Vol.355【ファンドレイジングスーパースター列伝】林歌子(日本) [2018年12月21日(Fri)]
林歌子
林 歌子(はやし うたこ、1865年1月11日(元治元年12月14日) - 1946年(昭和21年)3月24日)は教育者、キリスト教の社会事業者。 ーーーーーーーーーーーーーーー (Wikipediaより) Wikipediaからですが、林歌子が取り組んだ二つの社会事業を紹介します。 ーーーーーーーーーーーーーー 1887年(明治20年)6月にC・M・ウィリアムズから洗礼を受ける。小橋勝之助が1890年(明治23年)1月に兵庫県で博愛社(現・社会福祉法人博愛社)という孤児院を設立する。1892年(明治25年)に林が赴任する。1893年(明治26年)に小橋勝之助が死去すると、小橋実之助を後継者として事業を継続する。1894年(明治27年)に博愛社を大阪に移転する。夜間に福島村の愛隣夜学校で教え、その給金で孤児を養った。その後、西成郡に移転してからは、実之助の妻小橋かつえに博愛社を引き継ぐ。 1899年(明治32年)には日本基督婦人矯風会の大阪支部を設立して、支部長に就任する。1905年(明治38年)には米国に渡りボストンで開かれた万国矯風会に出席する。1907年(明治40年)に中之島に矯風会大阪婦人ホームを設立して、田舎から都市部に来ていた婦人のために職業紹介と保護救済を行う。 ーーーーーーーーーーーーーーー 林歌子のファンドレイジングの軌跡はこちらのページに詳しく掲載されています。 日本キリスト教女性史(人物編) 林歌子 http://www5e.biglobe.ne.jp/~BCM27946/hayashiutako.html 林歌子の渡米(1905年∼06年)をめぐって 室田保夫(関西学院大学) https://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/attached/5293_44391_ref.pdf 福祉新聞 「涙と汗」のひと 林 歌子@ 勇進せよ、使命なり https://www.fukushishimbun.co.jp/series02/792 「涙と汗」のひと 林 歌子A赤穂から商都・大阪へ https://www.fukushishimbun.co.jp/series02/844 「涙と汗」のひと 林 歌子B米国で孤児の窮状訴え https://www.fukushishimbun.co.jp/series02/856 「涙と汗」のひと 林 歌子C廃娼に半生をかけて https://www.fukushishimbun.co.jp/series02/859 先の福祉新聞の記事「「涙と汗」のひと 林 歌子B米国で孤児の窮状訴え」には、次のように紹介されています。 ーーーーーーー ニューヨークでは日米の支援者に支えられ、日本音楽会を催している。帰国までに1万5000円の浄財を集めた。それをもとに博愛社の寮を充実し、チャペルも建てた。そして募金の天才≠ニ呼ばれた歌子は子どもと女性への慈愛をエンジンに、次の歩みを始める。 ーーーーーーー 『募金の天才』とは、すごいですね! Wikipedia:林歌子 |