父の思い出[2025年09月29日(Mon)]
戦後80年、天皇陛下も今年最後の節目に硫黄島へ慰霊の訪問先として行かれたことを心深く有難く聞かせて頂きました。
私の父は終戦後シベリアへ列車で運ばれた後、三年間極寒の抑留生活を生き延びて食べ物もなく(一匹のアリがいてもすぐ食べていた。茶碗のご飯は一粒も残さないようにと教えられたそうです)歩くことも困難でやっと戻ることが叶ったのは戦地に届いた母の一枚の写真が命を繋いでくれたと話してくれました。
「戦争はしたらいけん!」洗浄の銃撃の様子など時折つらい話を聞き可哀想でした。
私が遊んでいて”つまら〜ん”というと一度も大きな声で叱らなかった父に唯一怒られた言葉だった。
私達、曾孫家族の存在があることは当たり前の事でなく、父が生き延びて戻ることができたお陰と感謝。孫にもよく話しています。
毎日手を合わせ仏壇の父によく話しています。
「昨年、100歳で亡くなった母と一緒に今は幸せですか?」
敏子



