の期間で開催されていた。
 そのジャーネル紙によると「浪速文化揃い踏み影絵」には「大阪随一の都市空間である御堂筋の特徴を活かし、能、文楽、上方歌舞伎、上方落語など、豊かな大阪文化をテーマとする『光と影のアート』。大型影絵によって大阪文化の魅力を発信する」と解説していた。

 少し北へ行くと、「御堂筋にぎわい創出社会実験」(写真3)の立て看板があり、その先には椅子が並べられていて、キッチンカーで調理した簡単な食べ物が売られていた。

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 写真3 御堂筋にぎわい創出社会実験の立て看板


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写真4 歩道に椅子を並べた社会実験


 ジャーナル紙には「AUTUMN GALLERY恒例のオープンスペースがこの秋も出現します!テラスの周りにはフードマルシェやキッチンカー、まちかどコンサート等、催しが多数開催されます」で、写真4はその一環で歩道や建物の際に椅子が並べられていた。

高村光太郎の彫刻「みちのく」

 御堂筋には数多くの彫刻が展示されているが、彫刻で活躍している人を知らない中で、高村光太郎の女性像「みちのく」が展示されていて親近感いだいた。(写真5)

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 写真5 高村光太郎の彫刻「みちのく」


 と言うのも、中学校1年生の国語の教科書のだっただろう、高村光太郎の「道程」という詩をすぐに思い出したからだ。
       
      道程 
  僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る
  ああ、自然よ 父よ
 
  僕を一人立ちさせた広大な父よ
  僕から目を離さないで守る事をせよ
  常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ
  
  この遠い道程のため
  この遠い道程のため

 最初の「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」だけは覚えていた。中学生当時にどんな観賞をしたか思い出せないが、力強い詩で元気づけられたように思う。

 大阪市制御堂筋彫刻ストリートによると、「高村光太郎の晩年の代表作である。十和田湖の自然の偉大さ、深遠さを表現した彫刻であるとともに、彼の心の中に生きていた妻・智恵子の残像を具現した裸婦像でもある。2人の女性からなるこの作品は、よく見ると全く同一の裸婦像を向い合せに置くという極めて異例の構成となっている」と説明していた。
 そこで、古いアルバムから昭和59年10月訪れた十和田湖の御前ケ浜の十和田開発記念裸婦像を探し出した。 

 
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写真6 十和田湖畔の裸婦像(昭和59年10月8日撮影)


御堂筋の銀杏並木と南行き一方通行

 御堂筋は市の中心部を南北に縦断する国道で南北幹線の基軸である。

 御堂筋といえば、「雨の御堂筋」(歌:欧陽菲菲、作詞:林春生)の「小ぬか雨降る御堂筋……いちょう並木は枯葉を落とし……」とか、もっと古い歌詞では、坂本スミ子が歌っていた「たそがれの御堂筋」(歌:坂本スミ子、作詞:古川益雄)では、「銀杏並木の御堂筋を 肩を並べて二人きり もっと歩こう 中ノ島……」と歌の題材になるほどになっている。

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写真7 御堂筋の銀杏並木


 数年前の銀杏並木はもっと太くて老木であったように思う。余り大きくなって枝葉が茂ると運転に支障が出るから、若木に植え替えられたのだろうか。
 
 1970年の大阪万博が開催された頃、本町近くの御堂筋に面したビルの9階が勤務するビルだった。
 堂島川で基礎工事から桁の架設工事、床版工事などを担当していた。昭和39年頃の御堂筋は、写真8で分かるように、大阪市の中心部を南北に縦断する幅43.6m(24間)、全6車線道路で、北行き、南行き両方向を通行することができた。

 交通量増加の対策として1970年に梅田新道交差点より南の全車線が南行き一方通行になった。堺筋線や四つ橋線は逆に北行きの一方通行になった。

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写真8 南北両方向通行できた頃(大江橋付近)


 南行き一方通行の初日、9階のビルから車の動静を観察していたことを思い出した。唐突な対応策かと思ったが、交通量増加の切り札としてフランスのパリではすでに導入されていることを知った。

 三和銀行本店ビル(三菱UFJ信託銀行)

 三和銀行は大阪に本店を持つ都市銀行であったが、2002年に東海銀行と合併してUFJ銀行となったのち、東京三菱銀行と合併して、現在は三菱東京UFJ銀行になっている。
ひところ、御堂筋の一等地に店舗を構えていた銀行は店舗を移転するだけでなく、合併や銀行名も変わってしまっている。
 淀屋橋駅近くまで来て、かつての三和銀行本店ビルを思い出して、少し南にいったこのビルの写真を西側の歩道から撮った。(写真9)

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写真9 旧三和銀行本店ビル


 と言うのは、3年ほど前、父親のアルバムを整理していたとき、このビルの建設にかかわったのだろうか、鉄骨が組み上がったときの写真が出てきて、今月から建て替えの解体工事が始まると知ったからである。残念ながら保存しているファイルが見つけられなかった。

