第118話 枯れた松の大木を伐採しました[2009年02月24日(Tue)]
2月14日の活動日は、竹炭やきと豚汁広場西側斜面、椿山の作業道つくりとその周辺の木を除伐しました。中でも尾根道に生えた松の大木は、松枯れしていて危険なので伐採しました。
「尾根松 沢スギ、中ヒノキ」という言葉がありますが、この体験学習の森でも尾根筋には松の木が生えています。松ぼっくりから種が飛び出して尾根に根付いたのでしょうか。
伐採した松の年輪を数えてみると、50年は経過しています。50年前といえば昭和30年代です。昭和31年の経済白書に「もはや戦後ではない」という有名な言葉が生まれた高度成長時代に芽を出したころの森は、どんな姿だったのでしょうか。
「小鳥の水場」あたりには石積み跡が僅かに残っていますから、戦後のしばらくの間、人が住んでいたと思われます。この森に生えているマツやクヌギ、ヤマザクラなどは、昭和30年代に生えてきて育って大木になっています。それらの木々の中でマツだけが松枯れ病にやられて半世紀で切り倒されてしまうことになりました。 松の木の伐採と松枯れの話題を取り上げてみました。
松の下を歩くときは注意!
この森の斜面にはクヌギやアベマキに混じってマツがところどころに生えています。2月14日には枯れた松を3本切りましたが、この1年以内には枯れてしまって危険な木が未だ数本残っています。
写真1はその枯れた松の木を写しました。お互いの木が競い合って太陽の光を求めて伸びていきますから、下から見上げると、葉っぱの茂った他の木の先端に僅かに枯れた松の枝が見えます。遠くから見るとこの枯れたこれらの松が際立って見えていました。
松の木の伐採をした翌日、みのお山麓保全委員会主催の「里山交流ひろば」の座談会で、「外院の杜でも多くの松が枯れていて下を歩いていると、太い枝が突然に折れて落下することがあるので、注意しないといけない」と話されていました。
マツの大木を伐採する
今まではこれ程の大木を伐採したことはなかったのですが、チルホール〈写真1上段〉という手動式ウインチを購入できたお陰で、小型で軽量ながら、強力な牽引力を発揮して安全に伐採することができました。
写真2中段は伐採したマツ材です。年輪(写真2下段)を数えてみると、中心から36年くらいまでははっきりと読み取ることができますが、その外側は黒ずんで年輪の巾も狭くなっています。
表面を削ってみました。読みにくいかったのですが、14、5年間くらいでしょう。14年前というと、平成7年(1995年)で、阪神大震災のあった年です。そのころから、徐々にマツ枯れ病に侵されていったと思われます。
マツ枯れ
箕面公園自然研究路5号線に「マツ枯れ」について写真3の示す解説板があります。
その解説には「マツは、常緑樹です。冬も葉が青々としていることから、常盤の松と言われ、縁起の良い木とされています。ところが、府下のマツ山でも同じような状況ですが、ここ箕面のマツ山も、夏から秋にかけて紅葉し枯れていくマツが、目につきます。これはどういうことでしょう?老化していくもの、また、病気や害虫に食われて枯れていくものも一部あるようですが、マツ枯れの主犯は、次のように考えられています。
ある研究者がマツ枯れの犯人を捜し続けているときに、枯木の中から線虫を検出し、これをマツの木に注入したところ、枯れてしまったのです。この線虫は、マツノザイセンチュウと命名されています。その後、羽根も足もないこの小さな線虫が、どのようにして木から木へ移動するのかという謎も、別図のような仕組みであることがわかりました」と書いた文章の下に、写真3の図でわかりやすく説明しています。
松枯れはカミキリとマツノザイセンチュウの相利共生
この図をYAHOO百科事典マツノザイセンチュウ等から解説を試みると、「マツノマダラは約1ミリメートルで自ら木から木へと移動する能力を持っていないので、その移動手段にカミキリを利用する。1匹のカミキリが成虫になるとき、カミキリの気管内にセンチュウが何万と侵入する。カミキリは多数のセンチュウを抱え外界へ脱出し、健康な松の若枝をかじる。
このときにセンチュウがマダラカミキリから抜け出して松の枝に入り込む。センチュウはカミキリがマツの枝をかじると、その傷跡からセンチュウが樹体内に侵入繁殖し、木全体に広がる。
このためマツは萎凋(いちょう:茎に糸状菌の一種が寄生し、水分の供給が悪くなって枯れる病害)をおこし、松脂(まつやに)の滲出(しんしゅつ)が止まり数週間で枯死する。カミキリはこのような木の幹に産卵する。翌春マツの材中でカミキリが蛹(さなぎ)から羽化すると、センチュウはカミキリの気門から気管内に侵入する」という循環を繰り返す相利共生(そうりきょうせい)関係にあります。
