No.313【ファンドレイジングスーパースター列伝】山田宗有(寅次郎)(日本) [2018年11月09日(Fri)]
山田宗有(寅次郎)
![]() 山田 宗有(やまだ そうゆう、本名:山田寅次郎、慶応2年(1866年)8月23日[1] - 昭和32年(1957年)2月13日)は、実業家、茶人。茶道宗徧流の第8世家元であるが、家元継承以前の山田 寅次郎(やまだとらじろう)の名で実業界でも活躍した。明治25年(1892年)にエルトゥールル号遭難事件の義捐金を届けにトルコに渡って以来、日本とトルコの交流に深く関わった人物としても知られる。 宗有(寅次郎)は、幕末の慶応2年(1866年)に沼田藩用人・中村雄左衛門(莞爾)の次男として沼田藩の江戸上屋敷で生まれた[2]。中村家は曽祖父の代から家老職を務めていた。8歳まで沼田で生活し、維新後に上京した[3]。明治14年(1881年)に宗徧流家元山田家に養子入りした。 ーーーーーーーーーーーーーー (Wikipediaより) では、山田宗有(寅次郎)の取り組みを見ていきましょう。 こちらもWikipediaからの引用です。 ーーーーーーーー 明治23年(1890年)、訪日から帰国途上のオスマン帝国軍艦エルトゥールル号の遭難事件が日本中に大きな衝撃を呼ぶと、寅次郎は民間から義捐金を集めて犠牲者の遺族に寄付することを思い立った。彼は親交のあった日本新聞社の陸羯南に働きかけて募金運動を起こした[7]。日本中で演説会をして回って、2年をかけて5000円(現在の価値で1億円相当とされる)の寄付を集めた。当初はトルコへ送金するつもりであったが、その方法について外務大臣の青木周蔵と面談したところ、持参を勧められたという[8]。 明治25年(1892年)4月、寅次郎は義捐金を携えてオスマン帝国の首都イスタンブールに到着し、早速オスマン帝国外相を訪ねて義捐金を届けた。これにより彼が遠い日本から民間人でありながら義捐金を持って自らやって来たことが知れわたると、彼はイスタンブールの官民から熱烈な歓迎を受け、皇帝アブデュルハミト2世に拝謁する機会にすら恵まれた。この時に彼が皇帝に献上した生家の中村家伝来の甲冑や大刀は、現在もトプカプ宮殿博物館に保存、展示されている。 ーーーーーーーー Wikipediaのエルトゥールル号遭難事件の記事もぜひご覧ください。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%AB%E5%8F%B7%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6 義援金については、こちらの論文が詳しく書かれています。 当時の募金活動の状況もよくわかります。 1890年におけるオスマン朝に対する日本の義捐金募集活動 : 「エルトゥールル号事件」の義捐金と日本社会 三沢, 伸生(東洋大学社会学部紀要) http://jairo.nii.ac.jp/0236/00001906 Wikipedia:山田宗有 By 不明 - 『東洋製紙株式会社沿革史』(東洋製紙, 1925), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=38161823 |