Vol.416【ファンドレイジングスーパースター列伝】レフ・トルストイ(ロシア) [2019年05月20日(Mon)]
レフ・トルストイ
レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(露:Ru-Lev Nikolayevich Tolstoy.ogg Лев Николаевич Толстой[ヘルプ/ファイル], ラテン文字表記:Lev Nikolayevich Tolstoy, 1828年9月9日〔ユリウス暦8月28日〕 - 1910年11月20日〔ユリウス暦11月7日〕)は、帝政ロシアの小説家、思想家で、フョードル・ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀ロシア文学を代表する文豪。英語では名はレオ(Leo)とされる。 代表作に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。文学のみならず、政治・社会にも大きな影響を与えた。非暴力主義者としても知られる。 ーーーーーーーーーーーーー (Wikipediaより) あの文豪が、実は社会事業家とは知りませんでした。 こんな名言も残しているようです。 「慈善は、それが犠牲である場合のみ慈善である。」 ファンドレイザーとしてのトルストイの取り組みについて、詳しい情報を見つけることが出来ませんでしたが、Wikipediaの記事を読むと、その活躍を垣間見ることができます。 ピックアップしてみました。 ーーーーーーーーー アレクサンドル2世による1861年の農奴解放令に先立って独自の農奴解放を試みるが、十分には成功しなかった。1859年には領地に学校を設立し、農民の子弟の教育にもあたる。強制を排し、自主性を重んずるのが教育方針であった。 トルストイはまた社会事業に熱心であり、自らの莫大な財産を用いて、貧困層へのさまざまな援助を行った。援助資金を調達するために作品を書いたこともある。一方『アンナ・カレーニナ』の執筆とほぼ並行して、初等教育の教科書作成にも力を注いでいる。 精神的な彷徨の末、宗教や民衆の素朴な生き方にひかれ、山上の垂訓を中心として自己完成を目指す原始キリスト教的な独自の教義を作り上げ、以後作家の立場を捨て、その教義を広める思想家・説教者として活動するようになった(トルストイ運動)。 1891年から1892年にかけてのロシア飢饉(英語版)では、救済運動を展開し、世界各地から支援が寄せられたが、政府側はトルストイを危険人物視し、1890年代から政府や教会の攻撃は激しくなった。 『復活』はロシア正教会の教義に触れ、1901年に破門の宣告を受けたが、かえってトルストイ支持の声が強まることになった。社会運動家として大衆の支持が厚かったトルストイに対するこの措置は大衆の反発を招いたが、現在もトルストイの破門は取り消されていない。 作者はこの作品の印税を、当時弾圧を受けていたドゥホボル教徒のカナダへの移住のために献金した。 ーーーーーーーーー 別の分野で有名な人も、実は偉大なファンドレイザーというケース、まだまだありそうです。 Wikipedia:レフ・トルストイ |