マツ枯れについて自然農法の創始者・福岡信正氏の意見
松枯れについて昼食時に話し合っていたら翌日Tさんが、「〈自然〉を生きる」(福岡正信、聞き手・金光寿郎:春秋社1997年2月10日初版)の本を貸してくれました。
それによると、「45年前から自然には四百四病はあっても病虫害はないんだという考え方でやってきてますが、山の木は枯れることがない。ある程度の病虫害が発生しても部分的で収まるものです・・・・・・いまの学説でいうとカミキリムシが来て、線虫※が来て枯らすというのですが、それにちょっと疑問をもちまして、この山小屋で3カ年、昔の生活に返って顕微鏡をのぞいてみたんです。(※線虫は幹に侵入したカビの菌を食べて生きられる虫で、マツを直接殺すのではない。)
その結果、いま日本の山林の土壌は強酸性になっていまして、この付近の松山市周辺を調べてみても、ペーハー3.8から4.5ぐらいまでの強酸性になっています。マツというのはマツタケ菌とマツが共生している植物ですが、そのマツタケ菌が強酸性で衰弱して、そこにカビ(セノコックム菌)が寄生し、さらに死滅させたり根腐れを起こす。
このマツの根腐れをスタートにして、その次にアメリカから来たアルタナリア菌なんていう病菌が枝、葉、幹のなかまで入って、さらにマツは弱ってしまう。そこに追い打ちをかけて、カミキリムシがもう死にかけているマツに産卵する。そのとき線虫が媒介して幹に侵入し、とどめを刺されてマツは枯れていくという順序だと思います・・・・・・
犯人でいえば線虫やカミキリムシはチンピラにしかすぎない。最後の死骸掃除人です。それよりも大気汚染のようなことで土壌が酸性になったことがスタートになっているはずです。直接的にはマツタケ菌が病害によってやられているのが第一原因だけれど、第二は幹に外来の病原菌が侵入して衰弱したという見方をしています」と自然農法を実践しておられる福岡氏らしい意見です。
松枯れについてインターネットで検索してみると、マツノザイセンチュウ因説と大気汚染説が対立しています。「松枯れ白書」(松本文雄著、高砂緑地研究会1998年4月1日初版発行)では、大気汚染公害説を主張されています。
松枯れ防除
マツ枯れの防除方法としては、伐倒駆除、樹幹注入、薬剤散布という手段が主に用いられています。
上記「松枯白書」で松本氏は、「『虫因説』による農業の空中散布は、大気汚染を隠ぺいした生態系を破壊する行為だとして、農薬空中散布に反対。農薬という対処療法にたよらず、総合的な大気汚染対策により空気を浄化することで、青松を復活させたい」と主張されています。
2月初旬に法隆寺から西大寺まで散策しましたが、秋篠川沿いから見る薬師寺の東塔、西塔を望む景色はのどかな田園にマッチした景色でした。
お寺の周辺はこんもりとしていていますが、薬師寺から唐招提寺までの道沿いは歴史的風土保全区域なので、松並木が整備されています。
松の周辺で作業している人に声をかけたら、「マツノザイセンチュウの防除に樹幹注入をしている」と答えてくれました。
写真5上段:薬師寺から唐招提寺への松並木
かつて、松林の落葉落枝は広く燃料として利用され、人里周辺では松林が維持されてきたが、燃料革命で見捨てられている松です。
歴史的風土を保全されていく松を保存していくのは当然として、森林内の松は、植物遷移の上では、裸地に定着する先駆者樹木であり、その役目を果たして淘汰されていくのでしょうか。
「尾根松 沢スギ、中ヒノキ」という言葉がありますが、この体験学習の森でも尾根筋には松の木が生えています。松ぼっくりから種が飛び出して尾根に根付いたのでしょうか。
伐採した松の年輪を数えてみると、50年は経過しています。50年前といえば昭和30年代です。昭和31年の経済白書に「もはや戦後ではない」という有名な言葉が生まれた高度成長時代に芽を出したころの森は、どんな姿だったのでしょうか。
「小鳥の水場」あたりには石積み跡が僅かに残っていますから、戦後のしばらくの間、人が住んでいたと思われます。この森に生えているマツやクヌギ、ヤマザクラなどは、昭和30年代に生えてきて育って大木になっています。それらの木々の中でマツだけが松枯れ病にやられて半世紀で切り倒されてしまうことになりました。 松の木の伐採と松枯れの話題を取り上げてみました。
松の下を歩くときは注意!
