No.292【ファンドレイジングスーパースター列伝】小林佐兵衛(日本) [2018年10月19日(Fri)]
小林佐兵衛
小林 佐兵衛(こばやし さへえ、1829年(文政12年) - 1917年(大正6年)8月20日)は、日本の侠客。大坂・堂島の質屋「明石屋」の長男として生まれ、北の赤万(明石屋万吉)との通称があった。 1873年(明治6年)、消防請負制の導入にともない、当時の大阪府知事・渡邊昇の要請を受け、府内の消防における「北の大組頭取」に就任。自主的に火事の罹災者を自宅に保護するなどの活動にも取り組んでいた。 1882年(明治15年)からは、幕府から大阪府に移行した粉河町の「お救い所」の仕事に携わる。 1885年(明治18年)12月19日、堂島米相場などで築いた私財を投じて、小松原町に「小林授産場」を開設。浮浪者や生活困窮者に教育・職業訓練をおこない、社会復帰・自立を支援した。また、病人や身体障害者も収容した。創立時の収容人員は190人(男30人・女160人)という情報もある。 晩年は、財産のほとんどを授産場の運営につぎ込んでしまい困窮したとも伝えられる。1912年(大正元年)12月17日、財団法人弘済会(大阪市立弘済院の前身)に授産場を売却して引退した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (Wikipediaより) ファンドレイジング・スーパースター列伝としては、はじめて侠客を紹介します。 こちらをお読みいただけると、小林佐兵衛の取り組みがイメージできると思います。 大阪の誇り 〜社会福祉に心血をそそいだ先駆者たち〜 大阪ソーシャルワーカー協会会長 大塚 保信 https://dairoren.org/zuiizuisou/zuiizuisou1502.html 『幕末から明治にかけて小林佐兵衛という侠客がいた。侠客といえば賭博や喧嘩渡世に明け暮れる輩であるが、強きをくじき弱きを助ける者でもある。佐兵衛は多額の私財を投じて、今日の老人ホームや児童養護施設や少年院にあたる「小林授産所」を開設し、今も吹田市にある老人ホームの母体となっている。佐兵衛については作家の司馬遼太郎も小説「俄」で取り上げている。』 小林佐兵衛のファンドレイジングで、一つ面白い事例を発見しました。 小林佐兵衛興行の寄付大相撲の案内書と入場券 明治34年(1901) 本館蔵 中野武治氏寄贈 侠客・小林佐兵衛は、明治11年に脱走力士集団黒岩組と大阪相撲との和解に尽力して以後、大阪相撲に対する影響力を強め、ついに明治31年大阪相撲のトップである総理の地位に就きました。この資料は、総理時代の小林が、自ら経営する貧民収容施設小林授産場への資金援助を名目とした寄付相撲を開催した際に、知人に配布した案内書と入場券です。 http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2007/tenjigae/080308.html ![]() (同ページより引用) 小林授産場については、こちらの論文に詳しく掲載されています。 小林授産場の研究 西尾祐吾 https://ci.nii.ac.jp/els/110006459305.pdf?id=ART0008476430&type=pdf&lang=jp&host=cinii&ppv_type=0 Wikipedia:小林 佐兵衛 |