No.343【ファンドレイジングスーパースター列伝】前橋城再築&臨江閣建設(日本) [2018年12月09日(Sun)]
前橋城再築&臨江閣建設
Wikipediaの「前橋二十五人衆」のページに「前橋町人の寄付文化」という項目がありました。 ここで、前橋城再築、臨江閣建設という2つの事例が紹介されていました。 ◎前橋城址 江戸時代末期、度重なる利根川の洪水で侵食された前橋城から藩主が川越へ去った(明和4年)。町の衰退を嘆いた領民たちは藩主の帰城を画策し、嘆願書を提出するなどしていた。 ついに前橋藩から城再築内願書が提出されることとなった(文久2年)。幕府から前橋城再築と藩主松平直克の移城が内諾された。 この時、前橋藩松平家は歴代続いている財政の窮乏状態。そこで期待されたのが領民からの調達金である。未だ再築許可の下りない時点で町民有志荒井久七(七百両)らから一万両ほどの再築資金が集まっていた。大口出資者は主に生糸商人と米商人であり、彼らを中心に多くの町人たちがほとんど全町をあげて再築に協力しようとした。最終的には七万両あまりが調達された。 ーーーー ということですが、「城の完成からわずか4年後、明治維新による廃藩置県で、前橋城は真っ先に取り壊しが決定し、莫大な費用をかけて作られた前橋城は、再び姿を消したのでした。」ということでした。 前橋まるごとガイド | 歴史 「前橋城」 http://www.maebashi-cvb.com/history/building/maebashi_jo/index.htm Wikipedia:前橋城 ◎臨江閣建設 臨江閣本館は1884年(明治17年)9月県令楫取素彦の提案により下村善太郎ら地元有志や企業等の寄付により迎賓館として建てられた。1893年(明治26年)の明治天皇の行幸の際に行在所として使われたのを始め、大正天皇も滞在するなど、多くの皇族が利用した。 また、本館建設にあたって市内の有志が惜しみなく協力したことに感動した楫取素彦を始めとする県職員は、茶室を寄贈した。 ーーーーーーーーー ![]() 歴史発見!前橋フィールドミュージアム 臨江閣 http://maebashi-bunkazai.jp/modules/info/index.php?action=PageView&page_id=62 Wikipedia:臨江閣 Wikipedia:前橋二十五人衆 By Qurren, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=74315809 |