この森の斜面にはクヌギやアベマキに混じってマツがところどころに生えています。2月14日には枯れた松を3本切りましたが、この1年以内には枯れてしまって危険な木が未だ数本残っています。
写真1はその枯れた松の木を写しました。お互いの木が競い合って太陽の光を求めて伸びていきますから、下から見上げると、葉っぱの茂った他の木の先端に僅かに枯れた松の枝が見えます。遠くから見るとこの枯れたこれらの松が際立って見えていました。
写真1上段:枯れた松の木の枝(08年2月15日撮影)
下段:松の木の周辺(08年2月15日撮影)
松の木の伐採をした翌日、みのお山麓保全委員会主催の「里山交流ひろば」の座談会で、「外院の杜でも多くの松が枯れていて下を歩いていると、太い枝が突然に折れて落下することがあるので、注意しないといけない」と話されていました。
マツの大木を伐採する
今まではこれ程の大木を伐採したことはなかったのですが、チルホール〈写真1上段〉という手動式ウインチを購入できたお陰で、小型で軽量ながら、強力な牽引力を発揮して安全に伐採することができました。
写真2上段:伐採作業にチルホール(川上金物・使用例から)
中段:伐採したマツ
下段:枯れたマツの年輪
写真2中段は伐採したマツ材です。年輪(写真2下段)を数えてみると、中心から36年くらいまでははっきりと読み取ることができますが、その外側は黒ずんで年輪の巾も狭くなっています。
表面を削ってみました。読みにくいかったのですが、14、5年間くらいでしょう。14年前というと、平成7年(1995年)で、阪神大震災のあった年です。そのころから、徐々にマツ枯れ病に侵されていったと思われます。
マツ枯れ
箕面公園自然研究路5号線に「マツ枯れ」について写真3の示す解説板があります。
その解説には「マツは、常緑樹です。冬も葉が青々としていることから、常盤の松と言われ、縁起の良い木とされています。ところが、府下のマツ山でも同じような状況ですが、ここ箕面のマツ山も、夏から秋にかけて紅葉し枯れていくマツが、目につきます。これはどういうことでしょう?老化していくもの、また、病気や害虫に食われて枯れていくものも一部あるようですが、マツ枯れの主犯は、次のように考えられています。
ある研究者がマツ枯れの犯人を捜し続けているときに、枯木の中から線虫を検出し、これをマツの木に注入したところ、枯れてしまったのです。この線虫は、マツノザイセンチュウと命名されています。その後、羽根も足もないこの小さな線虫が、どのようにして木から木へ移動するのかという謎も、別図のような仕組みであることがわかりました」と書いた文章の下に、写真3の図でわかりやすく説明しています。
写真3 松枯れの解説板(箕面公園自然研究路5号線)
松枯れはカミキリとマツノザイセンチュウの相利共生
この図をYAHOO百科事典マツノザイセンチュウ等から解説を試みると、「マツノマダラは約1ミリメートルで自ら木から木へと移動する能力を持っていないので、その移動手段にカミキリを利用する。1匹のカミキリが成虫になるとき、カミキリの気管内にセンチュウが何万と侵入する。カミキリは多数のセンチュウを抱え外界へ脱出し、健康な松の若枝をかじる。
このときにセンチュウがマダラカミキリから抜け出して松の枝に入り込む。センチュウはカミキリがマツの枝をかじると、その傷跡からセンチュウが樹体内に侵入繁殖し、木全体に広がる。
このためマツは萎凋(いちょう:茎に糸状菌の一種が寄生し、水分の供給が悪くなって枯れる病害)をおこし、松脂(まつやに)の滲出(しんしゅつ)が止まり数週間で枯死する。カミキリはこのような木の幹に産卵する。翌春マツの材中でカミキリが蛹(さなぎ)から羽化すると、センチュウはカミキリの気門から気管内に侵入する」という循環を繰り返す相利共生(そうりきょうせい)関係にあります。
