2009年度「介護者のカラダのリフレッシュ講座」
「介護はダンスだ!?」
ナビゲーター
インタビュー
砂連尾理(じゃれお おさむ)さん――――「介護はダンスだ!?」をやってみてどうでしたか?
砂連尾
最近、ある高齢者施設でパフォーマンスした後の座談会で話題になったことですが、
パネラーの一人が介護というのは、元々、効率的にやるということだけではなかった
のだけれども、介護保険制度が始まり施設が出来て以降、制度施行前のほうが
ゆったりして個的な付き合いができていた事が、むしろ、施行後の方がある種
「作業的」なことになってしまっていて、そこには本来介在している筈のアート的な
側面が分断されてしまっていると言っていました。
僕は介護の専門知識があるわけではないですが、介助者は、ある時間の中で、
いろんなことをこなさないといけません。例えば、ご飯を食べさせたり、からだを
ふいたり、トイレ介助とか、・・・
この講座では、「効率的にどういう風にしたら楽か?ということでは無い事をやりたい」
、という思いがありました。その中で「効率的でないことにどう目を向けるか?」、
「わからないことを怖がらず、むしろそれをどう発見していくか?」ということを
ナビゲートするような、進行をしたいと思っていました。
参加者には、ピンと来る人も居れば、来ない人も居たのではと感じています。
このワークと平行して僕は作品作りを兼ねて実際の特養の現場にもワークショップを
行っていました。そうしたところ、例えば、デイケアとかでは、介護者が時間を管理
せざるをえない、それは様々な事をこなさなければいけないという事情からか
、こなしていく事に意識が傾き、時間に追われる感覚があるのだろうなと感じました。
朝から決まった作業が次々とあって、本当は、もっと老人とかとゆっくりした気持ちで
対話をしたり、流れ作業的な事ではないコミュニケーションをとることを望んでいながらも
毎回出来ずに終わっているのではと感じました。
ですから今回の講座では、できるだけ、現場感覚に囚われる事なく、
「わからないこと」にどう興味を見出すか?をやってきたと思います。
――――「わからないこと」と言うと・・・
砂連尾
通常、人は、わからないという意識を持つ事にはネガティブな感情になりがちですが、
本来自分ではない他人というのは絶対に分からない存在ですよね。でも、わからない
時でも、そこ又はその人に興味があれば人はわかろうと懸命になるものです。僕は、
人というのは、そんな瞬間こそ、最も創造的になるのではないかと思うのです。だから、
分からない事こそ創造の源なのではないかと。だから今回の「介護はダンス」では、
そこに意識を向けてみようと思ったのです。
つまり「わからない」事が前提になった時は、理解に走るのではなく、相手とわからない
ことをどうやって楽しもうとするか、そして、そこからどんな独自の楽しみ方を発見するか。
僕は以前、活動を共にしていたダンスパートナーとの創作でもそうでしたし、最近の
障害のある人達とのワークの進め方にも共通して、「わからないことを、どう味わい、
共有し、楽しむか?」といった姿勢で臨んでいます。
もちろん、全ての障害のある人や老人の人とうまくやれるとは思っていませんが、
たぶん自分のアーティステックな作業や興味は、むしろ「わからないことをどう
楽しむか?」だと思っています。
頭で考えるのではなく身体で感じ合ってみたら、こう楽しめるよね、とか、理解ではなく、
例えば、何も起きない事をじっくり待つ・・・、とか。
―――― 1年間のベルリン滞在(2008秋〜2009秋)の帰国後すぐリフレッシュ講座を
担当されたんですが、ドイツに行ったことで何か変化がありましたか?
