子ども大学かわごえ
2018年11月17日
テーマ:なぜ議会と選挙が必要なのか?
「みんなで決めること」はデモクラシーではない?講師:尚美学園大学総合政策学部教授 真下英二先生1時間目:「民主主義」とはなんだろう?◆英語から考えてみよう「〇〇主義」という言葉は、英語では「〜ism」が普通。
でも、「民主主義」は英語でdemocracy(デモクラシー)。
なぜ「民主主義」は〜ismではないのでしょうか?
ヒントは、古代ギリシャにおける「民主政(あるいは民主政治)」にありました。
紀元前6世紀頃(およそ2600年前)のギリシャでは、「身分」ではなく「財産」で政治への参加資格が決まっていました。お金を持ってる人が払う税金で国が動くから、お金持ちが政治をするのが当たり前だったのです。
※「市民」は「住民」ではないことに注意(お金を持っている人だけが「市民」。奴隷もいました)
ただし、これが「正しい」とされていたわけではありません。
◆「デモクラシー」の本来の意味ギリシャ語でdemos(人民)+kratia(支配)
=demokratia(デモクラティア)
=民主政
つまり、「人民の支配」=「多数者の支配」の意味
「みんなで決めます」という単なる「決め方」を表しています。
◆いろいろな「決め方」例えばクラスの中で、物事はどうやって決めたらいいでしょうか?
(1)学級委員長が決める=一人の人間が決める
(2)成績のいい人同士で話し合って決める=一部の人間(エリート)が決める
(3)クラスの皆で決める=参加者全員で決める
(4)先生が決める=「神様」(超越的な存在)が決める
さまざまな「決め方」があります。
古代ギリシャでも、これと同じようにいろいろな「決め方」がありました。
でも、どれか特定の決め方が「正しい」とされていたわけではありません。
プラトンという人は、民主政を批判しました。アテネで腐敗があったからです。
たとえば……
その思想が害悪だという理由で、「民主的に」有罪として処刑したり、
財政難になったので、「民主的に」資産家に罪を着せて、その財産を没収したりしました。
現在ではこれを「多数派の専制」と呼びます。
もう少し身近な例で考えてみると、例えば……
「あいつ気に入らないからハブろうぜ」と誰かが言い出して、多くの人が賛成したなら、それは「正しい」のでしょうか?
「ハブられる人」はどうすればいいのでしょうか?
「反対した人」の意見はどうなってしまうのでしょうか?
◆もう一つの「鍵」は近代(近代は大体17世紀〜19世紀の間。日本で言うと明治維新以降を近代と呼びます)
今から400〜500年ぐらい前のヨーロッパ。
各地で貴族や教会が強い力を持っている中、少しずつ力を強め、統一国家を作るものが現れました。彼らは統一した国を治めるために、ある工夫をしました。
それは、権力を自分に集中させること。
効率的に国を治めるために、国王は、自分のもとにあらゆる権力を集中させました。
こうして
「絶対君主」が誕生します。
しかし、
国王に権力が集中しすぎることで、今度は別の問題が生じます。
国王が素晴らしい人物だといいのですが、自分勝手な人間が国王だったったりすると……
→勝手に税金を上げる
→勝手に戦争を始める
→気に入らないからという理由で、特定の人を死刑にする
……なんてことが続出する、かもしれません。
◆絶対王政のもとで生まれた思想人間は生まれたときから「自由」で、それに対する「権利」をもつ、という考えを
「自然権思想」と呼びます。
つまり、人間はそもそも「自由」な存在だというわけです。
「自由」とは、権力者が自分の持つ権利を侵害しないことを指します。しかし、絶対王政のもとで、人々の「権利」は侵害されていました。そこで、人間が生まれつき持っている「自由」を守ろう、という思想が登場したわけです。
でも、「自由」とは難しいものです。人と人の「やりたいこと」や「欲しいもの」はぶつかりあいます。自由だからと放っておくと「弱肉強食」の世界になってしまいます。そうなるとかえって人々の「自由」は奪われてしまうのです。
そこで、人々の自由を守るための仕組みとして考え出されたもの、それが「国家」です。
人々は本来持っていた「自然権」を国家に預けます。その代わり国家は、国民の「生命」「財産」「自由」を守る責務を負います。
国家は、領域内におけるあらゆる権力を独占し、場合によっては暴力を用いて国民を守ります。たとえば警察や刑務所、そして軍隊をイメージすればわかりやすいでしょう。
でもあまりに国家が強い力を持ちすぎると危険なので、国家権力を制限しなければなりません。
では、どうやって国家をコントロールするのでしょう?
→「みんなで決めること」で、権力を制限します。
単純に「みんなで決める」のではなく、「個人の自由を守る」ために「みんなで決める」のです。
こうして確立された自由主義のことを
「自由民主主義」と呼びます。
現在の民主主義諸国のほとんどが、この「自由民主主義」を採用しています。もちろん日本も同様です。
「自由」と「民主主義」はセットで考えなければなりません。
2時間目:民主主義では「誰」が決めるの?◆なぜ議会が必要なのかさて、現在の民主主義諸国には議会が存在しますが、なぜ議会が必要なのでしょうか?
どうして全員で集まって話し合わないのでしょう?
全ての人が議論に参加することを、
「直接民主制」あるいは「直接民主主義」といいます。
日本の有権者人口はおよそ一億人。
全てを一カ所に集めて議論することは、ほぼ不可能です。
また、直接民主制には、少数派がムードに流されやすいという欠点もあります。
それに、国民が「みんなで決めた」ことは「絶対」だとして、従わない人を排除する政治になる可能性があります。
というわけで……
「できない」から議会を設置しているわけではなく、そちらの方が「良い」から議会を置くのです。
選挙を通じて代表者を選び、その代表者が集まる議会で様々なことを決定する方が上手くいく、という考えが根底にあるわけです。
これを
「間接民主制」あるいは「間接民主主義」といいます。
そして、議会を中心とした政治のあり方を
「議会政治」と呼びます。
◆民主主義の二つのパターン民主主義には二つのパターンがあります。
「自由を守るために、みんなで決める」のうち、「みんなで」と「決める」のどちらを重視するかです。どちらが正しいというものではなく、それぞれの国のあり方によって異なります。
現代は人々の価値観が多様化(細分化)し、政治が「個人化」したと言われています。政党と選挙を中心とする従来の「議会政治」では、人々の要求に応えられなくなってきているのです。
この現代社会の中で、どうすれば民主主義を維持することができるでしょうか?
一つの方策は、「決める」を強化する方向です。
首相や大統領の権限を強化します。
もう一つの方策は、「みんなで」を重視する方向です。
最近の政治学で
「熟議(じゅくぎ)民主主義」という言葉が注目されています。
かんたんに言えば「話し合いを通じて自らの考えも変化させていく」という意味です。全ての人が「熟議」に参加することが、インターネットの普及によって可能になりました。
現在の民主主義は、自由民主主義を前提とする議会政治が動揺している時期に当たると考えられています。
さて、今後はさらなる行政権の強化に向かうのか、議会が復権を果たすのか、それとも熟議民主主義の発展に向かうのか、あるいは自由民主主義そのものの見直しが進んでいくのか、注目していきたいところです。