マツ枯れについて自然農法の創始者・福岡信正氏の意見
松枯れについて昼食時に話し合っていたら翌日Tさんが、「〈自然〉を生きる」(福岡正信、聞き手・金光寿郎:春秋社1997年2月10日初版)の本を貸してくれました。
それによると、「45年前から自然には四百四病はあっても病虫害はないんだという考え方でやってきてますが、山の木は枯れることがない。ある程度の病虫害が発生しても部分的で収まるものです・・・・・・いまの学説でいうとカミキリムシが来て、線虫※が来て枯らすというのですが、それにちょっと疑問をもちまして、この山小屋で3カ年、昔の生活に返って顕微鏡をのぞいてみたんです。(※線虫は幹に侵入したカビの菌を食べて生きられる虫で、マツを直接殺すのではない。)
その結果、いま日本の山林の土壌は強酸性になっていまして、この付近の松山市周辺を調べてみても、ペーハー3.8から4.5ぐらいまでの強酸性になっています。マツというのはマツタケ菌とマツが共生している植物ですが、そのマツタケ菌が強酸性で衰弱して、そこにカビ(セノコックム菌)が寄生し、さらに死滅させたり根腐れを起こす。
このマツの根腐れをスタートにして、その次にアメリカから来たアルタナリア菌なんていう病菌が枝、葉、幹のなかまで入って、さらにマツは弱ってしまう。そこに追い打ちをかけて、カミキリムシがもう死にかけているマツに産卵する。そのとき線虫が媒介して幹に侵入し、とどめを刺されてマツは枯れていくという順序だと思います・・・・・・
犯人でいえば線虫やカミキリムシはチンピラにしかすぎない。最後の死骸掃除人です。それよりも大気汚染のようなことで土壌が酸性になったことがスタートになっているはずです。直接的にはマツタケ菌が病害によってやられているのが第一原因だけれど、第二は幹に外来の病原菌が侵入して衰弱したという見方をしています」と自然農法を実践しておられる福岡氏らしい意見です。
松枯れについてインターネットで検索してみると、マツノザイセンチュウ因説と大気汚染説が対立しています。「松枯れ白書」(松本文雄著、高砂緑地研究会1998年4月1日初版発行)では、大気汚染公害説を主張されています。
松枯れ防除
マツ枯れの防除方法としては、伐倒駆除、樹幹注入、薬剤散布という手段が主に用いられています。
上記「松枯白書」で松本氏は、「『虫因説』による農業の空中散布は、大気汚染を隠ぺいした生態系を破壊する行為だとして、農薬空中散布に反対。農薬という対処療法にたよらず、総合的な大気汚染対策により空気を浄化することで、青松を復活させたい」と主張されています。
2月初旬に法隆寺から西大寺まで散策しましたが、秋篠川沿いから見る薬師寺の東塔、西塔を望む景色はのどかな田園にマッチした景色でした。
写真4上段:秋篠川から薬師寺を望む
下段:薬師寺東塔その付近の松
お寺の周辺はこんもりとしていていますが、薬師寺から唐招提寺までの道沿いは歴史的風土保全区域なので、松並木が整備されています。
松の周辺で作業している人に声をかけたら、「マツノザイセンチュウの防除に樹幹注入をしている」と答えてくれました。
写真5上段:薬師寺から唐招提寺への松並木
下段:樹幹注入をして松並木を保全している
かつて、松林の落葉落枝は広く燃料として利用され、人里周辺では松林が維持されてきたが、燃料革命で見捨てられている松です。
歴史的風土を保全されていく松を保存していくのは当然として、森林内の松は、植物遷移の上では、裸地に定着する先駆者樹木であり、その役目を果たして淘汰されていくのでしょうか。
(平成21年2月24日)