Vol.432【ファンドレイジングスーパースター列伝】王女会(日本) [2019年06月25日(Tue)]
王女会
先日の東洋英和女学校の件でいろいろ調べている中で「王女会」という存在を発見しました。 明治時代に、東洋英和女学校とフェリス女学院で、この王女会が盛んに活動されていたようです。 YWCA花の日訪問 https://www.toyoeiwa.ac.jp/chu-ko/life/n_gyouji/06/6_gyouji_120613_1800.html YWCAの前身は、東洋英和女学院の草創期にあった王女会という奉仕活動団体です。王女会の当時の生徒は、東洋英和の関係教会である鳥居坂教会が運営する孤児院(永坂孤女院)にて積極的な奉仕活動を行っておりました。永坂孤女院は、野口雨情作詞の童謡「赤い靴」のモデルとなった岩崎きみが6歳で引き取られ9歳の短い生涯を終えるまで過ごした施設です。やがてその王女会が母体とになり、YWCAができました。 (東洋英和女学院のHPより) フェリス歴史の扉 王女会〜フェリスの奉仕活動〜 http://www.ferris.jp/history/tobira/tobira06.html 草創期のフェリス史には「王女会」、英語では「King’s Daughters」と表記される、おとぎ話に出てくるような言葉が出てくる。この「King」は「神」をさし、直訳すれば「神の娘達」である。この会は当時アメリカの女学校で盛んになっていたキリスト教信仰に基づく人格向上と奉仕の精神育成を目指し、1887年赴任した宣教師ミス・デヨによって、フェリスに導入されたものである。 「王女会」の活動は年々活発になり、その製作品によって得た収入を社会福祉施設への献金にあてたり、宣教師が各所で開催する日曜学校の運営に協力するなど、活動の幅を広げていった。やがて1908年には日本キリスト教女子青年会(YWCA)に吸収され、フェリスの歴史からは姿を消したが、その奉仕活動の精神は現在のフェリス女学院にも刻み続けられている。 (フェリス所が院のHPより) 「西欧女性の手仕事モラルと明治日本におけるその受容」という論文の中に、王女会の役割が掲載されていていました。 その中で「慈善事業の資金を得るための洋裁や編み物などの手仕事を行うことを教えた」とありました。ちなみに、あの中村屋の相馬黒光もフェリス女学院の王女会出身とのことです。 https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/genbunronshu/29-1/maeno.pdf 東洋英和女学校の記事でも紹介しましたが、こちらの論文にも王女会のことが紹介されています。 日本メソヂスト教会社会事業史の試み 塩入 隆 https://wesley-methodism.com/pdf/gakkai2005/gakkai2005c.pdf 東洋英和女学校 100年史により孤女院(後永坂ホーム)の性格について記述してみたい。東洋英和女学校では生徒自身による宗教活動が盛んになり、王女会という(King's Daughter's Society)学校や教会の力を借りず、生徒のみで貧民救済や未信者を導く奉仕活動を行う団体が誕生した。 これは米国に発祥した団体で、日本では 1888(明治 21)年に発足した東洋英和女学校の王女会が最初であった。王女会の会員は 10 名を単位に活動したが、このチームを東洋英和ではサークルと呼んでいた。会員は毎日 15分の時間を捧げて活動し、編物や裁縫で作った作品を販売して資金を造り、各種の社会福祉施設への献金に当てた。 ーーーーーーーー 明治にもいろんな活動がありましたね。 |