砂連尾
ベルリンでの生活は、先ず、明らかに言葉が違いますね。それと、向こうでは障害者と
一緒にダンスを作るプロジェクトを行ったのですが、言語も身体の状態も異なる中で、
双方でどのように関係を作っていくのか?また、自らをどう説明していくのか?そういった
事が、ベルリンに滞在した事で概念としてではなく、より身体レベルで認識できた事は
大きかったように思います。
ですからダンスの研修はもちろんですが、そういった相手との違いがはっきりした関係の
中で、その違いをどう楽しむか?ということを意識的に実践した事が収穫でしたし、その
発見が今の創作やワークショップに繋がっているように思います。
そのような経緯から、最近の個人的な変化としては、コミュニケーションというのは実は、
ディスコミュニケーションからスタートした方がクリエイティブなことが一杯あるのではと
感じています。
「コミュニケーションをとって、みんな仲良くやりましょう」、ということから始めてしまうと、
いろんな創造力、その可能性を奪ってしまうのではないでしょうか。
わからない・・・、コミュニケーションがとれない、理解出来ない、そこでどれだけ新しいものを発見していくか?発見しようとする気持ちを強く持つか?ということを、ぼくらアーティストが
問われないといけないし、そういった問題意識を作品やワークショップ等でもっと提示して
いかなければと思います。
ですから、最近のワークショップでは参加者に、お互いがどれだけ「戸惑えるか?」
ということをよく言いますし、そういったワークを行うようにしています。
戸惑い、手ごたえのない関係の中で、自分にとっての新たな感覚をどう作っていくか?
今すでに在るコミュニケーションにとらわれず、ディスコミュニケーションの方に、もっと
スポットを当てて、人と関って行くワークを多く行うようになりました。
例えば、「介護はダンスだ!?」のスペースALSDでやったワークで僕が四つん這いになり、
その上に人が乗って「おなかで描いた文字を読み解く」というのがありましたけど、
(四つん這いになった砂連尾さんの背中に参加者が立って、その状態で膝を動かして、
ひらがなの文字を描いて、他の人が、何を描いたか当てるゲームのようなワーク)
描く人は不安定な状態で伝えたい文字がなかなか上手く描けませんでしたよね。
ただ、あの時は、やってる人も読む人も双方が一生懸命で、クリエイトし合ってたなと
感じました。
「あなたが読めるように出来たかどうかわかりません、でも、今私が出来る事はこういった
やり方で、あなたの満足ではないかもしれませんが、私なりに一生懸命やりました」、
という戸惑いの中で、つながることが重要じゃないかと思います。
そういった関係を双方で築けるような状況を作れれば、クリエイティブな関係になれるし、
それを介護の現場で置き換える事が出来れば、介助者が一方的にお世話をしなくてはいけないという考えに縛られずにすむのではないかなと感じます。
今まで話した事の繰り返しや補足になりますが、昨年の10月に帰国して、改めて日本で
暮らし始め、以前はそれほど感じなかった日本に於いての社会やコミュニケーションの
あり方に付いても色々と考えさせられる事が増えました。例えば、ヨーロッパだと当たり前のように多言語、宗教が違う中で、社会が構成されていて、その中で暮らしていかなければ
いけません。そういった環境では、双方が母国語ではない言語でコミュニケーションを
とる事は、特に変わった事ではないようです。僕がベルリンのクリエーションで関わった現場もドイツ人の他にデンマーク人もいましたが、そこでの対話言語は英語でした。双方が
母国語でない言語でコミュニケートしなければいけないというのは、ある種の不確かさが
常に存在します。
ただ、ディスコミュニケーションを前提に置いていると、言い切れないもどかしさを共有する
ので、相手を常にケアし、言い合っている事を何度も確認しあいます。
つまりディスコミュニケーションが意識されたコミュニケーションが存在しています。
それと比べると日本は、不確かさや戸惑いを排除したとても狭い理解の上でのコミュニ
ケーションが存在しているのではないでしょうか?分からないものは排除し、どこか片隅に
おいて社会を構成してしまうような傾向があるのではと感じなくもありません。ただ、
否応なくグローバル化が進む世界状況の中、日本もその例外になる事は避けられません。そういった状況では、不確かさや戸惑いにどう自分の身体を向けていき、人に向き合って
いけるか? その問題はアートや福祉の問題に留まらず、多くの人にとっても、差し迫って
くる問題になってくるのではと感じます。
そういった意味で、この講座は、そんな現在の日本の社会状況を照らし合わした上での
問題提起を行っていけるよい機会ではないかと感じています。
――――ありがとうございました。
聞き手:五島智子
2010.3月