Vol.352【ファンドレイジングスーパースター列伝】忍性(日本) [2018年12月18日(Tue)]
忍性
忍性(にんしょう、建保5年7月16日(1217年8月19日) - 乾元2年7月12日(1303年8月25日))は、鎌倉時代の律宗(真言律宗)の僧である。房名(通称)は良観。貧民やハンセン病患者など社会的弱者の救済に尽力したことで知られる。 ーーーーーーーーーーーーー (Wikipediaより) 前回紹介した叡尊の弟子が、本日紹介する忍性です。 今年は、忍性生誕801周年です。 叡尊・忍性の師弟コンビはすごいですね〜。 以下、Wikipediaからの引用です。 忍性は早くから文殊菩薩信仰に目覚め、師叡尊からは真言密教・戒律受持・聖徳太子信仰を受け継いでいる。聖徳太子が四天王寺を創建に際し「四箇院の制」を採った事に、深く感銘しその復興を図っている。 忍性は非人救済のみでは、それが却って差別を助長しかねないと考えて非人を含めた全ての階層への救済に尽力した。 『性公大徳譜』によると忍性が生涯で草創した伽藍83ヶ所(三村寺・多宝寺・極楽寺・称名寺など)、供養した堂154ヶ所、結界した寺院79ヶ所、建立した塔婆20基、供養した塔婆25基、書写させた一切経14蔵、図絵した地蔵菩薩1355図、中国から取り寄せた律三大部186組、僧尼に与えた戒本3360巻、非人(ハンセン氏病患者など)に与えた衣服33000領、架橋した橋189所、修築した道71所、掘った井戸33所、築造した浴室・病屋・非人所5所にのぼるとされている。 ーーーーーーーーーーーーー これだけ見ても、すごい社会事業家ですね。 これらの活動を行うために、勧進から荘園開発までいろいろやっていたそうです。 Wikipediaの年表からも、社会事業をピックアップしました。 天福元年(1233年)東大寺戒壇院にて受戒する。以後、文殊菩薩の化身と信じられていた行基ゆかりの竹林寺などで修行を重ねる。 延応元年(1239年)叡尊が主導していた西大寺の再建に勧進聖として加わり、叡尊に惹かれて再度叡尊の下で受戒してその弟子となる。生駒に参籠し文殊を祈願する。 寛元2年(1244年)文殊供養をおこない、非人に施粥をおこなう(亡母13回忌追善供養)。 弘長4年・文永元年(1264年)鎌倉雪ノ下で非人3000人を救済する。 文永9年(1272年)衆生救済のために10種の誓願[5]をたてる。 文永11年(1274年)飢饉がおき飢えた人々に大仏谷で粥を施す。 弘安6年(1283年)病者に療養を施す。 弘安10年(1287年)極楽寺金堂落慶供養がおこなわれる。幕府の後援を受け鎌倉桑ヶ谷の病屋に病人を集める。以後20年間に46800人を治療したという。 ーーーーーーーーーーーー 忍性について、こちらのWeb記事も参考になりました。 馬込文学マラソン 批判された社会福祉の先達(文永5年10月11日、日蓮、鎌倉極楽寺の忍性 http://designroomrune.com/magome/daypage/10/1011.html そして、忍性菩薩御生誕800周年記念のWebサイトがすごいです。 http://www.geocities.jp/ninsho0716/index.html 合掌。 Wikipedia:忍性 |