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第102話 間伐の竹はリヤカーに乗せて楽々と運びましょ![2008年09月28日(Sun)]


 「お使いは自転車に乗って気軽にいきましょ……」と戦前の歌謡曲を轟夕起子が歌っていました。
 前回の第101話「竹の春に竹を伐る」のなかで、間伐して長さ1.95メートルに切りそろえた竹をリヤカーで運んだことを書きました。
 
 リヤカーで運びながら、昔口ずさんでいた「お使いは自転車に乗って……」という歌詞を「間伐の竹はリヤカーに乗せて楽々と運びましょ……」と、字余りの替え歌が口をついて出てきました。

 リヤカーは今日ではすっかり忘れられた存在で若い人からは「リヤカーって、何?」と聞かれることでしょうが、前期高齢者集団の、平均65歳を超えた私たちの会員の一人から「リヤカーで運ぼう」と提案されました。
 さてリヤカーはどこにあるのでしょうか。「旧家の農家の納屋に埋もれているかな?」などと思案した結果、箕面市内の小学校にあることがわかりました。その小学校には私たちの仲間が課外事業の一環として「外院の杜」で森林管理を教えていることもあって快くお借りすることができました。

 そこで、現在のように車が自由に使えなかった時代の「物を運ぶ」道具、リヤカーなどについて調べてみました。


リヤカーって英語ですか?

 大八車やリヤカーが昭和20年代頃まで街中で見られましたから、私たちは直ぐに思い浮かべることができます。
 その当時の物資の輸送の様子を「戦争中の暮らしの記録」(編者:暮らしの手帳編集部、昭和54年6月1日発行)の中から、孫引き(原典は朝日新聞)してみました。




       写真1上段:焼け跡を軍楽隊がゆく
          下段:牛や馬に引かれた荷車


  写真1上段には、「20年3月10日 あの凄惨な大空襲の夜が明けたら、陸軍記念日であった。軍楽隊の吹き鳴らすマーチが、余燼(よじん)消えやらぬ焼け跡を、避難する荷物の上を、そして人々の胸の中を流れていった」と説明しています。自転車に連結してたくさんの荷物を積んだ荷車がリヤカーです。英語で「rear」は「後ろの」という意味ですし、「car」は「車」で「後ろに付ける車」というような意味の和製英語です。だから、リヤカーの元々の使い方は
 写真のように自転車の後ろに連結したことに由来したと言われています。

 写真1下段には、「東京から運ばれてきた疎開荷物(山形)」とあり、当時は鉄道の駅からは牛や馬が引く荷車が主要な輸送手段だったことがわかります。

 写真ではわかりにくいので、「昭和を生きた道具たち」(河出書房新社2005年4月30日初版発行、イラスト中林啓治、文岩井宏實)のイラストを利用させてもらいました。




イラスト1上段:大八車

                 中段:自転車に連結したリヤカー
     
            下段:人力で引くリヤカー


 イラスト1中段が和製英語のリヤカーその名のとおり、「大正初期に開発されたころは自転車に連結して利用されていたが、やがて、人力で引くこと(イラスト1下段)もなされるようになり、都市、農村を問わず、広く利用されるようになった。第2次大戦後はモーターバイクの後ろに連結されたこともある。リヤカーの本体は鉄製で、荷台の底部には板が敷き詰められ車輪はゴム製のタイヤが2輪取り付けられている。前部の梶棒も鉄製である」(平凡社世界大百科事典から引用)。

 イラスト1上段は江戸時代に江戸を中心に発達した荷物輸送用の二輪車で、大八なる人物がつくったといい、また8人の力に替わる意の代八車が転じたなどといわれています。
「大八車とリヤカーの構造上の相違点は枠が取り付けているであり、荷台が箱型となって荷崩れしにくい構造になっている。この枠の内部に板を張り付けることもあり、その場合は積荷の安定度がさらに高められる」(平凡社世界大百科事典から引用)。


今回使ったリヤカーは折りたたみ式!

