Vol.428【ファンドレイジングスーパースター列伝】善光寺(長野) [2019年06月17日(Mon)]
善光寺
善光寺(ぜんこうじ)は、長野県長野市元善町にある無宗派の単立寺院で、住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務める。日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来を本尊とし、善光寺聖の勧進や出開帳などによって、江戸時代末には、「一生に一度は善光寺詣り」と言われるようになった。今日では御開帳が行われる丑年と未年に、より多くの参拝者が訪れる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー (Wikipediaより) 善光寺は、牛に引かれてお参りするだけではなく、すごい取り組みをしていました。 信州善光寺大勧進貧民養育院という、今でいう福祉施設を地域からの寄付等で運営していたそうです。 この信州善光寺大勧進貧民養育院は、現在、社会福祉法人大勧進養育院となり、三帰寮という児童養護施設になっています。 http://www10.plala.or.jp/sankiryo/guide.html こちらのHPに、設立の経緯が掲載されていました。 ○明治16年3月 時の善光寺副住職奥田貫照国師の提唱によって、大勧進養育院と名付け、慈善事業施設として大勧進境内に創設された。養育の「養」は養老、「育」は育児の意を表したものであり、宗教界のものとしては我が国草創のものである。 ○昭和3年 養老部と育児部を分離し、養老部を境内に残し養育部を西長野地籍へ移転独立三帰寮と命名する。「三帰」とは仏法僧に帰依するという仏教用語である。お釈迦様の子どもとして良い子に育つように、長じては社会のお役に立つ人となりますようにとの意が込められている。 いろいろ調べていくと、こちらの論文を発見しました。 『信州善光寺大勧進貧民養育院の事業生成と社会的役割』 ──運営組織の陣容と地域支援── 東洋大学社会学研究科社会福祉学専攻博士後期課程3年 中村 英三 https://www.toyo.ac.jp/file/kiyo/pdf/45/nakamura.pdf 『救貧施設「善光寺大勧進貧民養育院」は、当時の地方の小都市である信州長野県長野村に おいて、大衆信仰の拠点していた信州善光寺の副住職奥田貫照師の発想にもとづき、1883 (明治16)年3月10日に、善光寺大勧進邸内の一角に開設された。この施設が同時期の施設 と異なるのは、施設運営資金の捻出に善光寺を信仰する篤志家の協力を仰ぎ、資金の一部を 10ヶ年の年賦で貸し付け、その利子によって賄うといった方法を採用したことであった。』 さらに、様々な財源の種類がまとめられています。 1) 年賦金…元資金を地域の篤志家に貸し付け、10年間(年2回)の年賦返済にし、そこか ら発生する利子を運営費に充当した。 2)慈恵金…町村補助員の慈恵活動による、金子による寄附金。 3)大勧進維持金…大勧進より運営費として毎年100円を支給。 4)長野町役場補助金…1895(明治28)年(25円)〜明治32年(12.5円)支給。 5)長野県経費補助金…1901(明治34)年から金300円支給。 6)恤救米金…1900(明治33)年より毎年96円〜312円(大正4年)支給。 7) 慈恵箱収入…各地に設置した慈恵箱(長野鶴賀町遊郭、長野善光寺大勧進内、小県郡上 田別所北向観音、長野善光寺萬善堂内など)への寄附金。 8) 売店収入…1910(明治43)年に善光寺山門下に建設された「養育院販売部」での販売利 益。 9)慈恵米…1909(明治42)年から1939(大正14)年に行われた白米寄付の勧誘活動。 10)物品慈恵…町村補助員の慈恵活動による、物品による寄附。 11)施薬…長野町内のT医師・M医師らによる医療奉仕活動。 ーーーーーーーーーーー さらに、当時の寄付金額のグラフなどもあり、明治のファンドレイジングの状況を知るのに最適な資料です。 ぜひ、ご覧ください。 Wikipedia:善光寺 |