 そのビルの花壇に「大阪商法会議所跡」の石碑があった。碑文には「明治11年8月五代友厚らにより、大阪商法会議所(大阪商工会議所の前身)が創設され、明治維新の変革期に大阪経済の再生と近代化がはかられた」と記されている。こうした石碑でその歴史を残している建物などがある一方で、三和銀行本店跡の石碑は残さないだろうと思った。 

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 写真10 大阪商法会議所跡の石碑


 この旧三和銀行本店ビルは1955年の定礎(建築工事で礎石を据えること。工事を開始することをいう)だが、「建築計画のお知らせ」に、平成29年11月末に建物高さ101.3m、21階建ての新しいビルが建つことになると計画が示されていた。 

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写真11 新しいビルの建て替え計画のお知らせ


 このビルは戦後の早い時期に建てられているが、約60年で新しいビルに建て替えられる。御堂筋沿いのビルには高さ規制があって、原則50m、最高60mであったが、高さ規制が撤廃された2013年から、航空法なども適用すると約200mの超高層ビルの建設が可能になった一環と合わせ、また老朽化したビルの再開発になったのだろう。

 1990年代に中ノ島のビルに勤めていたことがある。当時パソコンが社内で普及し始めたころで、その対応として会社では床を数センチ上げて配線をその中に収納していた。
最近のビルの再開発は、老朽化したビルの建て替えだけでなく、情報機器対応の建物だけでなく、環境対策として再生可能エネルギーや省エネ対策など、その仕様が大幅に変化し、対応を迫られていることが背景にあると思われる。

 中ノ島の移ろい

 淀屋橋から大阪市庁舎近くまで来て日本銀行大阪支店の古色蒼然とした低い建物の先に超高層のビルが建っていてびっくりした。新ダイビルで、建物高さ148.5m、31階建の超高層ビルである。

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 写真12 日銀大阪支店の後方に建つ新ダイビル


 昭和39年頃の古いネガアルバムの中に、堂島川の右岸沿いから、大阪市庁舎や日銀大阪支店の建物が写っている写真を見つけた。(写真13)

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 写真13 日銀大阪支店(右)と大阪市庁舎


「日本銀行大阪支店の顔ともいえるのが、こちら、御堂筋に面し、ドーム型の屋根を持つ旧館。旧館は、明治36年(1903年)に建設され……この場所には、江戸時代、島原藩や水戸藩の蔵屋敷があり、明治の初めには、今の郵便局である「郵便役所」が大阪で最初に設けられたほか、実業家の五代友厚が別邸を構え……旧館は、明治建築界の第一人者である辰野金吾博士により設計された」(日本銀行大阪支店のホームページから引用)。

 写真13は西から東に向けて撮っているが、わずかにドーム型の屋根が見える。
旧館は昭和55〜57年(1980〜82年)にかけて、改築工事を行っているが、可能な限り、元の作りを残す方法で工事を行ったそうで、昭和39年ころに撮った写真13では、後方の建物は改築される前の外観である。  

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  写真14 現在の日銀大阪支店の旧館


 現在の日銀大阪支店は写真14であるが、周辺の高層ビルに囲まれた建物は、時代と共に飾り的な存在になってしまったように思えた。

 写真13に写っている大阪市の庁舎は、昭和54年に着工して、昭和61年(1986年)に竣工した11階建てに建て替えられている。

曾根崎あたり

 梅田新道の交差点へ出た。御堂筋の西南角に昭和15年頃の梅田新道付近の写真入りの案内板を見つけた。

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  写真15 昭和15年頃の御堂筋



 写真15で御堂筋の先端に建っている建物は阪急百貨店うめだ本店のビルである。この建物は昭和4年(1929年)に、地上8階、地下2階のデパートとして建てられた。
 76年後の平成12年(2005 年)から建て替えが進められ、平成24年(2012年)11月に新店舗を全館開業している。

 写真16は梅田新道の交差点から阪急百貨店(梅田阪急ビル・オフィスタワー)である。

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写真16 梅田新道交差点から御堂筋を北に見る


 写15は高い所から見下ろしていて、周辺の建物などは異なっているが、御堂筋そのものは現在と大きく変わっていない。

 写真15の下には「この辺りは、古くは淀川とその支流に囲まれた砂州で、水辺に突き出たところ『さき』でした。石ころだらけの荒地であったため、やせた土地や岩の丘をいう『そね』から転じて『曾根崎』とよばれるようなったそうです。15世紀ころから農村へと開発され、江戸時代のはじめころは菜の花見物で賑わうのどかな村だったそうです」と解説していた。
 
 御堂筋は大正15年(1926年)に着工し、昭和12年(1937年)に完成しているから、77年が経っている。御堂筋周辺の建物は、市街地建築物法に基づく百尺規制で高さが揃っていたビルの高さは、昨年から高さの規制は200mの超高層ビルが建てられるようになった。
 
 久しぶりに御堂筋の本町から梅田までの区間を歩いてみて、時代の変化を見ることができた。数年後には御堂筋沿いはさらに大きく変革していることだろう。

(2014年10月14日)




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