No.341【ファンドレイジングスーパースター列伝】下村善太郎(日本) [2018年12月07日(Fri)]
下村善太郎
下村 善太郎(しもむら ぜんたろう、文政10年4月28日(1827年5月19日) - 明治26年(1893年)6月4日)は明治時代の生糸貿易商。初代前橋市長。 827年、小間物商重右衛門の息子として生まれる。幼名定之丞。17歳の時に家業を継いで善右衛門と称した。しかし賭博や米相場に手を出して失敗、1850年(嘉永3年)9月に武蔵国八王子に転居した。その後は奮闘し、横浜開港で八王子が生糸取引中継地となった影響も受けて、生糸商として成功した。1863年(文久3年)に前橋に帰郷。 ーーーーーーーーーーーー (Wikipediaより) 故郷・群馬の素晴らしい偉人を発見してしまいました。 一度、事業に失敗して、東京に出て成功し、故郷に錦を飾る。 地元に戻ってからの、フィランソロピー活動がすごいですね。 Wikipediaからの引用からご紹介します。 ・前橋では、川越藩主の前橋帰城に伴う前橋城再築に多額の寄付金を納める。 ・明治維新後はその財力で前橋の発展に貢献した。桃井小学校の前身、十八郷学校新築に多額の寄付を行う。 ・1874年(明治7年)の前橋本町大火災では義援活動を行った。 ・県庁誘致運動の先頭に立ち、日本鉄道の前橋延長運動も起こした。 ・第三十九国立銀行の経営危機を救う。 ・臨江閣建築には寄付を行う。 ・特に前橋への群馬県庁誘致活動においては、1876年(明治9年)の群馬県仮県庁移転に際し県庁舎整備のため一万円を寄付したのをはじめ、私財を投じて尽力した。 前橋市のHPに参考になる記事が掲載されていました。 地域再発見 初代前橋市長下村善太郎の銅像(大手町二丁目) http://www.city.maebashi.gunma.jp/sisei/519/014/007/p015706.html ![]() (画像も上記のページからの引用です) ・1876年(明治9年)の第2次群馬県の成立に伴う県庁誘致の際、楫取県令の要請に応え前橋の有力者達をまとめ、多額の寄付金を集め、自らも1万円を拠出した話はよく知られています。(この時の県庁職員の官舎建設に係る寄付金総額は2万6千5百円でした) ・この銅像は、1983年(昭和58年)9月に除幕式が行われていますが、この年は善太郎没後90年にあたり、また、「あかぎ国体」が開催された前橋市にとって意義のある年であったため、「初代前橋市長下村善太郎翁銅像再建推進委員会」が市民に募金を呼びかけて完成させたものです。「再建」とありますが、実はこの銅像は2代目で、初代の銅像は、1910年(明治43年)前橋公園に建てられていました。太平洋戦争の最中に供出されて、銅像は残っていませんが、今でも前橋公園には「故下村翁銅像建設発起人名」の碑が建っています。 群馬の偉人も、すごい人がいました。 Wikipedia:下村 善太郎 |