Vol.490【ファンドレイジングスーパースター列伝】レオ10世による贖宥状(ローマ) [2019年11月14日(Thu)]
レオ10世による贖宥状
レオ10世による贖宥状(レオ10せいによるしょくゆうじょう)では、1515年にローマ教皇レオ10世の名の下に売りだされた贖宥状について解説する。 この贖宥状は、イタリアの聖ピエトロ大聖堂の建設費を集めるという名目で、ドイツにて売りに出されたもので、実際の発行者はドイツ宗教界の最高位であるマインツ大司教、販売の実務を担うのはドミニコ修道会だった。一般には、この贖宥状に対してザクセン選帝侯領の神学者マルティン・ルターが1517年に異議を唱えたことが宗教改革の端緒だったとされている。 ーーーーーーーーーーーーーーー (Wikipediaより) ![]() 久しぶりに読み応えのあるWikipediaの記事を発見しました。 この贖宥状は、寄付とは言えませんが、レオ10世のファンドレイジング術はすごいですね。 『1513年にローマ教皇に就任したレオ10世はもともとイタリアの豪商メディチ家の出身で、日々王侯のような贅沢な暮らしを求め、その費用としてドイツの豪商フッガー家に巨額の借金をするようになった。また、1514年にドイツの最高聖職位であるマインツ大司教に叙任されたアルブレヒト(ドイツ語版、英語版)も、その聖職位を得るための工作資金として、フッガー家から多額の借り入れを行った。フッガー家はこれらの貸付を回収するため、ローマ教皇とマインツ大司教は借金返済のため、3者の協力により「聖ピエトロ大聖堂の再建費用」の名目で贖宥状を発行し、その売上で借金を返済することを計画した。 この贖宥状の販売実務にあたったのは、托鉢修道会の1つドミニコ修道会で、なかでもテッツェルという修道士が凄腕の販売人として歴史に名を残している。彼らは、買うだけでありとあらゆる罪から免れる、との謳い文句でドイツ中でこの贖宥状を売り歩いた、とされている。』 Wikipediaの概要からの引用ですが、さらに詳しく贖宥状の秘密が描かれています。 ある意味、反面教師として、紹介した次第です。 ブラックファンドレイジングスーパースターです。 Wikipedia:レオ10世による贖宥状 こちらの記事も参考に。 サン・ピエトロ大聖堂 巨大な建造物と資金調達の方法 免罪符・・・とは? (2) https://plaza.rakuten.co.jp/hoshinokirari/diary/201710050000/ パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=384403 |