 小学校へリヤカーを借りに行ったとき、倉庫にあるがなかなか見つけられませんでした。
やっと見つけ出したのが、写真2のように折りたたみ式のリヤカーでした。コンパクトに隅っこに仕舞われていると、昔のリヤカーをイメージしていては見つけ出すのは難しいのは当然です。




写真2 今回使った折りたたみ式リヤカー


 折りたたんだリヤカーの固定金具をはずすと簡単に写真3上段のように、荷物を積める二輪車になりました。 
 1.95メートルの間伐した竹は約7キロ、重いものでは10キロを超えます。
 人力で肩に担いで2本か3本しか運べませんが、このリヤカーでは写真3下段のように、20本は積めました。
 運搬する場所が平坦な道だったこともあって、ロープもかけず一人でも運べ、その威力を十分に発揮することができました。




写真3上段:積み込み前のリヤカー

      下段:ロープをかけず簡単に運ぶ様子


リヤカーは世界最強の運搬車 !

  上記「昭和を生きた道具たち」にはものを運ぶ道具の発展の様子を「古代にも力車という荷車があったが、江戸時代になって新たな荷車が現れた。その一つは大坂のベカ車で、車輪も車台も板で、両輪の間は三尺(約90センチ)ぐらい。大坂の道が狭かったからである。江戸では大八車が使われた……両輪の間はベカ車より広く、荷台は簀(す)の子になっていた。  
 この大八車は近代に入って商い用の荷物を運ぶだけでなく、農業においても多用されて普及した。木材や石、米など、重量のある荷物の運搬には大八車を牛に引かせていたが、大正時代になると、頑丈な四輪荷車を馬や牛に引かせるようになった。概して関東は馬、関西は牛に引かせる専門の運送業者がいた」と書いています。




イラスト2 江戸時代大坂で使われていたベカ車


 戦時中、戦後昭和20年代に自動車が普及するまでの間、写真1に見られるように、大八車やリヤカー、牛や馬に引かせた荷車は重要な輸送手段でした。

 しかし、大八車は今では博物館等でしか見られないほどに姿を消してしまいましたが、大正時代の遺物ともいえそうなリヤカーですが、当時の姿を折りたたみ式という形を変えた姿で生き残っていて、私たちは竹を運ぶのに使いました。
ちょっとその気になって周辺を見つめてみると、焼き芋屋、ラーメン屋、たこ焼き屋など屋台のベースとして、また、空き缶やダンボールの廃品回収業者など、時々街で見かけることができます。

 さらに、「地域の防災面では自治会などによる自主防災組織にて消火用のリヤカー積載型消防ポンプを備える地域も多く、震災などで道路が分断された際にもマンパワーの導入で活躍できる事が期待され、旧来のものや組み立て式のものが防災倉庫に大抵は用意されている」(フリー百科事典ウィキペディアより)。


 今回リヤカーを調べていてもっと驚いたのは、リヤカーが、陸上自衛隊の装備の1つとなっていることでした。制式採用されてはいないのですが、便利なので各地の駐屯地で使用されているようです。
「演習においては徒歩行進にて迫撃砲から水・食料、あるいは駐屯地内の各種作業での運搬などありとあらゆるものを載せる。用途は多岐に及ぶ。派生品として84mm無反動砲運搬専用リヤカーなどもある。堅牢な造りにはなっているが、それ以上に隊員による酷使が激しくスポークが曲がったり、「ハの字」型にタイヤが歪んだりして武人の蛮用に耐え切れないようでもある。また、ある部隊では、車両運行が出来ない地域においてもリヤカーに物資を積載し、数人で運搬する方法もある。この際には、手で持つ部分に改良を加え、1台のリヤカーを4〜6名で運搬できる様にしたリヤカーも存在する。非常に重量の大きな物を運んだ場合、タイヤのパンク等も考えられるため、タイヤの修理方法や、予備のタイヤを用意するなど、実に周到な準備が必要である。人によっては、世界最強の運搬車と言う人もいる」(フリー百科事典ウィキペディアより)。

 リヤカーは、大八車が木製車輪に鉄の箍(たが)を嵌めたものが多いのに比べ、当初から空気入りタイヤを標準装備していたことが大きな要因と言えるのではないでしょうか。
ゴムは1490年代にコロンブスが発見し、1846年にはゴムの低温加硫方法が発見され、1888年には空気入りタイヤが実用化しました。
明治18年(1886)には日本で本格的にゴム工業がスタートし、明治25年(1893)には空気入りタイヤが輸入されだし、大正時代になって自転車の普及とともに、自転車に連結して引くリヤカーが登場したのです。
 そして、人力でも引けるこの便利な荷車は、時代の要請にこたえて折りたたみ式のリヤカーが登場するに及んで、車社会の時代の今日でも生き残っています。 (平成20年9月28日)
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