Vol.419【ファンドレイジングスーパースター列伝】坂本龍之輔(日本) [2019年05月27日(Mon)]
坂本龍之輔
坂本 龍之輔(さかもと りゅうのすけ、明治3年7月23日(1870年8月19日) - 昭和17年(1942年)3月26日)は、日本の教育者。明治期に上野下谷に日本で初めて設けられた貧民学校の校長を務め、その教育実践が、かつての教え子であった添田知道の『小説 教育者』として作品化されて、大正、昭和期に教育者の範として知られた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (Wikipediaより) 明治の偉大な教育者は、偉大なファンドレイザーだったというお話です。 坂本龍之輔のことは、今回初めて知りました。 出身地である、東京・あきる野市のホームページで、坂本龍之輔のことが紹介されています。 そこから引用です。 http://archives.library.akiruno.tokyo.jp/about/sakamoto-ryu.html 『明治24年11月に卒業後、西多摩郡古里村の習文小学校(現:奥多摩町立古里小学校)に訓導兼校長として赴任した。当時の習文小学校は、西光寺の本堂を借りて授業をしていたが、ふすまや障子も破れているような状況だったため、龍之輔は教室の清潔・整頓からはじめ学校と家庭との行動・言動に表と裏があってはならないと厳しく教えた。また通学区域ごとに夜間の自習会を組織させ、自ら草鞋履きで見廻り、父母からのもてなしも一切受けなかった。さらに村の共有林を学校財産として保護者の教育費に回すなどの取り組みを行なった。』 この時代の教育者は、教育だけではなく、どのように学校を経営していくかも考えていく、社会事業家の側面もあったんですね。 Wikipediaによれば、「1902年、上野下谷に万年尋常小学校が、当時東京の最貧民層の人たちが居住していた下谷の貧困のために就学できないままでいた子どもたちを対象にした学校として開校、その校長となった。」そうです。 これが日本初の貧民学校(特殊学校)です。 坂本龍之輔は、18年間、この学校の校長をしていました。 ・学校内に、浴室、理容室、雨天体操場、診療治療室、保育誘導室などを設置する ・「特別手工科」と名付けた子どもに「稼ぎ」をさせながら同時に「働くこと」を学ばせる ・郊外学習(弁当を支給して、遠足や運動会までも兼ねたもの) ・花園・動物飼育・標本を豊富にそろえて実物教授、あるいは直感教授の導入 ・「風紀団」と称して教職員による校外指導や家庭訪問 ・弟妹の子守のために学校に来られない子どもたちのための子守学校 ・既に年長で学校に行けなかった青年たちのための特殊夜間部 といった、この当時の教育としては先駆的な取り組みを行っていたそうです。 これらの活動について、詳しいファンドレイジングのことを調べることができませんでしたが、こういった特殊学校を支援するための「東京市特殊学校後援会」が結成され、貴族や財閥等からの寄付を受けて、活動を充実していったようです。 Webで以下の論文を見ることが出来ますので、ご参考まで。 東京市万年尋常小学校における坂本龍之輔の学校経営と教育観 別役 厚子 わが国における貧児教育 東京市特殊尋常小学校の成立と展開 加登田 恵子 Wikipedia:坂本龍之輔 |