Vol.379【ファンドレイジングスーパースター列伝】原胤昭(日本) [2019年02月20日(Wed)]
原胤昭
原 胤昭(はら たねあき、嘉永6年2月2日(1853年3月11日)- 昭和17年(1942年)2月23日)は、明治時代のクリスチャンの実業家、地本問屋、浮世絵商である。 ーーーー (Wikipediaより) また、Wikipediaの記述によれば「この収監中に見た囚人の窮状から、監獄の改良や出獄者の保護が必要であると実感し、出獄後には教戒師になり釧路集治監で勤める。また、明治31年(1898年)に出獄人保護所を創立、一万三千人を超える出獄人を保護した。また、日本で初めて本格的に児童虐待の問題に取り組み、明治42年(1909年)に児童虐待防止協会(1990年に設立された同名の団体とは別物)を設立したとされる(史実としては確認できていない)。家庭内の虐待と児童労働による酷使の双方の解決に尽力した。」という、素晴らしい社会事業家だったようです。 これらの活動について、ファンドレイジングを行っていたようですが、面白い論文を見つけました。 岡山孤児院東京地方委員としての原胤昭の活動* ―― 原胤昭と石井十次の出会いから1899年までを中心として ―― 片岡優子** https://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/attached/6038_50030_ref.pdf この論文によれば、原胤昭は岡山孤児院東京地方委員に就任し、東京でのファンドレイジングに取り組んでいたそうです。 岡山孤児院地方委員とは、「賛助員及び賛助金の募集、臨時寄附金品の募集、入院孤児の周旋、孤児院新報の配達等に関する事務を取扱」うボランティアです。 この論文の中に、具体的な原のファンドレイジングとしての取り組みがまとめられています。 片岡優子さんの論文はこちらになります。 原胤昭の生涯とその事業* ―― 東京出獄人保護所の創設と原の援助方法を中心として ―― https://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/attached/5587_46637_ref.pdf 原 胤 昭 の 生 涯 とそ の 事業 一 兵 庫仮 留 監 教 誨 師時代 を 中心 と し て 一 https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190213190137.pdf?id=ART0008072331 原胤 昭 の 生涯 とそ の 事 業 児 童虐 待 防 止事 業 を 中心 と して 一 https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180623040238.pdf?id=ART0009148609 原 胤 昭 の 生 涯 とそ の 事 業* 一 東京 出獄 人保護所 の 財 政 状況 と大正 期 の 保護成 績 を 中心 と して https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190213191230.pdf?id=ART0009106727 こういう書評もありました。 書評:杉田菜穂 片岡優子著『原胤昭の研究︱生涯と事業︱』 関西学院大学出版会、二〇一一年 https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/15607/002000610010.pdf Wikipedia:原胤昭 |