No.300【ファンドレイジングスーパースター列伝】中條政恒(日本) [2018年10月27日(Sat)]
中條政恒
中條 政恒(なかじょう まさつね、天保12年3月8日(1841年4月28日) - 明治33年(1900年)4月14日)は幕末の武士(米沢藩士)、開拓事業者。福島県安積郡桑野村(現・郡山市)の原野の開墾に尽力し「安積開拓の父」と呼ばれた[1]。幼名は与七郎、号は開成山人、磐山。中條政済の長男。建築家・工学士の中條(ちゅうじょう)精一郎の父[注 1]。作家・宮本百合子の祖父。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (Wikipediaより) 今回ご紹介する「中條 政恒」が呼びかけて、今の福島・郡山の街が作られたそうです。 中條政恒が立ち上げたのが「開成社」。 郡山の商人25名に声をかけて、安積開拓をするための組織として結成されました。 2009年(平成21年)に開成社が135周年を迎えたことを記念して作成されたホームページで紹介されていましたので、引用します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 明治初頭の1873年(明治6年)、「安積開拓の父」といわれた中條政恒の呼びかけで、 郡山の商人により「開成社」が誕生しました。 「開成」は、中国の古典『易経』に登場する「開物成務」から名付けられたもので、 “万物を開発してあらゆる事業を完成させること”を意味し、 これを座右の銘とした中條の、 安積開拓に対する熱い思いが込められています。 当時はまだ、荒涼とした原野が広がっていたこの地で、私財を投じて開拓事業を起こし、 困難を乗り越えながら、夢の実現に取り組んだ開成社の働きは、 やがて郡山市が福島県の「商業県都」と呼ばれるまでに発展する「礎」となりました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー http://www.kaiseisya.jp/index.html 集まった商人25人自らがお金を出し合い、開拓を行ったそうです。 さらに、そこから時代が下がり、大正時代に、今度はまちの造成として、現在の郡山市の市街地の原型は、この時に民間の力で整備されたそうです。こちらに詳しく掲載されていました。 広報こおりやま2010年10月号 特集「まちの原型は大正時代に民の力で作られた」 https://www.city.koriyama.fukushima.jp/063000/koho/documents/kouhou201010.pdf 自らの私財を提供しなぜ民間の方たちがまちづくりを行った。 明治20年に福島駅が出来た。明治40年に、東部耕地整理組合が結成され、駅前周辺の整備を目的とした東部耕地整理事業開始。 大正5年に、民間の人たちで組織された「郡山町西部耕地整理組合」。道路整備や治水工事を行った。その当時、費用は35万円、現在のお金に換算して3億円以上の費用がかかったそうです。 これらの組合が、現在の一般財団法人郡山耕整会となっている。 郡山の開拓の歴史も、かなり面白いですね。 街そのものが、ある意味、寄付で出来た都市といえますね。 |